(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

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zoom RSS 情報“南米の旅 (1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10) ;氷河洞穴”

<<   作成日時 : 2007/05/01 09:00   >>

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  “南アメリカの旅 (1)”   2007/02/06、No.1533       
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   [写真]ブラジル側から見たイグアスの滝(2007.1.18)

 1967年から40か年の間に計10回訪れた南米パタゴニアの地へ、退職したらゆっくり時間をかけて再訪したいと思っていた。同時に、今まで行きたかったが、氷河調査の前後では日程的な制約のため立ち寄ることができなかったいくつかのスポットを巡ることも、この旅の目的であった。

 今回は妻同行の2人旅である。まず諸種の理由により旅行期間を3週間と定め、その中に、行くべきところ、行きたいところをはめ込んで具体的なプランを作ってみたところ、のんびり旅行とはやや異なる、濃密かつ齢のわりには結構忙しい日程となってしまった。まあそれもよいだろう。

 1月16日夕、関西空港を発ち、バンクーバー、トロント、サンパウロを経て、17日夕、フォス・ド・イグアス着。長い一日であった。翌日午前、イグアスの滝へ。

 世界第2の規模(*)のイグアスの滝は、ブラジルの熱帯林の水を集め、ブラジルとアルゼンチンの国境をパラグアイに向かって流れ落ち、その川はアルゼンチンを通って大西洋へ流れ出る。

 イグアスの滝の右岸側はブラジルの、左岸側がアルゼンチンの国立公園となっており、それぞれ観光地として諸施設が整備されている。我々は、ブラジル側をじっくり観賞した(**)。旅のプロローグとしてはなんとも豪華な一幕となった。

 同日午後、陸路でアルゼンチン側のプエルト・イグアスへ移動し、そこから空路ブエノス・アイレスへ向かった。

(注)
*Wikipedia(インターネットの百科事典)の“Iguazu Falls”によると、ビクトリアの滝(アフリカ・ザンビア、ジンバブエの国境)、イグアスの滝、ナイアガラの滝(アメリカ、カナダの国境)の、高水量時の滝の表面積は55万、40万、18.3万平方メートル、またピーク流量は毎秒9,100トン、6,500トン、2,800トンとなっている。

**同上出典によると、2006年冬期は干ばつのため7月24日には流量が毎秒300トンにまで渇水したが、同年12月には平年並みの迫力に戻った(観光者情報)そうである。

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   “南アメリカの旅 (2)”       
                             No.1536、2007/02/07(Wed)

 その日(18日)の夜、パタゴニアの氷河調査を終えてブエノス・アイレスへ帰着した榎本浩之(北見工大)、福田明(静岡大工)、内藤望(広島工大)、長谷川信美(宮崎大農)等と、バーベキュー・レストランでディナーを共にした。彼等は調査がうまく進み、いろいろな新しいデータが得られたので話が弾んだ。

 翌19日午後、ブエノス・アイレスからパタゴニアの玄関カラファテへ向かった。3時間の飛行に加えて、好天・弱風だったためかパイロットの独断(?)で氷河上空への迂回・旋回サービスが40分程あった。アルゼンチンらしいことである。

 カラファテ空港には、1990年来の私の共同研究者ペドロ・スクワルチャ(Pedro Skvarca:南極研究所)が出迎えてくれた。彼は榎本等とともに氷河調査を行ったが、その後所用のためカラファテ町に滞在していたのである。ペドロは、アルゼンチンの氷河研究の名実共に第1人者であると共に、若い頃はパタゴニアのいくつかの山の初登頂を行っている。

 カラファテ町の西方の氷河地域は「アルゼンチン氷河国立公園」となっており、世界遺産に登録されている。この町には、数多くのホテル、ロッジに加え、大小の観光会社が10社以上あり、バス、車、船などによる氷河観光ツアーの拠点となっている。この20-30年のカラファテの街の発展ぶりは目ざましく、夏のハイシーズン(12月−3月)はアルゼンチンでは最も賑わう観光地の一つである。

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 20日、ウプサラ氷河の観光クルージングに参加した。長さ約80kmのアルヘンチノ湖の西端にカービング(末端崩壊)しているウプサラ氷河を船上から観察した後(写真)、氷河の隣の湾奥に上陸し、オフロード車で尾根を登り、氷河を遠望した。

 私がこの氷河で調査を行ったのは1990年で、その後は人工衛星画像などにより同氷河の変動過程をモニターしてきたが、この日は現場にて、自分の眼で直接、過去20年間に6km後退(年平均300m)という、世界でも類を見ない激しい変動のありさまを実感することとなった。

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    “南アメリカの旅 (3)”           No.1537
 
                  成瀬廉二、2007/02/08(Thu)

 パタゴニアの中で最もアクセスが容易なペリート・モレノ氷河は、アルゼンチン、チリを通して一番多く観光客が訪れる氷河である。私は過去に6回、計100日程度この氷河に滞在し、調査を行った。

 同氷河の観光ツアーを運営している会社の社長はペドロの旧友であり、私も親しくしている。その厚意により、21日は同氷河のトレッキング・ツアーに無料で参加させていただいた。

 この日はツーリストになりきることに決めた。ガイドの
「氷河は初めてか?」
の問に、ムニャムニャと言葉を濁す。

 氷河への取りつき地点では、他のツーリストと同様に、ガイドのお姐さんにクランポン(金属の8本爪)を靴の底につけてもらう。

 この氷河上のトレッキングは結構起伏の大きいところも歩く(写真)。10数人の客にガイドが2人。要所々々では、ガイドがピッケル(登山用多目的杖)でステップをつくり、あぶなかしい歩き方をしている人には手を貸す。こういうツアーを、ハイシーズンには毎日200人以上を案内しながら、今までに大きな事故がないことに驚く。
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 私は、
「(急斜面の)歩き方がうまい。パーフェクトだ」
とガイドに2,3回ほめられた。

 氷河上ではときどき立ち止まり、ガイドが氷河一般やペリート・モレノ氷河についての解説をする。その大半は、私たちが過去20年の間に公表したレポートや論文にもとづき、その内容を一般向きにかみ砕いたものであった。95%以上は正確なのに感心した。

 この氷河の上にはところどころ、融解水が流れ込んで生じた鉛直に近い竪穴(ムーラン)がある。表面は漏斗のように直径が大きく、内部は直径10cm程度から1-2m位まである。

 大きいムーランに転落したら大変なので、ガイドは客に小さいムーランを覗き込ませ、
「この穴は下水管のように氷河の内部や底面までつながっている」
と説明していた。

 そのとき私は、
「最近この氷河で、ウェットスーツを装着したダイバーか探検家がムーランから氷河の内部に潜ったと聞いたんだけど......」
と質問した途端、
「それは僕が案内し、一緒に潜ったんだ。だけどそれ、誰から聞いたの?」
とガイド。

「エノモト達。彼等は僕の後輩。それに、ペドロは長年のコリーグ(研究友達)」。
 というわけで、遂に自ら素性を明らかにしてしまった。

 それからは、逆に次々質問されることとなった。彼等は毎日、氷河の前で、上で、客を安全に導きながら、いろいろな解説をするガイドなので、知識の吸収意欲は非常に高いものがある。

 3年振りに、クランポンで氷の上をザクッザクッと歩くのはとても心地よかった。

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  “南アメリカの旅 (4)”          No.1542
 
                 成瀬廉二、2007/02/12(Mon)

 南アメリカ大陸の南西部に、南北に細長くパタゴニア氷原がある(南緯46.5〜51.5度)。現在は、南と北の2つの氷原に分かれているが、両者の合計面積は17,000km2で、鳥取・島根・山口の3県の総面積に相当する。

 その氷原から東西南北に数多くの谷氷河が流れ出て、それらの氷河の末端は、西側は太平洋に連がるフィヨルドの入江の奥(海抜0m)に、東側は湖(海抜約200m)に崩落している(ウプサラ氷河など)。

 パタゴニア氷原の緯度は、ヨーロッパでいえばフランス中部からロンドンあたりである。そんな極地とも言えないパタゴニアに、何故こんな広大な氷原・氷河が発達しているのか。その理由を一言で述べれば、たくさん氷が融ける分を補うだけ、1年中たくさん雪が降るからである。氷原上では年間積雪深が30mを超えると推定されている。

 ペリート・モレノ氷河のトレッキングの後、同氷河の末端部を正面から見下ろす展望台へ行った。この氷河は一風変っている。まず、縮退が激しいウプサラ氷河とは対照的に、過去半世紀の間この氷河の末端位置はほぼ安定している。

 
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 写真に見られるように、現在は氷河先端の氷が展望台の下の露岩に達している。写真中央、水面上の氷の中にトンネルができているのがお分かりだろうか。氷河の左側の湖の水が、このトンネルを通って右側のアルヘンチノ湖にそそいでいる。

 もしこの氷河が少しでも前進すると、トンネルがつぶれ、氷河がダムとなり左側の湖を堰き止めることになる。そして、湖の水位が高くなると氷ダムが水圧に耐えることができなくなり、ダムが崩壊し、多量の水が瞬時に流れ出る。

 実際に最近では、2003年10月から氷河ダムが形成され、2004年3月14日、水面上高さ50mの氷河ダムが大轟音とともに決壊した。

 それは日曜日の夕暮れ時、長さ数百mの展望台には数百人の観光客が見守っていたという。大歓声、嬌声につづいて興奮の喧騒が10分、20分鎮まることがなかったに違いない。

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  “南アメリカの旅 (5)”            No.1543
 
                         成瀬廉二、2007/02/13(Tue)

 1月22日、カラファテから乗り合い路線バスにてチリのプエルト・ナタレスへ向かった。約5時間のドライブの前半はアルゼンチン・パンパの内、南部の乾燥したステップ(steppe:荒草原)をただひたすら走る。

 この辺りを飛行機から見ると、見渡す限り白か灰色で、砂漠のように感じる。しかし実際は、背の低い草が一面に生えているが、雨量が少ないため青々とはしていない。

 こういう草原では、羊の放牧(ほとんど放し飼いに近い)が時々みられるが、そんなに多くない。牛の放牧はほとんどない。こんな草では、肉に脂がのらないだろうし、乳も出ないだろう。

 やがて西に向かい、チリとの国境に近づくと、湿潤気候になってくるので徐々に植生の背丈が高くなり、草の緑が濃くなってくる。このルートは過去に2度通っているが、この景観の変化を眺めるのが楽しい。国境を越えたチリ側の草原では、羊(写真)や牛の放牧が多く見られるようになる。
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 アルゼンチンやチリでは、食肉の羊と牛は非常に安いが、豚はかなり高い。20数年前、「それは何故か」とアルゼンチン人に尋ねたところ、
「そりゃー、羊や牛は放っておいても自分で勝手にあたりの草を食べるけど、豚は餌をやらにゃならない。世話がやける」
という答えを聞いて、えらく納得、そのため今でもその問答を鮮明に覚えている。

 同じく昔話で恐縮だが、田舎のあるおっさんが、
「アルゼンチンでは大統領もわしらも同じものを食べるのだ」
と私に教えてくれた。

 そう、アルゼンチンでは牛のステーキがもっとも一般的なご馳走である。同じ牛でもヒレやサーロインとモモとでは味が相当違うが、庶民がヒレ肉を買えないことはない。日本では、100g、150円程度の並から、100g、3000円以上の松阪牛まで大変な格差がある。アルゼンチンでは、牛は牛、大統領の食べるステーキは、せいぜいシャンピニョンソースとか、とり合わせを豪華にするくらいなのかもしれない。

 国境では、まずアルゼンチンの関門で出国手続き、数100m離れてチリの関門で入国手続きを行い、プエルト・ナタレスに到着した。

 同町は、フィヨルドの奥湾に面する港町であると共に、氷河観光、トレッキング、岩峰登山のために多くの人々が訪れる「パイネ岩塔国立公園」の玄関でもある。諸外国からパイネへ来る観光客や登山者は必ずこの町へ立ち寄る。ここから、パイネの中心部までは、未舗装路面をバスや車で3時間位である。

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 “南アメリカの旅 (6)”   No.1544
 
成瀬廉二、2007/02/14(Wed)

 この旅行の計画段階では、パイネ国立公園内の漫歩、散策は重要なハイライトの一つとして位置づけていた。というのは、私は近年、上りばかりの高度をかせぐ山登りは気が進まず、山、湖、川、森、草木の変化に富む穏やかな遊歩道のハイキング的登山を好むようになった。それに最も条件が適うところが、ここパイネである。

 パイネ公園内には、日帰りコースから、約10日間コースまで、さまざまなトレッキング・トレールが整備されている。私は1995年に、所要6時間のトレールに沿って、器材は馬の背、人は歩いてグレイ氷河まで行ったことがある。是非もう一度、日帰りハイキングを2ルートほど歩きたいと考えた。

 そのために、日本からインターネットを介してパイネ公園内のホテルの予約を試みた。しかしながら、ハイシーズンの真っ盛りのため、約8件あるホテル、ホステリアの全てが満室であった。

 これ以外にも、山小屋風のロッジや避難小屋はあちこちにある。キャンプ場にてテントに泊まるのは嫌いではないのだが、そのためには装備を必要最小限に抑えたとしても4、5kgにはなってしまうので、この案も自ら却下した。

 という事情のため、プエルト・ナタレスに3泊し、その間の一日、早朝ナタレスを乗り合いバスにて発ち、5時間の自由時間にハイキング、夜遅く帰着という計画にした。
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 その日(23日)、パイネ公園に着いてからペオエ湖を遊覧船で対岸に渡り、パイネ・グランデ(3050m)の麓を少し歩いたが(写真)、あいにくパタゴニアへ来てからはじめての雨で、残念ながらパイネの岩峰はそのすべての姿を同時に見せることはなかった。

 ただし、帽子が飛び、枯れ枝が舞い上がるようなパタゴニア特有の強風は、アルゼンチンでもチリでも一度も経験することはなかったことは、ちょっと拍子抜け、心残りでもある。

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  “南アメリカの旅 (7)” No. 1545

成瀬廉二、2007/02/15(Thu)

 翌24日は朝から再び青空。もう一度バスに乗ってパイネへ行こうか、という誘惑がチラッと頭をよぎったが、しかしそれはあまりにも無駄が多いので、2日前に決めた通りこの日は「何も予定がない一日」とした。日本を発ってから9日目にして初めて一息つく「停滞日」となった。

 25日午前、バスで南アメリカ大陸最南の都市プンタ・アレナスへ向かった。同市はマゼラン海峡に面し、その南にはフェゴ島がある。

 16世紀にマゼランがこの海峡を発見して以来、パナマ運河開通の20世紀前半までは、ここが太平洋と大西洋をつなぐ重要な航路であった。プンタ・アレナスには大型船舶が寄港しなくなった後でも、南洋の漁船の中継、補給で賑わっているし、各国の南極観測船や南極観光船の出港・寄港地となっていたこともある。

 なお、南米を基点とした最近の南極観光ツアーは、このプンタ・アレナスから飛行機で南極半島のチリ基地へ往復する日帰りまたは1泊2日旅行と、フェゴ島のウシュアイア(アルゼンチン)から大型客船による8日から12日間のクルージングとがある。前者は悪天候の場合は飛行できないので何日も天気待ちがあり得るし、後者は往復路とも暴風圏を横切るので相当の船揺れを覚悟する必要がある。

 同日夕、プンタ・アレナス郊外のペンギン営巣地を訪れた。ペンギンは、南半球のみに生息する“飛べない鳥”(海鳥)であり、現在世界中に5属18種いるという。

 ペンギンは、氷山や海氷との組み合わせが似合うと一般に思われるけど、南極にいるのはアデリーとコウテイペンギンであり、赤道に近いところに棲む種もある。今回見学したのは、フンボルトペンギン属のマゼランペンギンの生息地である。

 管理事務所から保護区へ入り、観察路をしばらく歩くと海岸に出た。そこには数多くのペンギン達が海から陸に上がり、砂の草原へ向かっているところだった(写真)。
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 11月から12月にかけて雛をかえしたペンギンのカップルの内、毎日交代で雌雄どちらかが雛を守り、どちらかが海へ餌をとりに行くそうである。朝出発し、海を20-30mも潜り、魚を採り、17時から18時頃、家族の待つ自分の巣へ戻る、とのことであった。

 プンタ・アレナスのいろいろな観光業者がペンギン・ツアーを企画しているが、それらがすべて16時出発なので「何故か」と不思議に思っていたのだが、その理由がようやく解けた。

 [写真]オトウェイ海岸のマゼランペンギン(2007.1.25、18:00頃)

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  “南アメリカの旅 (8)” No. 1546

成瀬廉二、2007/02/19(Mon)

 プンタ・アレナスは1泊のみの滞在で、26日朝パタゴニアの北側の都市プエルト・モントへ飛んだ。そこから車で280km、2時間半でヴァルディビアへ着いた。

 そこには、チリの科学研究センター(CECS)という民間の研究機関があり、生物・生理学、理論物理学、氷河学・気候変動の3つの部門にて活発な研究が行われている。

 氷河関係は、チリの氷河研究の第1人者ジノ・カサッサ(Gino Casassa)が主導している。ジノは、私たちのパタゴニア研究の初期(1983年)の調査隊に、ある先生の紹介で参加した。その時彼は、チリ大学土木学科の4年生か5年生だったと思う。若いながらも、しっかりとして、気が利き、力もあった。

 彼は名の通った登山家(アルピニストではなく、南米ではアンディニストという)でもあり、未知な地域の氷河調査では大きな力を発揮した。その後彼は日本に留学し、北大の私の研究室(指導者は別)で修士課程を終えた後、アメリカ・オハイオ大学で博士号を取得した。

 そして、チリへ戻りプンタ・アレナスの国立マガヤネス大学で南極やパタゴニア氷河の研究を行っていたが、数年前、改組して新組織となったCECSに引っ張られて、このヴァルディビアへ異動した。この研究機関は私立ではあるが、国や各財団から多くの研究助成を受け、大学に比べると大きなプロジェクトを推進しやすい、とジノは言っていた。

 今回の旅行の出発3日前に、ジノからCECSで講演をしてくれないかとのメールを受けとった。急遽、一年前に北大のセミナーや講義で発表した図と写真をとりまとめ、USBメモリーに収録して持参した。
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 同日17:30からCECSのセミナー室で約1時間半、私の40年間のパタゴニア氷河研究を中心に話をした(写真)。そこには、旧知の氷河研究者アンドレス(Andres Rivera)やフランシスカ(Francisca)他、測地学やリモートセンシングの研究員10人程が集まってくれていた。

 その夜は、金曜日だったこともあり、レストランで0時を大きくまわる頃まで賑やかな歓談が終わることがなかった。

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  “南アメリカの旅 (9)” No. 1547

成瀬廉二、2007/02/20(Tue)

 27日、ヴァルディビアの小さな飛行場からチリの首都サンチャゴへ。サンチャゴには大学、研究所や政府系の機関が多くあり、従来の氷河調査の前後には打ち合わせや諸手続きのために何日かは滞在した。

 また、ブエノス・アイレスもサンチャゴも、地方から仕事を求めて多くの人々が集まり、市内は車やバスと人でいつもごった返している。今回は、こういう大都会には長居をしたくないので、翌日朝、ペルーの首都リマへ向かった。

 南米大陸には、チリに最も多くの氷河があり、次いでアルゼンチン、第3位がペルー、その後はずっと少なくなるがボリビア、赤道直下のエクアドル、コロンビアにも氷河がある。パタゴニアを除くとそれらの氷河は標高4,000mから6,500mのアンデスの高山に存在している。

 私は今まで南アメリカはチリとアルゼンチンしか行ったことがなく、今回はそれ以外のどこかの国の氷河を一つだけでも訪れるか、それが適わない場合はせめて氷河を抱くアンデスの山々を眼前に見るところへ行けないかな、と考えた。しかし、ちょっと調べてみたらすぐ、それなりの日数と準備がなければ無理、という結論となった。

 そこで、旅の最終章は、ペルーの古都とインカ文化の観賞を目的とすることにした。

 リマは太平洋岸の砂漠の中にある。リマ郊外の遺跡を案内してくれたガイドが「リマは雨がほとんど降らないので....」と言うので、「年降水量はどの位?」と質問すると、「ほとんど無い」と同じ答えが返った。この人はあまり数字が得意ではないのだな、とその時は思った。

 日本に帰ってからすぐ理科年表(2007年版)を調べた。そこには、リマの年降水量の平年値として3.3mmとあった。東京が1467mm、鳥取が1898mm(1971-2000の平均)であるので、リマの年3ミリの雨は日本のシトシトの一降り程度しかなく、「ほとんど降らない」がまさに正しい答えであった。
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 そんな砂漠都市でも800万人近い人々が暮らし、市街は立派な近代都市となっている。それが可能なわけは、リマの後背地、アンデスの山々に東のブラジル側から豊富な水蒸気がもたらされ、高山に降る雨、雪、および氷河の融け水が、川となり、地下水となり、リマへ水を供給しているからである。

[写真]リマ郊外のパチャカマ神殿の遺跡から内陸方向を望む。写真中央の砂漠にも遺跡が埋没しているが、まだ発掘が行われていない。その右は、民家の集落。

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  “南アメリカの旅 (10)” No. 1548
 
成瀬廉二、2007/02/21(Wed)

 1月29日、リマから飛行1時間でインカ帝国(15-16世紀)の首都クスコへ到着。ここは標高3,400m、酸素の濃度は低地の約2/3である。日中は歩く速さが多少遅くなる程度で特別な支障はなく、夜はおいしくビールを飲めたのだが、2日間は朝起きてから1時間は頭痛とともに食欲無く、明らかに軽い高山病に見舞われた。

 翌日、朝6時発の列車でマチュピチュへ向かう。列車は進行方向を変えつつジグザグに尾根を登り、峠を越えてからウルバンバ川に沿って下り、4時間弱でマチュピチュ村着。

 そこからシャトルバスで、熱帯雨林の中を高度400m上がり、標高2,400mのマチュピチュの遺跡に到着(写真)。16世紀、スペインがペルーに侵攻してきたとき、宗教的、政治的に権威のある施設はことごとく破壊したが、ここマチュピチュの遺跡だけは見つかることがなく、20世紀に入ってからインカ時代に近い姿で発見、発掘されたのである。
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 なぜこんなアクセス不便な場所に、何のために、どういう人が、どんな暮らしをしていたのか、文字をもたないインカは後世に多くを語っていない。それ故に、我々旅行者にとっては一層神秘的で、強くひきつけられる。

 同夜、クスコ帰着。31日、クスコの古都を散策し、2月1日、リマへ。2日は予備日(休息)、3日未明リマを発ち、3週間の旅をとくにトラブルもなく予定通り終え、5日鳥取へ帰着した。

                  <完>

 
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  No.1454 “パタゴニア調査” 

Kent青木@Coyhaique, Chile、 2006/12/31(Sun)

みなさま
Kent@金沢大です.
パタゴニア北氷原からの流出河川(Rio Baker)の調査をして下山して参りました.

途中,Cochraneの近くで見かけたバーブ堆積物(?)です.

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  「鍾乳洞と氷河洞穴」

成瀬廉二、2007/03/24(Sat) 、No. 1551

 先日、秋吉台で行われたある競技会に出場した折、秋芳洞を見学した。山口県秋芳町(しゅうほうちょう)にある起伏の激しい石灰岩台地(カルスト地形)が秋吉台(あきよしだい)で、その中の数多くの鍾乳洞のうち最大規模のものが秋芳洞(あきよしどう)である。

 鍾乳洞と氷河洞穴とは、いくつかの類似点と相違点があり比較してみることが面白い。鍾乳洞は地下に浸透した雨水に石灰岩から炭酸カルシウムが溶けることにより形成される。一方、氷河洞穴は氷河内部に浸透した融解水の熱により氷が融けて洞窟が成長するものである。いずれも「とける」現象だが、メカニズムは異なる。前者は数十万年規模の時間で形成され、後者は春から夏の数か月で成長する。氷河洞穴の探検報告をみると、内部には滝、急流、浅瀬、池など変化に富み、鍾乳洞と形態的には大変似ている。
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写真: 氷河洞穴の入り口を覗き込む観光客.パタゴニア、ペリート・モレノ氷河(2007年1月).

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Re: 「鍾乳洞と氷河洞穴

山口悟@長岡、2007/04/06(Fri), No.1555

鍾乳洞の中に出来る”石柱”と氷河洞穴などに出来る”つらら”では、出来る過程並びにタイムスケールは成瀬先生の書いてあるように異なりますが、表面に出来る模様は同じメカニズムで決まるという研究があります(URL参考)。

タイムスケールや形成過程が全く異なるもの同士なのに、共通するメカニズムが存在するというのは何とも自然という物は良くできているものと感心させられます。





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