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zoom RSS 情報”マチュピチュ棚田;チリ氷河洪水;南極棚氷破壊;小水力;クマ捕殺;ブナ林探策;南極ロシア基地”

<<   作成日時 : 2011/07/29 12:00   >>

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マチュピチュという棚田 

            成瀬廉二、2011/07/29、No.2189

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 鳥取市河原町神馬(かんば)に「鳥取のマチュピチュ」とアピールしている棚田がある。いなば西郷むらづくり協議会が6月19日、まちおこしのために行ったイベントの一つに、「あるがままの大自然散策−鳥取のマチュピチュ 神馬の天空の棚田を歩く」があった。

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 神馬集落から自動車用の山道を高度差約100メートル、30分ほどかけて登ると、標高400-470メートルの斜面に棚田が広がっていた(写真下:2011.6.19)。農家の後継者不足のため、棚田の面積は減りつつあり、現在は約3ヘクタールにて稲作が行われている。この場所は、標高758メートルの無名山の東斜面の中腹に位置し、上流の森林で涵養された豊富な湧水は日照りが続いても枯れることがなく、水田には非常に適した環境、とのことである(農家夫人談)。

 一方、本家の世界遺産マチュピチュは、ペルーのアンデス山中、岩峰の鞍部(標高2,400メートル付近)にあるインカの遺跡である(写真上:2007.1.30)。ここは熱帯山岳雨林の上部に位置するため、麓からは遺跡の存在が長らく知られることがなく、そのため"天空の"とか"空中都市"と呼ばれている。 写真中央の石垣は、かつての住居、生活空間、礼拝所等の石造建築物の遺跡である。15世紀半ばに建設され、100年以内の短期間、人々がここに暮らしていたと考えられているが、インカは文字を残さないので、なぜこんなアクセス不便な場所に、どういう人たちが、何のために、どんな暮らしをしていたのか、ほとんど明らかになっていない。そのため、いっそう"謎の"、"神秘的な"、"奇跡の"などと形容されている。

 写真右の手前に、石組みで縁取られた緑色の階段状地形が見られる。これがかつての段々畑であり、遺跡の周辺の急斜面にも広く、数多くの畑が開墾されていた。マチュピチュの時代、この段々畑にてジャガイモまたはトウモロコシが栽培されていたと考えられている。

 さて神馬の棚田がマチュピチュの段々畑に似ているか否かはここでは論評しないことにする。日本の棚田百選には、鳥取県の岩美町横尾と若桜町つく米の2箇所の棚田が選ばれているが、これらは付近に自動車道路が走り、車中から棚田を眺めたり、見下ろしたりできる。これに比べると、神馬の棚田は、集落より標高の高い閑静な山奥にあるので、「天空の棚田」と呼ぶには無理があるとも言えない。

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マチュピチュ都市の人口         

         成瀬廉二、2011/08/05、No.2190

 マチュピチュに「謎の都市」が栄えていた15世紀半ばから16世紀前葉は、コロンブスの新大陸発見(1492年)、マゼランの南アメリカ大陸南端周回(1520年)の頃で、ヨーロッパではそんなに大昔ではない。それでも、この「都市」の目的には様々な説がある。

 例えば、「宗教活動に従事する女性たちが暮らした」、「(インカ)国家の中心地クスコを守る要塞」、「インカの最高神"太陽"を観測する宗教儀礼を行う場所」、「インカ拡大の礎を築いた第9代王パチャクティが自身の私有地として建設した都市」という説がある(いずれも、「空中都市 マチュピチュ」、NHK世界遺産100、より)。また最近は、「消失したインカ都市」マチュピチュは真の意味の"都市"ではなく、太陽神の重要な巡礼地であった、という説が発表された(Giulio Magli, Science msnbc.com)。

 ところで、マチュピチュに関して調べている内に、
「遺跡には大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。マチュ・ピチュには最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている」(ウィキペディア)
の記述があり、その中の"約750名"という数字に惹かれた。どういう根拠で推定したのか、都市というより部落程度の集団だったのか、と。

 インターネットやその他の解説記事では、"約750名"の出典を見つけることが出かなかったが、一つだけ「マチュピチュには約200戸の石造建造物があり、居住者はおそらく750人を超えることはなかった」(Rossella Lorenzi, Science msnbc.com)があった。200 x (3-4)人 = 750人なのか、750人の根拠は別にあるのか、ここでは良く分からない。

 ところでウィキペディアに、「この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や、田舎の別荘といった種類のものであった」との解説があった。インカ帝国(15-16世紀)の首都クスコ(Cusco)の標高は約3,400 m、マチュピチュは2,400 mで約1,000 m低い。クスコの最寒月(6-8月)の最低気温の平均が+1度Cなので、マチュピチュは+7度C程度である。したがって、マチュピチュに"別荘"の意味合いがあったとしたら、それは"避暑地"ではなく"避寒地"であったに違いない。

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[写真:マチュピチュの石造建築の遺跡(2007.1.30)]

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パタゴニアの氷河洪水(上)      

        Fernando Escobar、2011/08/15、No.2196

 パタゴニア北氷原南東部のベーカー川(Rio Baker)流域にて、2008年以降現在までに7回の大規模な氷河洪水が発生した。コロニア氷河(Glaciar Colonia)が左岸の支流を堰き止めて形成されたカチェ2湖(Lago Cachet 2)が、図の点線O付近から突然排水し、コロニア氷河底面の水路を約7.5 km流下し(矢印)、氷河末端(黒O)からコロニア湖(Lago Coloria)へ流出したものである。

 この現象は氷河湖決壊洪水(GLOF: Glacier Lake Outburst Flood)と呼ばれるものである。この氷河のGLOFは、2007年以前には発生が知られておらず、2008年4月が初めて、最新は2011年3月で、7回とも早春から晩夏にかけて起こった。

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 (図:パタゴニア北氷原南東部の衛星写真.Casassa et al., 2008 "Sudden drainage of glacial lake Cachet 2, Patagonia" より)

 [投稿者:フェルナンド・エスコバル(Fernando Escobar)、チリ公共事業省・水局(Direccion General de Aguas: DGA)・氷河&雪部門.1985年以来、日本・チリ・アルゼンチンによるパタゴニア氷河研究の共同研究者]

 {本稿は、当NPO法人のウェブサイトまたは出版物への投稿を想定して英文(図・写真9枚付)にて送付されたが、編集、改良、補強の後、然るべきジャーナルに投稿することとし、その概要のみ本サイトに掲載する.(編集・抄訳)成瀬廉二}


パタゴニアの氷河洪水(中) 

              Fernando Escobar、2011/08/17、No.2198

 カチェ2湖(写真)の水位が上昇し、コロニア氷河底面における氷の荷重と水の浮力が等しくなると、氷河底面の水路が急速に拡大し、多量の水が氷河方向へ流れ込み、湖はほぼ空になる。写真のコロニア氷河の側壁に、以前の排水孔(トンネル)の入り口が見える。

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 カチェ2湖の面積は3.7 km2、コロニア湖はその5倍の18.7 km2であり、多量の水の排水が起こっても下流側の湖の水位変動は穏やかとなる。しかし、両湖の高度差は約275 mあるので、水の排水にともない多量のエネルギーが放出される(注)。

 現在、気候変動の影響と考えられるが、コロニア氷河の氷舌部分は年間4 mの割合で薄くなりつつあり(Rignot et al ., 2003)、末端も著しく後退を続けている。

 2009年5月、コロニア氷河に接するカチェ2湖の岸に水文気象観測装置を設置し(Photo: Yerin Carvajal, DGA、5月30日撮影)、湖の水位と気象要素を無人観測している。

{編集者注:この位置エネルギーが熱に変わり、流路の周りの氷を融かし、毛細管のような水脈が2、3日後には下水道程度の流水管(トンネル)に成長し得る。}

(編集・抄訳)成瀬廉二


パタゴニアの氷河洪水(下)      

       Fernando Escobar、2011/08/19、No.2204

 ベーカー川の流量観測点(コロニア氷河末端から約40 km下流)のデータから、過去7回のGLOFの流量(基底流量を差し引いたもの)を以下に示す。
 2008年 4月:222 Mm3(メガ立法メートル)
 2008年10月:184 Mm3
 2008年12月:134 Mm3
 2009年 3月:200 Mm3
 2009年 9月:187 Mm3
 2010年 1月:146 Mm3
 2011年 3月:202 Mm3

 初回が最も規模が大きく、これだけは早春〜晩夏ではなく初秋に発生した。2008年4月7日に排水が始まり、流量は平常時1000 m3/s程度が、7、8日には3000 m3/sを超えた。同時に、水温は10度Cから2.3度Cに低下した。これは、数多くの氷片が流れてきたことによる。

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 写真は、2008年4月の洪水後のベーカー川流域の状況である (Fernando Guzman, DGA, 4月12日撮影)。カチェ2湖の水文気象観測装置のデータは衛星通信によりサンチアゴに転送され、DGAによる洪水警報システムに組み込まれている。

{編集者追記:ベーカー川は、パタゴニア北氷原の東側の氷河からの融水を集め、氷原の東側を南へ向かって流れ、コロニア湖から東へ流れるコロニア川と合流した後、川の向きを西へ転じ、北氷原の南側を通り太平洋に流出する。流量の点では、チリ最大の河川である。

 2008年4月のGLOFは、コロニア川およびベーカー川の流域の牧場施設や開拓民に大きな被害を与え、牧場の家畜も多数死亡した。
 現在、チリでは、両川の合流点のすぐ下流に、大規模な水力発電のダム建設計画がある。GLOFによる短期的な増水のみではなく、GLOFにともなう多量の土砂の流出と堆積の影響など、リスクの再評価が必要と指摘されている。(Dussaillant・他, 2009、より )}

(編集・抄訳)成瀬廉二}


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東日本の津波が南極棚氷を破壊

             成瀬廉二、2011/08/24、No.2205

 「(日本)本州の地震・津波(2011年3月)による南極棚氷の破壊・分離」(”Antarctic ice-shelf calving triggered by the Honshu (Japan) earthquake and tsunami, March 2011” by K.M. Brunt, E. A. Okal, D.R. MacAyeal)という論文が国際氷河学雑誌の最新号(Journal of Glaciology, Vol. 57, No. 205)に掲載されることになり、出版に先立ち国際氷河学会のウェブサイトに全文が公開された。

 東北地方太平洋沖地震は3月11日05:46 UTC(協定世界時)に発生した。地震表面波(レイリー波)は南極ロス海付近に1時間後の06:45 UTCに到着したと推測され、津波はモデル計算とロス海の検潮儀により18時間弱後の12日00:00 UTCに第1波が到着した。

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 NASAのMODIS画像によると、13日00:00 UTC頃、南極スルツバーガー棚氷(Sulzberger Ice Shelf)から、長さ10 km、幅6 kmの氷山が分離したことが認められた。添付地図の青丸印の南側の縁が同棚氷の位置を示す。同じく、ヨーロッパ宇宙機関(European Space Agency)のエンビサット(Envisat)の観測によっても、同時期にスルツバーガー棚氷から合計125 km2 の氷山が分離したことが確認された。

 ロス海西部の検潮儀(Cape Roberts)の記録によると、津波の振幅は最大20 cmであった。この大きさは、低気圧による波浪や、潮汐に比べて決して大きくはない。しかし、過去46年以上の間、ほとんど変化のなかったスルツバーガー棚氷が、繰り返し襲来した津波の期間中に棚氷が破壊して、巨大氷山が誕生したので、津波が引き金になった、と著者らは論じている。


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マイクロ水力発電 

           成瀬廉二、2011/08/29、No.2206

 先週、鳥取県関金町の山間地にあるマイクロ水力発電装置を視察する機会があった。そこでは、(地独法)鳥取県産業技術センターが、小泉川養魚場(写真:2011.8.22)からの流出水(30〜60 L/s)を利用し、落差1〜5 mにて、最大出力2 kWの水力発電の実験を行っている。

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 水力発電には、大きく分けると、巨大ダム+人造湖による大出力(100 MW以上)の発電所から、中水力、および既存の用水路や排水路を利用する小水力とがある。これらの分類には明確な定義はないが、経済産業省の中小水力発電開発費補助事業では、出力30 MW 以下を中小水力発電と呼び、多くの場合、小水力(10 MW以下)が再生可能(自然)エネルギーとみなされている。さらに、小水力発電を小水力(1〜10 MW)、ミニ水力(100 kW〜1 MW)、マイクロ水力(100 kW 以下)に分類されることもある(NEDO, 2003)。これにしたがうと、本欄No.2163「用瀬の小水力発電所」は最大出力117 kWなので、ミニ水力となる。

 関金の小規模マイクロ水力発電では、発電した電力は、養魚場事務所の照明、テレビ、パソコン、冷蔵庫等に利用し、余剰電力は(売電は行わず)ヒーターにより温水に変換し、生活に利用している。同事務所では、一時的に大電力を消費する機器を使用するときは電力不足となるので、電力会社から買わざるを得ないそうだが、電力を計画的に上手に使用すれば、この規模のマイクロ水力発電により、商用電源とは独立したシステムとして運用できるはずである。マイクロ水力の最大の利点は、昼夜、天候に関わらず、また場所によっては年間を通して、安定した電力が得られることである。

 超小型の水力発電機は各種製品化されており、例えば1kWタイプ(流量4〜20 L/s)では145万円程度(設置費別)であり、15年程度でコストが回収できるという。平野部の市街地では無理だが、中山間地では小川や用水路、排水路がどこにでも見られる。現状では水利権の問題があるので、誰でも好きなところに発電機を置くことはできないが、規制緩和を進めて、自治体、地域、団体、個人が、積極的に有効にマイクロ水力を利用することが望まれる。

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クマの学習放獣をやめ、捕殺へ(鳥取県)

              成瀬廉二、2011/09/10、No.2209

 鳥取県では昨(2010)年ツキノワグマの大量出没をうけ、県公園自然課は9月6日、従来行っていたクマの「学習放獣」をやめ、原則として捕獲後、直ちに殺処分する、という方針を固めたようである。県内のツキノワグマの生息数が、2010年は従来の200〜450頭を超え、増加傾向にあるとの判断から、クマの捕殺を進め、適正規模の頭数に調整しよう、という考えらしい。

 ツキノワグマは、環境省のレッドデータブックでは東中国地域個体群として絶滅危惧個体群に指定されている(西信介、2011)。そこで、鳥取県は「ツキノワグマ保護管理計画」(2007〜12年)に定める以下の基準により、クマへの対応、処理を行ってきた。

[第2段階]:日常生活活動において遭遇または被害の発生するおそれが高い場合(農作物への被害発生、集落周辺で目撃等)-−->{対応策}防護、誘引物の除去、追い払い.
[第3段階]:日常生活活動において遭遇または被害の発生するおそれが非常に高い場合(防護対策等をしても再出没)-−->{対応策}捕獲し、学習放獣を実施.
[第4段階]:学習放獣等によっても効果がみられず、集落周辺に執着し再出没する場合-−->{対応策}捕獲し、殺処分.

 ここで、「追い払い」とは「集落近くに出没したクマを、爆竹、動物用駆逐煙火、威嚇弾等を用いて追い払う」ことであり、「学習放獣」は「捕獲したクマを放獣時に、唐辛子スプレー、爆竹等によって人への嫌悪感を与え、再出没および再被害を防ぐ」ことを意味する。なお、学習放獣するクマへは電波発信機を装着し、個体の行動を追跡、監視することにしていた。

 この度の鳥取県の方針は、この保護管理計画を見直すことであり、端的に言えば、[第3段階]を省略しよう、というものである。

 従来、鳥取県内におけるツキノワグマの年間捕殺頭数は次の通りである(1990-06年は鳥取県 (2007), 2007-10年は環境省 (2011) による)。
1990-1995年:19, 28, 41, 0, 14, 7.
1996-2001年:14, 5, 11, 11, 15, 10.
2002-2006年:13, 5, 58, 6, 30.
2007-2010年:1, 1, 0, 40.

 このように、殺処分頭数は年により大きな変動がある。学習放獣を開始したのが2002年からである。したがって、上記のデータには人為的な影響も含まれているが、「自然現象」も反映していることが認められる。すなわち、大山と蒜山のブナ林における1990-95年間の結実の豊作年は1990, 1993, 1995年である(佐野淳之, 2011)。これらの年は、捕殺頭数が相対的に少ない。最近では、鳥取県のみではなく多くの地域で、ブナ、ミズナラの堅果が、2006年は凶作(30頭)、2009年は豊作(0頭)だった。ツキノワグマは、冬眠前に落葉広葉樹の実をたらふく食べるので、凶作の年は食べ物を求めて人里に下りてくることになる。

 山間部の農作物の被害や人への危険など、里山に近い集落の住民から行政に対して抗議に近い苦情、駆除への強い要望があると聞く。それは当然かもしれない。しかし、最近4年間の捕殺頭数は1, 1, 0, 40頭である。昨年の突出したクマ出没数、および殺処分頭数をみて、いきなりクマの学習効果がない、と結論づけるのは早計ではないだろうか。

 事実、「2002-06年、連続追跡した16頭の内13頭で人や車を忌避する行動が確認された。しかし、2頭は人の生活圏近くに位置することが多かった」(「鳥取県における学習放獣の効果」より)。効果はかなりあるのである。

 「人は怖い、嫌いだ」と学習しても、食べることの欲望を抑えるためには相当の理性と忍耐を要するだろう。したがって、ブナの実、ドングリ等が凶作の時は、人里近いところで、柵、電気、音、煙、臭いなど、なんとか「追い払い」対策を充実させて対処することを望んでやまない。

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[写真] 扇ノ山・河合谷高原(標高900m)内の林道に現れたツキノワグマの子(2008年5月9日、野田修氏撮影).冬籠り中の1、2月頃に誕生したとすると、生後3、4か月の幼児で、穴から出てきたばかりであろう.


クマ保護管理計画見直し(続)  

                成瀬廉二、2011/09/14、No.2211

 前記事(No.2209)は、新聞各紙(9.7付)の報道で鳥取県がツキノワグマ保護管理計画を見直すことを知り、ウェブサイトのニュースや記事、解説、資料などを調べ、私の感想を加えてまとめた論評であった。そして記事のタイトルは、新聞の見出しの如く、やや刺激的、目立つ文言とした。しかしながら、この記事では当事者(県の担当課)の計画見直しの真意とねらいが明らかではなく、片手落ちであった。そこで、鳥取県生活環境部公園自然課(自然環境保全担当)西信介副主幹に取材を行うことにした。以下のうち、「****」は同氏の談である。

−保護管理計画の見直しとは、県の方針転換ですか?
「有害捕穫許可を受けて捕獲したものを殺処分することは方針転換ではありますが、内容的には”対応方針”の変更だと思っています。具体的には、従来は第1、2,3,4段階ですが、今後は第1、2段階の2つとなります。新しい第2段階は、従来の第2〜4段階を圧縮して実施します。 当然、誘引物除去、追い払いも継続して実施します」

−学習放獣の効果は?
「学習放獣について効果がないという判断はしていません。効果がないから止めるのではありません。個体数が増加傾向なので、有害捕穫したものについてまで、放獣するのはやめる。増加傾向の中で、有害個体を放獣することに理解を求めるのは、科学的にも説明が難しいと思います」

−鳥取県内のツキノワグマの生息数は、新聞では、250〜400頭とか、200〜450頭を超え、とか幅をもって報道されています。最も信頼できる頭数は?
「野生動物の生息頭数推定はかなり困難です。その中で数字だけが先走ると、数字を基に誤った方向に行くことが多々あります。県としては、目標の生息頭数は誰も(知事も)言っていません。 数ではなく、地域でどこまで許容できるのか、出来ないのか、許容できるのなら数は多い方が良いと思っています」

−クマの食べ物は年により大きな変動があります。
「餌の季節的な変動は当然ですが、凶作の年にクマが出没することで、住民との軋轢は急激に増加します。凶作だからと言っても、そう簡単に出没してもらっても地域住民としては受け入れがたい。 実際に、昨年度でも集落へ出てこない個体はいる。安易に集落等へ出てくる有害性の高い個体から、許可を得て殺処分していく。その結果、個体群が絶滅へ向かえば問題ですが、現状の個体数ではそれは考え難い状況です」

−鳥取県の森林環境は?
「森林環境では、ナラ枯れでミズナラの減少はクマに影響は大きいと思います。ただ、それ以上に薪炭林の放棄で、ナラ林が増加しております。豊作時には、相当の動物を許容できることになります。森林環境が大型野生動物の生息に好適化される中で、住民が納得できないような必要以上の個体数増加は問題があるかと思います」

「話題性が低いので、報道されませんが、実は大きな方針転換が今回あります。平成18年の計画策定の作業時は、”共存なんてできない!”ということで、”棲み分け”と言う言葉が入りました。 今回、その”棲み分け”が削除されました。棲み分け以外の多様な方向でも、”共存”が受け入れられた形です。有害捕穫個体を殺処分するからかも知れませんが、共存が受け入れられた形です」

「全体的な県の方針転換ではないという認識です。理解されにくいですが、個体数を調整して軋轢を減少させ、共存を試行する。今後5年半試行、模索して、途中おかしければ見直すことになります。基本的に特定計画は、試行と見直しの繰り返しになります。ひとまず、進んでみますので、今後も注視していただければと思います」

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[写真:豊作年の秋、低木や草本の上に落下したブナの実.河合谷高原(2009.10.21、土井倫子氏撮影)]

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河合谷高原のブナ林探策会 

          成瀬廉二、2011/09/18、No.2212

 今日(18日)、鳥取県東部の扇ノ山中腹の河合谷高原(標高900m-1100m)において、『ブナ林を探索しよう! ブナを育てよう!』というイベントが催され、一般市民、講師、スタッフの計34名が薄曇りの穏やかな天気の中、晩夏のブナ林を散策し、森林の生態や昆虫、鳥などの観察を行った。これは、昨年の春(6月)と秋(10月)のイベントの続きであり、主催は「河合谷高原の森林復元を考える会」というボランティア団体であり、NPO氷河も後方にて協力している。

 河合谷高原は、かつてはブナを主体とする豊かな落葉広葉樹の水源涵養保安林であったが、1970年代から鳥取県が主体となって農地開発事業計画を進め、大規模な森林伐採を行い、牧場241 haと農地66 haを造営した。現在、牧場は(財)鳥取県畜産振興協会が管理・運営し、春から秋の期間、酪農家からの預託を受け牛を放牧している。一方農地は、主として高冷地(夏)ダイコンの栽培を目指し、現在は(財)鳥取市ふるさと農業公社が管理、運営を行っている。しかし最近は、利用農家も年間3、4戸に減少し、栽培面積も10 ha以下にとどまっている。

 「森林復元を考える会」は、開発された牧場や農場が時代の推移と社会情勢の変化により非利用地や耕作放棄地となった場合は、ブナを主とする落葉広葉樹林に復元すべきと考えてきた。ところで牧場は、頭数が減ったとは言え放牧と採草のため全域が利用されている。一方農場は、未利用で放置された開墾地は広くあるが、これらの土地は雨滝集落の所有であり、地権者からは、農地の一部に限ってでも森林復元することに賛意は得られていない。すなわち、河合谷高原においては森林復元の運動は目下頓挫している。

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 昨春のイベントにて、ブナの育苗および植樹の実習として、標高1000 m付近のダイコン畑の一区画を借地し、参加者全員でブナの苗約100本を移植した。さらに、林道沿いに生育したブナ稚樹を採取し、牧場内の空地に植樹した。それらのブナがどのように成長したか、あるいは動物による食害や乾燥により枯死したか、を調べることも今回の探策会の目的の一つであった。ブナ苗は半分程度はしっかりと根付いていることを確認し(写真)、移植したブナ稚樹も大半はほぼ順調に育っていることが分かった。

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南極半島のロシア基地滞在記(前)  

       森 淳子、2011/09/26(Mon) 、No.2214

 帰国してから半年たってしまいましたが、今年の南極半島調査の途中、思いがけなくBellingshausen(ベリングスハウゼン)基地(ロシア)に滞在する機会がありましたので、簡単な滞在記を投稿いたします。

 2011年1月~3月まで、例年のようにアルゼンチン南極観測隊に参加して、南極半島のKing George(キングジョージ)島、Seymour(シーモア)島、James Ross(ジェームズロス)島の凍土環境の調査を行ってきました。今回は、ブエノスアイレスからRio Gallegos(リオガジェーゴス)経由でKing George島に入り、その後、Seymour島、James Ross島をまわってブエノスに戻るという行程でした。

 King George島の滞在先であるJubany(ジュバニー)基地(アルゼンチン)から、南極半島を挟んで南にあるSeymour島Marambio(マランビオ)基地(アルゼンチン)に移動するには、まず、滑走路のあるKing George島Marsh(マーシュ)基地(チリ)に船で約1時間かけて移動し、ツインオッター機に乗り継ぎます。ですので、Marambio基地とMarsh基地の双方で視界が良く、Jubany基地からMarsh基地までの海が荒れていない、という、三拍子そろった条件でないと移動することができません。

 2月のはじめ、当初の予定ではJubany基地周辺の調査を10日ほどで終わらせ、その後、Marambio基地に飛び、James Ross島のキャンプサイトに入る予定でした。しかし、今年は基地間の移動に必要な気象条件がなかなか三拍子そろわず、Jubany基地で10日も足止めされる事態になってしまいました。そこで、必要な条件をせめて二つにしようということで、いろいろと交渉してもらった結果、Marsh基地に歩いて行けるBellingshausen基地で天気待ちをさせてもらえることになりました。ちなみに、宿泊代はJubany基地から持参した牛肉とワイン。

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 写真は、基地の側の丘から撮影したBellingshausen基地の全景です。手前側の赤くて長い建物群と、その向こう、及び右側の白い建物群がベリングスハウゼン基地、そのさらに奥にあるのはチリのFrei(フレイ)基地です。写真には写っていませんが、右手に約1km登ると滑走路のあるMarsh基地になります。

[筆者:北海道大学大学院環境科学院博士課程修了.NPO氷河会員.(投稿代行:成瀬) ]


南極半島のロシア基地滞在記(後)

                森 淳子、2011/09/28、No.2215

 ベリングスハウゼン基地は、氷河からも遠いし、基盤岩がかなり露出しているので、氷河や周氷河研究には今ひとつな感じですが、動物はかなり多く、研究者も生物系の人が多いようでした。

 同基地の生活ですが、まず、基地の中にはちゃんとバーニャ(ロシア式サウナ)があって、シラカバの葉のついた枝も束になって置いてありました。さすが、ロシアです。週末がバーニャの日らしいです。残念ながら我々の到着は平日でしたが。

 食事はもちろんロシア風で、黒パンやボルシチなど、懐かしい料理を頂くことができました。コンデンスミルクの青い缶が食卓に並んでいたのには、つい笑ってしまいました。

 近くの丘にロシア正教会の木造の礼拝堂(写真)もあり、運よくミサを見学させて貰うことができました。隊員のうち2人しかミサには参加していませんでしたが、司祭さん(というのでしょうか)たちは、礼拝堂の仕事が無いときは基地の維持管理の仕事もしているそうです。鐘楼の鐘は本格的なもので、これが鳴っていると南極というよりロシアの北極海沿岸の町なのでは、と思ってしまいます。

 ベリングスハウゼン基地では、Bulat Mavlyudov(ブラット・マブリュードフ)さんと凍土環境などについて情報交換をしているとき、北大低温研や成瀬先生、Isenko(イセンコ)さんの話がでて驚きました。今年1年越冬だそうです。

 ロシア基地とはちょっと関係ありませんが、お知り合いの方が多そうな方の消息といえば、IAA(アルゼンチン南極研究所)のPedro(ペドロ)さんにMarambioでお会いしました。お元気で、相変わらず早口&毒舌でした。でも、Marambio基地にずっとおられたようで、キャンプには無線で指示を出しているだけのようでした。

 おかげさまで、最終的にはBellingshausen基地に2泊した後にMarambio基地に飛ぶことができ、そのあとは、きつい日程ではありましたがスムーズに移動ができました。今回は南極の各国基地の連携に助けられました。関係者にお礼申し上げます。

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情報”マチュピチュ棚田;チリ氷河洪水;南極棚氷破壊;小水力;クマ捕殺;ブナ林探策;南極ロシア基地” (NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎/BIGLOBEウェブリブログ
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