(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

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zoom RSS 情報”東アフリカの旅 (1)-(8);氷河ハザード国際集会;南極51次隊出発”

<<   作成日時 : 2009/12/03 12:00   >>

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{エジプト・エチオピア・タンザニア紀行}

東アフリカの旅 (1) 

                   成瀬廉二、2009/12/03、No.1963

 ワークショップ(氷河ハザードの国際集会)参加のついでか、おまけか、この計画が先にあったのかあまり定かではないが、ウィーン会議の後10日間ほど、アフリカの一端を垣間見る旅に行くことにした。

 私にとってアフリカは、40年前に南極越冬からの帰途、「ふじ」が寄港し、空路で帰国した際、南アのケープタウンとヨハネスバーグに立ち寄ったことがあるだけであった。アフリカにも立派な氷河があるが、どれも簡単には行けないし、氷河研究者が皆無なのでシンポジウム等が開催されることもなく、今まではなかなか訪れる「理由」がなかったのである。

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 今回の東アフリカの旅の入り口は、アフリカでもっとも多くの観光客で賑わう北半球亜熱帯乾燥気候の大都市カイロ(エジプト)である。まずは、定番のピラミッド見物へ。観光バスやタクシーを避け、敢えて路線バスで隣の街ギザへ向かった。どこで降りたら良いのかよく分からないまま、適当なところで下車し、砂漠の中に発展した街の中を数10分歩き、ピラミッドのゲートへ到着した(写真)。

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 近くで見ると天を仰ぐ大きさで、高さ146 mのこの建造物は、36階建ての超高層ビルに相当する。日本だったら縄文時代の半ば、紀元前2550年頃に、この様なきちっとした四角錘を設計し、測量し、建造した幾何学能力と技術の高さに、あらためて驚嘆、敬服するのであった。


東アフリカの旅 (2) 

                    成瀬廉二、2009/12/05、No.1964

 カイロを発って、スーダンを経由し、エチオピアの首都アディス・アババへ移動し、さらにそこからローカル空路で地方都市のバハル・ダールへ向かった。目指すところは、長さでは世界一のナイル川の水源タナ(Tana)湖である。

 世界四大文明の一つエジプト文明を育んだナイル川は、その一つの源はヴィクトリア湖(ウガンダ・タンザニア)で、ホワイトナイル(White Nile)と呼ばれる川は地中海まで6,650 kmに亘って流れる。一方、タナ湖を源とするブルーナイル(Blue Nile)は、スーダンの中部でホワイトナイルと合流する。長さではホワイトナイルの方が勝るが、水量はブルーナイルの方が多く、エジプトを潤す水の主流はエチオピア高地に降る雨である。

 標高1,800 m付近にあるタナ湖は、面積3,000平方km余りで、琵琶湖の約5倍ある。ただし、水深は平均8mと、深くはない。ガイドから、この湖では食用に供される魚が3種類生息していると聞いたが、名前を覚えていられなかったので、インターネットで調べたところ1種はcyprinid fish(コイ科の淡水魚)ということが分かった。写真は、魚釣りをしている現地の住民である。

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 バハル・ダールからは道がないので舟でしか行けないタナ湖の対岸には、中世に建造された修道院があり、現在は観光にも開放されている。


東アフリカの旅 (3) 

                  成瀬廉二、2009/12/07、No.1966

 タナ湖から流出する川はただ一つ、それがブルーナイルである。湖の出口から約30 km下流にブルーナイルの滝(Tis Issat FallsまたはBlue Nile Falls)がある。バハル・ダールから車でティスイサット村へ行き、そこからガイドに連れられて30分ほど歩くと滝へ到着する。

 旅行出発前にインターネットで調べていたとき、どこかのサイトに「アフリカで2番目に大きい滝」という紹介があった。もちろん第1は、世界3大瀑布の一つのヴィクトリア滝(ザンビア・ジンバブエ)である。滝の「大きさ」には、幅、落差、高さx幅、水量など、判定要素が多様なので、衆目の一致するランキングは決め難い。しかしどうであれ、アフリカ第2位と評価されることがあったのだから、ブルーナイル滝の見物は、私にとってこの旅行のハイライトの一つであった。

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 その滝を遠望したとき(写真)、思わず「えー!」という声を発しそうになった。滝の落差は40 mほどはあるが、日本にはどこにでもありそうな滝である。ガイドによると、数年前(2003年)水力発電所が建設されタナ湖から流出水の50%から90%が発電用に取水されてしまい、残りの水がブルーナイル滝に落ちることになった。それでも6−9月の雨季には、滝の幅は広くなるが(以前は幅400 mにも達した)、今(11月)は乾季のため10%程度しか滝に来ていないそうである。

 エチオピアの電力の約85%は水力発電で賄われている。しかし、今まではエチオピア人口の13%しか電気を利用できず、2012年にはこれを20%まで引き上げる計画だそうである(MBendi Information Servicesより)。

 エチオピアにとって、全国の人々へ電力を供給することは、さしせまった重要な課題の一つであろう。水力発電は優れた自然再生エネルギーの利用である。ブルーナイル発電所の建設は、谷ひとつ水没させる巨大ダム建造よりは自然破壊の度合いがずっと小さいが、滝へ流れる水を奪ってしまえば、滝はただの崖となってしまう。貴重な自然遺産かつ重要な観光資源という観点からは、失ったものは大きい。


東アフリカの旅 (4) 

                      成瀬廉二、2009/12/09、No.1968

 滝および発電所の上流のブルーナイル川(写真)も、その水源のタナ湖(前掲)の水も、茶色か赤っぽい色に濁っており、とてもブルーを連想できない。ガイドに質問したところ、「今は、湖周囲の土地の開発が進んだので流入する土砂により濁っているが、昔は透明だった」との説明だった。懸濁物や泡がなく透明なら、水は赤い光を青い光より僅かに多く吸収するので、池や川が3、4メートル以上の深さであれば、水は青く見える(氷河の氷が青く見えるのと同じ原理)。

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 ガイドの説明は確かにあり得そうな話だが、開発されたとしても広大な湖の周囲の一部でしかないので、本当に「昔は清流」だったのだろうか、と少し疑問に思った。特に、古代からナイル川の氾濫によりエジプトの大地は肥沃になったのだが、その栄養をもたらしたのは水源地域からのはずである。

 そのため帰国してからいろいろ調べてみた。その結果、<wiki.answers.com>に以下の様な解説を見つけた。
「ホワイトナイルは、水にクレイ(粘土)粒子が浮遊しており明るい灰色に見えるため、ホワイトと呼ばれる。一方、ブルーナイルは、雨季で水量が増し洪水状態になったときは、ほとんど黒に近い色になる。地元のスーダン語では、黒という語は青色の意味もある」。つまり、スーダンではこの川をブラックナイルに相当する言葉で呼んでいたのが、英訳されたときブルーナイルとなったのである。これには、大いに納得した。


東アフリカの旅 (5) 

                       成瀬廉二、2009/12/11、No.1969

 アフリカ旅行の計画を検討し始めた頃、友人で元エチオピア大使の庵原宏義氏から以下のメールをもらった。
「エチオピアはアフリカでも実にユニークな国で神秘性に溢れています。アフリカの中ではむしろ特殊といえる。それだけにエチオピアの文化にのめり込む人も多い。人種も文化・伝統もエキセントリック、エキゾチックですが、これも具体的に的を絞らないと何か良くわからないままに終わってしまうこともある」

 たしかに調べてみると、エチオピアの人口8,000万人(2009年)は80種以上の民族で構成され、主要な宗教のキリスト教は独自のエチオピア正教で、3000年前までさかのぼる古代エチオピア王国の古都およびその遺跡がエチオピアの地方に点在している。

 自然景観の観賞なら、仮に雲の切れ間に一瞬見えただけでも、「すごい」、「きれいだ」との印象が強く焼きつき、それだけで大いに満足することもある。しかし、歴史と文化を鑑賞の場合は、見て、聞いて、読むためのある程度の時間的余裕がなければならない。エチオピア以外にもう1箇所目的地があるので、地方の古都歴訪は断念し、首都アディス・アババ(北緯9度)に2日間滞在することにした。

 市内の歴史的教会や、博物館、大学等を歩いて観て回った後、観光ハイヤーで近郊のウントット山(Mt. Entoto)へ上った。この山は標高 3,000 mだが、アディス・アババ市街の標高が2,400 mあるので、高度差は600 mしかなく、神戸から見る六甲山(931 m)よりは低く、札幌市内の藻岩山(531 m)に匹敵する。

 ウントット山は、単に見晴らしのよい都市近郊の山か丘程度に思っていたのだが、山頂付近にはかつて皇帝の宮殿があったことを知り、現在も教会や修道院があり、人もたくさん暮らしていた。この山には、19世紀にユーカリの木が大規模に植林されたそうで、その枝は市街地の住宅の薪として利用されている。写真は、ユーカリの木の幹と枝を背負って山を下る婦人である。これらは、街で販売される。毎日、山を歩いて登り、荷を担いで下る、大変な労働である。

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 なお、ガイドから、オリンピックのマラソンで2回連続(1960、1964東京)金メダルをとったアべべ・ビキラは毎日この山で走っていた、ということを聞いた。まさにこれは、意図していたかどうかは知らないが、高地トレーニングの先駆けである。


東アフリカの旅 (6) 

                     成瀬廉二、2009/12/14、No.1972

 エチオピアを発って、ケニヤを経由し、タンザニア北部のキリマンジャロ空港へ着いた。そこから車で小時間(50 km)のところが、南半球赤道付近(南緯3度)の小都市アルーシャ(Arusha)である。ここを目的地の1つに選んだ理由は、アフリカらしい自然にちょっとだけでも触れてみたいことと、運がよければアフリカ最高峰キリマンジャロ山(5,895m)頂上の氷河を遠望できるかも知れない、ということであった。

 ケニヤやタンザニアにて外国人旅行者の人気の第一は、野生動物の生息地を4WDワゴン車で走り、車の天窓を開けて動物たちを見物するサファリ(safari = 狩猟旅行。英語では、game drive = ゲ−ムドライブ、とも言う)である。私もサファリというものを少しだけでも体験してみたいと思い、計画段階でインターネットにて情報を収集した。

 様々なサファリ観光業者がプランを提示しているが、それらは各地を走り回る7日間とか10日間のツアーが多かった。つまり、どこそこへ行けば目標の動物に必ず会えるというものではないので、多くの種類の動物を見物するためには、いろいろなサファリ適地(国立公園または国立保護区)を早朝と日没直前にドライブするのである。そのために、付近のロッジという五つ星並みの価格とサービスの宿泊所に泊まる。

 そこまでしてサファリを経験してみたいとは思わないので、アルーシャから日帰りが可能なアルーシャ・ナショナルパークへ行くことにした。その自然公園は、アフリカ第5の高峰メルー(Mt. Meru, 4,562 m)の山腹から山麓地域にある。写真は、同パーク内モメラ湖(Momella Lakes)のフラミンゴの群れ。

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東アフリカの旅 (7) 

                          成瀬廉二、2009/12/16、No.1973

 アルーシャ・パークは、人里から比較的近いため家畜や人への危害が多く発生し、20世紀半ば頃、ライオンや豹などのいわゆる猛獣たちが一斉に駆除されたそうである。その結果、同パークではサファリの醍醐味と言われる肉食動物の格闘が見られないので、旅行者の人気は少し落ちるらしい。

 しかしこの国立公園は、現在は自然保護区として厳しく管理され、密猟を防ぎ、猛獣を除く動物の種類と数は他のサファリパークに決してひけをとらない。私たちが3、4時間のゲームドライブで至近距離に目撃した動物を、ガイド(ドライバー)の説明と図鑑を参照して列挙すると以下の通りである。

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 キリン(Masai giraffe)、シマウマ(common zebra)、ウォーターバック(waterbuck)[以上、写真]、ブッシュバック(bushbuck)、バッファロー(buffalo)、ディクディク(dik-dik)、イボイノシシ(warthog)、ヒヒ(baboon)、コロブスモンキー(Abyssinian black & white colobus)、モンキー(black monkey?)、マングース(mongoose)、フラミンゴ(flamingo).

 サファリパークでは一般に車外に出ることは厳しく禁じられている。しかし、アルーシャ・パークだけは、危険が少ないというため、ウォーキングサファリのコースがいくつか認められている。ただし、銃を所持したレンジャー(ガイド)に先導されることが必須である。ガイドに「どういうときに銃を使うのか?」と聞いたら、「普通はおとなしいキリンやバッファローなども、何らかのために興奮すると危険になることがある。万一のとき、お客さんを守るため」とのことであった。2時間ほどの短いルートをハイキングしながら、数種類の動物を柵で隔てることなく同じ目線で観察することができ、タンザニアの自然を堪能した。


東アフリカの旅 (8) 

                       成瀬廉二、2009/12/18、No.1974

 サファリを体験した17日は終日雲量10、一時スコールの天気だった。アルーシャ・パークの観光案内パンフレットには、サファリは1年中いつでも可能だが、6月から2月までが天候が良く、ベストである、と書いてあった。ここは赤道に近い南半球なので、11月は秋?春?と一瞬考えたが、ここでは四季の変化ではなく、雨季(3-5月、および11月に弱く)と乾季(6-2月)により季節が分けられる。

 ガイドから、雨季にはブッシュが背高く生い茂るため、動物が見えにくくなるので、サファリにはあまり向かない、ということを聞いた。なるほど、そういう意味からも乾季がベストシーズンなのであろう。

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 スコールが止んだ後、待望のメルー山が一時的に姿を現した。写真の左がメルー主峰(Big Meru: 4,562 m)、右が副峰(Little Meru: 3,820 m)である。メルー山は成層火山の独立峰で、タンザニアで2番目に高い。メルー登山は高度馴化を含め3泊4日が標準で、銃をもったガイドを付けなければならない。このメルー山の反対側、ちょうど真後ろ70 km東に、上部1/3が雲に覆われたキリマンジャロ山が見えていた。

 10日間という短い日程で、訪れた場所もアフリカの中では数個の点にしか過ぎないが、多くの新しいことを見、聞き、アフリカの自然の一端に触れることができ、名残惜しいというよりは、とりあえずもう十分満喫した、という気分で11月23日カイロから帰国の途に着いた。

                   (おわり)

 [実際に訪れた国は、航空機の便の都合により、エジプト、(エチオピア経由)タンザニア、エチオピア、エジプトの順番であった]


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氷河ハザードの国際集会 (上) 

                 成瀬廉二、2009/11/27、No.1960

 
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 標記(略称)の会合が、11月10日から13日までオーストリー・ウィーンのボク(Boku)大学および隣接のホテルにて開催され、各国から約70名の研究者、技術者が出席した。(氷河ハザードとは一般の人には馴染みのない用語であり、その意味と内容については次回に解説する。)

 氷河研究の第一線からはリタイヤーした私だが、氷河への興味と探究心は薄れることはない。インターネットや学術雑誌等で最新の研究趨勢や成果を知ろうと思えばある程度は叶えられる。しかし時々は、生の発表を見、報告を聞き、会話(情報交換、議論など)をすることが、氷河への感性を維持するためには重要である。

 そういう状況のため、氷河ハザードが特に専門というわけではないのだが、たまたま今年は時期と場所が私にとって都合が良かったので、この集会に一般参加として出席することにした。

 なお、本集会の正式名称は非常に長く(*)、日本語に訳すと以下の様になる。
「山岳地域における氷河または永久凍土に起因する危険性、および氷河湖決壊洪水に関する国際研究集会=諸過程・評価・防止・軽減=」

* International Workshop ”Glacier Hazards, Permafrost Hazards and GLOFs in Mountain Areas: Processes, Assessment, Prevention, Mitigation“

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              [写真:基調講演をするWilfried Haeberli教授(チューリッヒ大学)]


氷河ハザードの国際集会 (中) 

                      成瀬廉二、2009/11/29、No.1961

 ハザードという語は、日本では車のハザード灯や、火山噴火の際に溶岩流や火砕流による被災予測地図としてのハザードマップ等として使われている。自然災害が多い我が国だが危機管理の意識が希薄だったためか、hazardに相当する日本語が成熟せず、多くの場合カタカナで表記される。

 オックスフォード英英辞典によると、ハザード(hazard)は「危険となったり、損害を引き起こす可能性のある事象.(訳、成瀬)」(a thing that can be dangerous or cause damage)と説明されている。

 しかし、これだけではどうも良く分からない。そう思っていたとき、ある講演から、工学やリスク管理の分野で以下の公式があることを知った。
[risk(リスク)]=[hazard]x[vulnerability(脆弱性)]
すなわち、ハザードが小さくても脆弱性が高ければ(防御設備や対策が弱ければ)リスク(危険性)は高まり、逆に脆弱性が低ければ(強固なら)ハザードが大きくてもリスクは低い。

 本ワークショップは、最新の研究成果を発表して議論するシンポジウムとは異なり、問題点を整理し、今後行うべきことを報告書として取りまとめ、関係方面、諸機関に提案、提言することを第1の目的としている。ワークショップは、講演、分科会の討論、ポスター発表(写真)の3部に分かれて催された。

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氷河ハザードの国際集会 (下) 

                      成瀬廉二、2009/12/01、No.1962

 ハザードには、偶発性という要素を含むので、氷河上でのスリップとか、クレバスへの転落や氷の崩壊など、日常茶飯事的な危険性、災害可能性は含まない。

 今回のワークショップでは、講演の部は全般的なハザードに関する話が多かったので、ポスターにて発表された研究を、対象別に大雑把に分類してみたら、以下のような件数の分布となった。

GLOF(Glacial Lake Outburst Flood、氷河湖決壊洪水):12
ラハール(lahar、火山泥流)+ 土石流:5
氷なだれ:3、落石:3、岩石氷河:2、凍土:2
氷河ハザード一般:6、その他:5

 これらの研究の多くは、地球温暖化を背景に考えている。すなわち、温暖化で山岳氷河が後退すれば一般に氷河湖が拡大するし、氷河が後退した斜面や、凍結が融解した岩からは斜面崩壊や落石が起こりやすくなる。

 なお、日本から参加して研究発表した人は奈良間千之君(総合地球環境学研究所)ひとり、というのは寂しい感がした。日本の氷河研究者も、ヒマラヤやブータンでGLOFの研究を行ってきたが、今回のワークショップおよびこれを踏み台とした次のプロジェクトは、日本とは関わることなく推進されて行くように思われた。

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[写真:ポスターの前で議論する参加者.写真左端が、オーガナイザーのAndreas Kaeaeb(オスロ大学)]

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51次南極観測隊出発 

                    成瀬廉二、2009/11/25、No.1958

 11月10日、成田空港の出国ゲート付近で、51次南極観測隊の先発班の出発に遭遇した。見送りに来ていた極地研究所の白石教授を見かけ、送られる側には北海道の雪崩対策で活動を共にしたことがあるカメラマン阿部幹雄氏がいた。 彼らは、セールロンダーネ山脈の地学調査パーティーで、空路にて南極に入るため南アフリカへ向かうそうである。

 送られる人が数名、見送る人がその3倍程度、実に静かな、淡々とした出発光景に時代の相違を感じた。

 30-40年前の「ふじ」の時は、晴海埠頭の岸壁にはあふれる程の人々が見送りに集まり、定刻になると汽笛とともに船は超ゆっくりと離岸し、隊員・乗組員と家族・関係者を結ぶ1000本を超えるであろう5色のテープの最後の1本が切れた瞬間、船は再び長音の汽笛を鳴らし徐々に速力を上げて埠頭を離れて行く(写真:1968.11.30、撮影者不詳、「第10次南極越冬隊の記録」より)。この出発のイベントは、人によって思うことと感じ方は大きく異なるが、いずれにしろ感慨深く、感動を与えるものであった。
 
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 さて、私が成田空港に帰国した昨(24日)夜、51次南極観測隊の本隊が成田を出発したそうである。その隊の同行取材班として朝日新聞の中山由美記者がいたはずである。同氏から出発直前に送られてきたメッセージの一部を以下に転載する。同記者からのホットな南極情報を期待したい。

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 (前略)
もしかしたら、もうご存じかもしれませんが、私、51次南極観測隊に同行し、再び南極へ赴くことになりました。24日に出発します。

45次隊に続き2度目となる今回は、前とは違うもの、前以上ものを目指し、新聞だけではなく、テレビ、ネットに携帯電話へと情報を同時発信していく予定です。

もし可能でしたら、氷河・雪氷圏環境研究舎のHPで、朝日新聞のアサヒコムの「南極プロジェクト」のページをご紹介しただけましたら幸いです。
http://www.asahi.com/antarctica/
相互リンクもぜひ、ご検討下さい。

☆南極のホットなニュースを新聞、テレビ、HP、携帯電話でお楽しみ下さい☆

中山 由美 Yumi Nakayama


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