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zoom RSS ”中部アメリカの旅 (14)-(22):メキシコ”  [文と写真] 成瀬廉二

<<   作成日時 : 2014/03/07 12:00   >>

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(14) メキシコ (a)

 メキシコ(合衆)国は、アメリカ合衆国の南に隣接し、面積は日本の約5倍、人口は日本とほぼ同程度の中部アメリカの大国である。ヨーロッパ人が新大陸を発見し、遠征してくる16世紀よりもっともっと前の紀元前から、時代とともにさまざまな文明が発達していた。
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                       (中世都市グアナファト)
 

 メキシコの国土は、地理的には熱帯から温帯におよぶが、首都メキシコ・シティは標高2,250 mの高原上の盆地にあり、緯度(北緯19度)としては熱帯ながら1年中温和な気候である。最も暑い季節は4、5月で平均気温19℃、最も寒い季節は12、1月で14℃である(理科年表)。気温の年較差が小さく、常春の感じである。年降水量1,266oの90%以上が5〜10月の雨季に降る。

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                 メキシコ・シティ

 メキシコ・シティは大きな都会であり、メトロ(地下鉄)、バス、メトロブス(主要道路の専用レーンを走るバス)など公共交通機関が縦横に張り巡らされており、昼夜とも利用者が多い。とくに、メトロ(写真)は12路線あり、40円のキップで何回でも乗り換えが可能であり、旅行者でも路線の行き先、乗り継ぎの仕方などが分かれば速いし、たいへん便利である。
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 写真(下)は、市内の小高い丘(2,325 m)の上にあるチャプルテぺック(Chapultepec)城(旧大統領公邸)から見たメキシコ・シティ中心市街である。ビルディング等はスモッグのため霞んで見える。
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 同市では1990年頃より大気汚染が大きな問題となったが、JICAなどの技術支援もあり、現在は相当改善されている。写真でも分かるように、スモッグは下層のみで上空は青空なので、PM2.5などによる深刻な汚染物質の拡散ではないが、晴天で風の弱い日が続き、さらに乾季のため雨で空気が洗浄されることがないため、埃や排気物質などによるスモッグが消滅しないのだろう。         (2014.3.7、投稿)

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               メキシコ・シティ中心部ソカロのカテドラル(大聖堂)        


(15) メキシコ (b)

 メキシコ・シティからバスで1時間、テオティワカン (Teotihuacan)の都市遺跡を見学に行った(2月1日)。ここには、紀元前2世紀頃に先住民テオティワカン人により建設された2つのピラミッドがある。宗教儀礼のための建造物と考えられている。
 
 その大きい方が写真に示す「太陽のピラミッド」(Piramide del Sol)であり、高さ65 m、底面の1辺が225 mの四角錐である。エジプト・ギザの最大のピラミッド(約4,500年前建造)は高さ146 mなので、それの半分弱で、頂部は尖っていない。
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 エジプト・ピラミッドと大きな違いは、太陽ピラミッドの外側に248段の階段が設けられており、大勢の観光客が頂上まで登っていることである(写真)。私は、登ろうかやめようか思案したが、傾斜30度以上のストレートな長い階段は、上りは良いとしても下りは恐怖感を抱くかも知れず、無理をしないで下から眺めるだけにした。
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 ここの遺跡には、このほかに「月のピラミッド」(高さ42 m、写真下)や「ケツァルコアトルの神殿」などが点在している。後者もピラミッド形の外壁を多くの観光客が登っていた。これらをすべてゆっくり見て歩くと、数時間は必要である。  (2014.3.9)    
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(16) メキシコ (c)

 アメリカ大陸の先住民(インディアン/インディオ)となるアジア人種(モンゴロイド)が、シベリアからベーリング海峡を越えてアラスカに渡った時代は、いろいろ論争があるが、『モンゴロイドの道』(科学朝日編)によると、遺跡や石器、骨器の出土状況から、12,000年前よりは古くない、という説が有力である。

 この時代は、最終氷期の最も寒い時期(21,000年〜18,000年前)が過ぎ、温暖化が始まり、世界の海水面上昇にともない、ベーリング海峡はもはや陸橋ではなかった。しかし、浅い海であったことは確かであり、何らかの方法で海を渡ったのであろう。一方、氷期にカナダとアメリカ北部を覆っていたローレンタイド氷床はその頃には縮小し始め、同氷床とコルディエラ氷床の間に東西幅数百qの「無氷回廊」が出現し、先住民はそこを通ってマンモスやバイソンを追いながら南下した、と考えられている。

 その後先住民たちは、北アメリカからメキシコ、中米を経て、南米の太平洋側のペルー等を通り、約1,000年後には南米大陸南部のパタゴニアの南端フエゴ島に達している(同書)。北緯65度から南緯55度まで直線距離で13,000q、その間には密林、砂漠、山岳、氷河などもあり、年平均13 kmの超速の移動スピードには改めて驚ろく。

 狩猟民族だった先住民の一部または多数が、ある地域に定着し農耕を始めるようになると、その集落が徐々に大きくなり、条件が整えば都市国家が形成され、文明が発達した。
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                    メキシコ国立人類学博物館

 
     
 メキシコ(および中米)の古代文明は、地域や時代や文化の質がとても複雑で、歴史書を参考にしても、私にはとても要約はできない。そこで、主な文明のみを以下に示すにとどめる。なお、古代文明の発生や滅亡時期は、はっきり分かっていないとか、評価の仕方が異なるとかのため、引用書によってかなり相違がある。ここでは、年代は『ラテンアメリカ文明の興亡』(中央公論社)によった。

 オルメカ(Olmeca):紀元前(BC)1,200年〜西暦(AD)400年頃。アメリカ大陸の最も初期の文明。
 テオティワカン (Teotihuacan):AD.150年〜650年頃(文献によっては、BC100年頃から発展開始)。
 古典期マヤ(Maya):AD.300年〜900年頃、最盛期は8世紀。中米に、広範囲かつ長期間栄えた。
 後古典期マヤ:AD.900年〜1521年。
 アステカ(Azteca):1428年頃〜1521年までメキシコ中央高地に栄えた国家。
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         アステカ時代のメキシコ市は湖内の島に上にあった.
       
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 写真は、メキシコ・シティ中心部で発掘されたアステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿テンプロ・マヨール(Templo Mayor)である。1520年頃、スペインによって徹底的に破壊され、その上にカトリック大聖堂が建立された。     (2014.3.11)

(17) メキシコ (d)

 メキシコ市の中心部から南へ10 km付近に、メキシコ・中米最大の大学、メキシコ国立自治大学がある。広大なキャンパスへは誰でも歩いて自由に入ることができるが、自動車は入構規制のためか見かけず、学部の大型ビルディングではなく学科ごとの平屋か低層の建物が広場をはさんで点在しており、大都市メキシコ市街からは隔離されたような、まさに大学都市(Ciudad Universitaria)との名にふさわしい特別な雰囲気を漂わせている空間である。
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                   メキシコ国立自治大学の科学美術館

               
 この大学に関し、ウィキペディアでは「1551年9月に王立メキシコ大学として創立、同年5月に創立したペルーの大学に次いでアメリカ大陸で2番目に古い大学」のように紹介されている。これは俄かには信じがたい記述である。ラテンアメリカで1番とか2番目ならうなずける。しかし、アメリカ大陸で最古の大学と言ったら、やはりヨーロッパから最も近い北アメリカの東海岸、たとえばフィラデルフィアとかボストンあたりではないかと思った。

 メキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico: UNAM)の公式サイト(日本語版)には、同大学の歴史について以下(抜粋)のように解説している。「本大学は、アメリカ大陸最古の大学である。1551年にスペイン国王がメキシコ大学創立の勅令を発布し、設立された。その後、組織や教育方法の様々な変革が試みられ、1833年、1857年、1861年、及び1865年には閉校されるに至った。1910年9月、メキシコ独立百周年の祝賀行事の一環として、メキシコ国立大学の落成式が行われ、復活した。」

 つまり、同大学の前身は16世紀に創設されたが、正確には、4年前の2010年に大学創立100周年を迎えたのである。なお、アメリカ合衆国の最も古い大学は、1636年設立のハーバード(Harvard)大学である。

 さて、メキシコ国立自治大学は物理的規模も内容も、とてつもなく大きいマンモス大学である。キャンパス(大学都市)の面積は700ヘクタールあり、北海道大学の札幌キャンパス178ヘクタールの4倍である。学生数は、高等学校、大学、大学院に総数30万人を超えている。

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 同大学キャンパスのシンボル建築となっているのが、写真奥の中央図書館であり、その四つの壁面には、著名な画家によるメキシコの神話や歴史を描いた巨大モザイク壁画がはめ込まれている。同キャンパスは、2007年に世界文化遺産に登録された。  (2014.3.13)

(18) メキシコ (e)

 大都会のメキシコ・シティを脱出したく、370q北西の中世都市グアナファトへ2泊3日の予定で出かけることにした。特急バスで4時間半、同市郊外のターミナルへ着き、そこからローカルバスに乗り換える。

 数分後、トンネルの中ほどでバスが停車、運転手が「セントロ(中央駅)!」と言う。怪訝に思ったが、旅行者のような人はみな下車するので、その後について行き、うす暗い階段を上ると、街の中心のマーケットの前に出た。古い街並みを保存するため、幹線の自動車道路は市街の地下トンネルとなっていることを後で知った。
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 アベニーダと番地を頼りに歩き、途中で道を聞き、石畳の坂道と階段(数十段)を上り、丘の中腹にある小さなホテルに到着した。写真は、ホテルのバルコニーから見下ろしたグアナファト市街である。密集して見える大小の建物の色が、薄青、濃紺、黄、茶、赤、白と非常に多彩である。
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 私は、ふつう日本出発の1-2か月前に、国際的ホテル予約サイトで最も希望にかなうホテルを選んで予約する。その折、宿泊者のレヴューをも大いに参考にする。それによると、このホテルは、総合評価は10点満点で8.9と非常に高いが、「階段を上るのが嫌いでない人には良いホテルね(米婦人)」とか「大きなバッグをもって階段と坂道は大変だった」とのコメントがあった。これで決まった。私たちの荷物は3日分のデイパックだし、階段の上りは大好きではないが、それほど厭わない。このマイナス評価をゼロとすれば、総合点は満点に近くなるであろう。
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 「メキシコの精神と文化をデザインした」という、このホテルのインテリアは、優美でしゃれているが、くどくはない。バルコニー付シティヴューの部屋は3室のみで、まさにプチホテルである(Hotelitoと称している)。

 グアナファトは、1548年に銀が発見され、以後18世紀後半にかけて銀の産出で富み、町が大いに発展した。街の区画は中世に造られたままなので、メインストリートも自動車が行き交うにはやや狭く、しかも曲がりくねっている。この街並みが、旅行者にとっては大きな魅力である。石畳の小道、中世風の教会、家々など、観光案内書でうたう「メキシコで一番美しい町」を時間をかけてのんびり散策した。  (2014.3.15)
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(19) 人びと

 このたび旅行した3か国は、いずれも公用語はスペイン語なので、48年前から10年前までに身についた、カタコトよりは格上だが、文法的にはいささかいい加減な自己流スペイン語が各地で結構役立った。

 みな同じ言葉をしゃべるが、それぞれの国の中で人々の容貌は非常に多様である。そして、3か国間で、どう違うかは簡単には言い表せないが、民族の血の濃さの相違を漠然と認識することができる。
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                      グアナファト中心街

 日本外務省のウェブサイトの「各国・地域事情」に、民族構成についてのデータが載っている。それによると、今回訪れた3か国は以下のようになっている。ただし、[混血]は欧州系(スペイン等)と先住民(インディオ)との混血、[その他]にはアフリカ系を含む。

[国]・・・・[混血]、[先住民]、[欧州系]、[その他]
メキシコ・・・60%, 30%, 9%, 1%  
コスタリカ・・95%, 2%, ――, 3%
パナマ・・・・70%, 7%.

 これを見ると、いささか国による差異が大き過ぎる気がする。メキシコとコスタリカで先住民の割合が一桁以上違うし、パナマでは総計が100%に遠くおよんでいない。つまり、この数値の集計方法にはおそらく定まった基準がなく、各国の何らかの統計データからそのまま引用したのであろう。そもそも混血と言っても血の濃さには大きな幅があるし、ある条件を定めたとしても、全国民の厳密かつ科学的な民族分類の集計は不可能であろう。

 とは言いつつも、上記の割合の数字は別にして、メキシコはコスタリカやパナマとは先住民系の濃さがはっきり異なることを感ずる。
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 写真(上)は、メキシコ・グアナファト市の繁華街から横に入った小路の露店と屋台(奥)、(下)は市場内の小物店。   (2014.3.17)
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(20) 料理

 本旅行記では、今まで一度も食べ物や食事について触れることがなかった。言うまでもなく、3か国ともその地域に特有な、あるいは伝統的な料理はある。若い時は、初めてのものや、特別な料理も積極的に食べたものだが、最近の10年くらいは、食べ過ぎはお腹に変調をきたす恐れもあり、かなり抑え気味にしている。具体的には、朝ホテルでしっかり食べた場合は、昼はおやつ程度で、早めの夕食にする。あるいは遅い昼食のときは夜はビールやワインのつまみ程度、といったようなペースである。

 夕食の一例として、パナマ市街にて地元の家族連れが多く集まる庶民的レストランの写真を示す。店内の雰囲気がよく、安くて美味しかったので二晩続けて来てしまった。
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 手前のテーブルで食べようとしているものは、一人は骨付き雌鶏肉とポテトが入ったパナマの典型的な家庭料理のスープ(サンコーチョ、sancocho)と、かなり固めのパラパラッとした白いご飯、もう一人は定番のビーフステーキにマッシュルームソースをたっぷりかけたものと、付けあわせはトウモロコシの生地を薄いパン状にして焼いたトルティーヤかと思われる(未確認:メニューにそう書いてあったかどうか記憶していない)。
       
 トルティーヤ(tortilla、トルティージャとも言う)だとしたら、メキシコや中米インディオの伝統的な日常の食べものである。メキシコ料理では、さらに薄皮状にして焼くか油で揚げて肉や野菜を包むとタコス(tacos)になる。なお、スペイン料理のトルティージャ(tortilla、トルティーリャ)はオムレツの一種であり、外形が一見似ているから同じ名前で呼ばれるようだが、料理としては全く異なるものである。なお、語尾の「ヤ」か「ジャ」かは、“-lla”「リャ」が国や地域により訛ったものであり、それを耳にした日本人が近い音をカタカナに表しただけであり、意味に違いはない。
 
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         メキシコ風ステーキ、付けあわせはトルティーヤ.
            (メキシコ・シティ中心街の郷土料理店にて)

 一方ホテルの朝食は、そのホテルのランクやオーナーの考え方により、卵料理とハム類や野菜などを含むアメリカンブレックファーストから、パンとコヒー(紅茶)だけという最も簡素なコンチネンタルまでいろいろあり得る。だから、ふつうの旅行者は、地元民と同じような朝食をとることは一般には難しい。今回滞在した3か国のすべてのホテルの朝食にあったものは、パイナップル、バナナ、パパイヤ、マンゴーの内の2、3種であった。   (2014.3.19)
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        グアナファトのホテルのコンチネンタルブレックファースト

(21) 旅行ルート

 以上の旅は、中部アメリカの3か国をぐるりと周遊してきたかのように思われるかもしれないが、実際はそんなに単純ではなく、このルートに落ち着くまでには相当の検討を要したのである。

 まず一つ目の条件は、全行程なるべく同一の(または少数の)航空会社を選ぶことである。その方が、料金が割安になるし、乗り継ぎのトラブル等があったとき的確に対処してくれる。

 中南米のどこかの国へ旅行する場合、アメリカ(USA)の航空会社が便数が多く便利である。試みに、アメリカン航空(AA)の予約サイトにて、日本-メキシコ-コスタリカ-パナマ-日本の経路で架空の日程を入力したら、以下の旅程が示された。

 成田-ダラス-メキシコ-マイアミ-サンホセ(コスタリカ)-マイアミ-パナマ-マイアミ-ニューヨーク-成田(all込み、一人41万円)。日付変更不可のチケットとしては料金はかなり高いが、それはともかくとしても、隣国へ行く場合でも細長い三角形の二辺を経由するようなもので、推奨ルートからはほど遠い。

 日本からメキシコへは、アエロメヒコ(メキシコ航空)の直行便が週3便ある。メキシコ-コスタリコ間は深夜着・早朝発ながら毎日運航している。パナマへはコスタリカから週3便のエアパナマを利用することにした。
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                  サンホセ(コスタリカ)

 運航の曜日と時刻を勘案して最終的に決定した行程は、成田-メキシコ-コスタリカ-パナマ-コスタリカ-メキシコ-成田、となった。一見シンプルな往復ルートだが、乗り継ぎの都合によりこれらの都市すべてにて最短1日弱滞在せざるを得なかったので、合計5回外国に入国手続きを行うこととなった。
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 写真は、コスタリカからパナマへ向かう途中、パナマの地方都市ダビ(David)にて国内線に搭乗するところである。ただ別の機体に乗り替えるのではなく、コスタリカ-ダビは国際航路なので、ダビにて入国審査、荷物の通関、その後あらためてセキュリティチェックを受けてから搭乗しなければならなかった。これは予想外のことで、別の航空会社なら直行便があることを知ったのはコスタリカへ着いてからであった。 (2014.3.21)

(22) おわりに

 旅行は全般的におおむね予想通りに、大きなトラブルもなく順調に進んだ。ただ、通貨がパナマはバルボア(Balboa.実際は米$使用)、コスタリカはコロン(Colon)、メキシコはペソ(Peso)とそれぞれ異なるため、入国するたびに頭の切り替えと、紙幣と硬貨の確認、小銭の整理にかなり苦労した。とくに、メキシコとコスタリカには2回入国したので、通貨の変更は円以外に5回におよんだ。

 いまはどこの国でもカードが普及しているので、通貨が何であれ、カードで支払えば気にする必要がないとも言える。しかし、小規模または大衆的レストランや飲食店、小さな商店や売店、タクシーやバスなどでは現金払いが必要である。
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           サンホセ市街(上)およびカルタゴの市場(下)の果物店(コスタリカ)
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 一般に外国への旅行者は、その国にチップの習慣がある場合、そのことが精神的な負担となることがある。旅行ガイド『地球の歩き方』によると、メキシコは「チップの習慣がしっかりと根づいている」が、コスタリカとパナマは「チップの習慣は本来ないが、欧米人の観光客が多いので、場合によって渡した方がいいところもある」となっている。

 メキシコはその通りだが、私の短い滞在経験によると、他の2国は少し違う。もっと積極的にチップを渡し、受けとっている。”Tips are always welcome!”(チップはいつでも喜んでお受けします)、またはそれに類似な文字や態度を、暗に明に、何回か感じとることがあった。この判断には100%の自信はなかったが、在日コスタリカ政府観光局サイトの「旅の基本情報」に「サービスを受けた場合10%から15%のチップを渡す習慣がある」とあった。私の思った通りであった。

 日本などのように、サービス料を含んだ値段で請求してくれた方が煩わしくない、と言う人は多いだろうし、私もそう思うときもある。しかし、サービスという商品の対価は、サービスを受けたものが決めるという仕組みは、その社会にて長い年月の間にでき上がった文化であり、理に適っているとも言える。

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 さて、真夏と初夏の熱帯の国にて15泊16日の旅を終え、2月6日夜メキシコ・シティから帰途に着いた。成田-メキシコの往路(東向き)は実質13時間のノンストップであったが、復路(西向き)はジェット気流に逆行気味となるので給油と一部乗客の乗り降りのため、メキシコ西北端の国境の町ティファナ(Tijuana)に寄航した。

 そのためもあって、暦の上では機中で2泊し、2月8日朝早く、うっすらと新雪が積もった成田へ帰国した。成田からバスで羽田に移動したが、降雪により同日のほとんどの国内線は欠航見込みのため、すぐに品川へ向かい、遅れ気味の新幹線と在来線を乗りついで、同日夕、まだ冬のさなかの鳥取に帰着した。 
                     
                (完)
                                           (2014.3.23、投稿)


     




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