(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

アクセスカウンタ

zoom RSS 情報”シャモニ・モンブランの旅 (1) - (15)” [文と写真] 成瀬廉二

<<   作成日時 : 2012/09/15 12:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

             モンブラン(Mont Blanc[白い山]: 4810 m)

 (1) No.2352

 標高3000〜4000 m級の山々が連なり、登山、スキー、氷河研究の発祥の地の一つでもあるシャモニ・モンブラン地方は、30年ほど前から一度は訪れたいと思っていたところである。そこは、フランスの東端、スイスとイタリーとの国境に隣接し、冬期(12−4月)はスキーほか、夏期は登山、ハイキング、観光などの目的で、世界各地から大勢の旅行者が集まる。1924年に第1回冬季オリンピックがこの地で開催されて以来、シャモニの地名が世界的にも有名となった。

 シャモニは、行政的にはローヌ・アルプ地域(Rhone-Alp Region)のシャモニ・モンブラン町(Chamonix Mont-Blanc Commune)であり、ほぼ東西に走るシャモニ谷に沿って、リゾートタウンが発展している。街の中心部の標高は1035 m。
画像

               シャモニ・モンブランの街

 シャモニ・モンブランへの最寄りの国際空港はスイス・ジュネーブである。同空港からシャモニまで88 km、直行バスか車なら2時間弱で行ける。しかし、夏のシーズンも終盤にかかった9月5日は、直行バスが早朝と夕方の2本しかなく、列車2本とバスを乗り継いで、レマン湖の北側(スイス)をぐるりと廻って、ジュネーブから4時間でシャモニへ入った。


 (2) No.2353

 今回の旅では、行きたいところ、見たいポイントは大小たくさんあったが、その内の最大のハイライトは、エギュイユ・デュ・ミディ(Aiguille du Midi、3842 m)の山頂展望台からアルプスの山々や氷河や雪原をじっくり眺めることであった。

 その目的が達成されるか否かは、天候の条件に強く依存する。この場合、天気の状況を大まかに分類すると、1)快晴または晴、2)下界は曇りまたは雨、しかし山頂は雲の上、3)山頂は雲(霧)の中、4)暴風雨、が考えられる。もちろん1)がベスト、2)は雲海の上から山々の頂部を望むので趣があり次善、3)は視界が全くないので遠景の見物という点では不可、4)は空中の乗り物が運休するので問題外である。というわけで、天気さえ良ければ、まず第一にエギュイユ・デュ・ミディへ、ということにした。

 Aiguille(日本語のガイドブックやネットでは、エギュイユ、エギュイーユ、エギュイ、エギーユなどと表記されている)とは、針、尖塔の意味である。したがって、エギュイユ・デュ・ミディは鋭い頂上をもつ岩峰である。シャモニから、大型のロープウェー(英語ではcable carと呼ばれている)にて、中間駅(Plan de l'Aiguille:2310m)で乗り継ぎ、エギュイユ・デュ・ミディ北峰頂上(3777m)へ計約20分で到達する。

画像

         中間駅から見上げるエギュイユ・デュ・ミディの岩峰

 北峰頂上へ向かうケーブルには支柱がなく、キャビンは山頂からほぼ鉛直に引き上げられている感じである。北峰の山頂駅から橋を通ってエギュイユ・デュ・ミディ主峰に渡り、そこからエレベーターで主峰山頂の展望テラス(3842 m)に上がることができる。

 わずか30分程度の間に高度差2800mを一気に上ってしまうことは今まで経験がなかったので、呼吸とか動悸とかふらつき等がどうなるのだろうかと、一抹の不安はあったが、結局は、何も運動をしないで景色を眺めているだけだったので、何ら異変を感ずることはなかった。

 
 (3)  No.2354

 尖塔エギュイユ・デュ・ミディ主峰の頂上は思ったより広かった(写真)。山頂というよりビル屋上の展望テラスである。360度方向を眺望できるが、谷側(北方向)は2800 m下の街を眼下に俯瞰する。テラス周囲の手すりの高さは、高すぎず、低すぎず、したがって景観の迫力をそぐことなく、高所の恐怖感を生じさせず、ちょうど良い。

画像

 写真中央の白い帽子状の山がアルプス(かつ西ヨーロッパ)最高峰のモンブラン(Mont Blanc[白い山]、4810 m)である。その左の大きな岩峰がモンブラン・デュ・タキュール(Mont Blanc du Tacul: 4248 m)であり、モンブランから右(西)へ伸びる尾根の先にドーム・デュ・グーテ(Dome du Gouter: 4304 m.前報2の写真の右端の雪山)がある。

 アルプスの山々は氷河により侵食された鋭い岩峰が多いが、このモンブラン山塊のみは、雪と氷に覆われたなだらかな山容であり、積雪期の北海道大雪山を思わせる。しかし、ここは大雪山系よりも2500 mも高い。

 モンブランの山の高さは、従来の測量では4,807 mであったが、2002年にGPS測量により4810.40 mに修正され(地図やガイドブックではこの標高)、2005年のGPS再測定では4,808.75 mとなった(www.ehow.comより)。この相異は測定法の違いによるものではない。

 モンブラン山頂は氷で覆われ、その上に雪が積もっている。山頂部は標高が高く低温のため、融雪や昇華による消耗は無視し得る程度に少ない。一方、頂部の氷は周囲に流れることにより厚さを減ずる。ちょうど、ソバを打つとき、左右に引っ張るとソバが薄く(細く)なるのと同じ現象である。したがって、1年間に積もった雪の厚さと氷厚の減少分が等しければ、山の高さは不変となる。一般には、年により、どちらかが大きくなる。

 Vincent・他(2007, JGR, vol.112)の観測と数値計算によると、モンブランやドーム・デュ・グーテの山頂は、過去約100年間、降雪量の年々変動により氷の厚さ(すなわち、山の標高)は3 m以内で変動してきたが、このような高所では地球規模の気候変動(温暖化)の影響は認められない、とのことである。


 (4) No.2355

画像

 写真は、エギュイユ・デュ・ミディ主峰頂上から南方向の雪原を見下ろした光景である。表面は雪であるが、その下は氷であり、この辺りは氷河の源流域となっている。

 多くの登山者またはトレッカー等が、手前のエギュイユ・デュ・ミディ頂上から稜線に沿って下っている。ちょっと見た限りにおいては、アイゼン(クランポン、靴底の爪)さえつけていれば誰でも気軽に雪の坂道を下れるように思われるが、よく見ると横向きに歩く人もおり、かなりの急傾斜だと思われる。さらに、稜線の左側は雪の急斜面で、足がすくみそうである。

 写真の奥は、比較的表面が平坦な雪原になっており、この先は東のタキュール(Tacul)氷河と西のボッソン(Bossons)氷河の源頭が接するミディ鞍部(Col du Midi, 3532 m)につながる。左側の鋭い雪の稜線の左側は、シャモニ谷に落ちる断崖である。写真右側の急斜面には、氷河の流動方向に直角に激しいクレバスが発達している。そのクレバスを横切って少し下ると、コスミック山小屋(Refuge des Cosmiques、3613m)がある。

 平坦な雪原上を、4人のパーティーが3組、左から右に歩いているのが見られる。写真を(クリックして)拡大して見ると、一番後ろのパーティーはお互いをロープでつないでいるのが認められ、この場所では、滑落よりもヒドンクレバス(隠れた割れ目)に対処しているのであろう。一般に、なだらかな傾斜の広い雪原や氷河ではクレバスはないが、周囲が急傾斜の場合は、平坦部分にもクレバスが生成され得る。そのクレバス帯が、写真右側のように表面に露出していれば迂回または最大の注意を払って通過できるが、薄い雪に覆われるとヒドンクレバスとなり、危険度は増す。

 写真で見る限り、荷が少ない人、大きなザックを背負っている人、多様である。彼らが何の目的でどこへ向かっているのか知る由はないが、考えられることは、トレッキング、雪上(高所)訓練、モンブラン・デュ・タキュールの登山(続いて、モンブラン登山もあり得る)、エギュイユ・デュ・ミディの岩登り、あるいはコスミック山小屋への行きか帰り、であろう。


 (5) No.2356

画像


 エギュイユ・デュ・ミディ北峰の頂上にいたとき、岩壁を登ってきた3人のパーティーを見かけた(写真)。トップは間違いなく山岳ガイド、2番目は初心者または初級者、後ろはかなり慣れた人と思われた。3人とも、靴にアイゼンをつけて岩を登ってきた。おそらく、岩壁というよりは、主に氷壁を利用した登攀なのだろう。
 
 その後、登山者は北峰頂上のフェンスを乗り越えて、展望台へ到着し、これで登攀は終了である。客の2人は満面の笑顔で、ガイドにハイタッチと軽いハグの後、感謝と感動の言葉を述べていた(ように思う)。

 ロープを巻きつつ装備を整理しているガイドに聞いてみた。
 「どこから登ったのですか? 何時間かかって? いや、何日かな?」
 つまり、このときは午前10時少し前だったので、エギュイユ・デュ・ミディの中腹付近から登ったとすると、最低一泊は岸壁の途中でビバークしたか、あるいはどこかに避難小屋があるのかと思ったのである。

 「いやー、すぐ下からさ。3時間の簡単なコースだよ」と、ガイド。
 それを聞いていた客(登山者)の一人が、目を大きくして、まだ興奮が冷めぬ面持ちで、
 「いや、いや、易しいコースなんかじゃないよ。緊張し、大変だった。難しかったけど、充実し、素晴らしかった」というような内容を、まくし立てていた。

 その時は、所要3時間と言うのでシャモニを朝発った半日コースだろうと思った。しかし、ロープウェイの始発は、夏のハイシーズン(7,8月)は06:30だが、9月は08時過ぎである。だから、朝シャモニ発はあり得ず、前日エギュイユ・デュ・ミディ山頂駅からコスミック山小屋へ下り、1泊し、早朝出発したものと思われる。

 写真の背景中央がモンブラン、左端がモンブラン・デュ・タキュール、右端の丸い雪山がドーム・デュ・グーテである。


 (6) No.2357

 ふたたびミディ主峰の頂上から東の方向を眺めてみよう。前々回(4)の雪原の向こうの山々である。展望台の案内表示と、地形図と、写真を見比べて、はっきり確認できた山を記号で示す。
画像


 ほぼ真東のJは、ヨーロッパ3大北壁の1つと言われるグランド・ジョラス(Grandes Jorasses, 4208 m)である。有名な北壁は、写真の左側の急峻な岩壁である。

 グランド・ジョラスの手前には、ここからは谷の中で見えないが、フランス最大の氷河メール・ド・グラス(翌日訪れる予定)が存在する。その向こう隣の谷に、フランス第2の氷河アルゼンティエールがある。

 Jの右の鋭く尖った岩峰Dは、ダン・デュ・ジュアン(Dent du Geant, 4013 m)である。インターネットを見ると、こんな奇尖峰にも登山者は少なくないらしい。

 モンブランからグランド・ジョラスにかけての稜線の山々は、フランスとイタリーの国境にある。すなわち、頂上のこちら側はフランス、向こう側はイタリーである。そして、遠くの山々はスイスである。大きく目立つ岩と氷のCはグラン・コンバン(Grand Combin, 4314 m)、低く見えるが遠くの大きい山塊Mはアルプス第2の高峰モンテ・ローザ(Monte Rosa, 4634 m)である。


 (7) No.2358

 シャモニ谷の北側には、2000〜3000 mの山が連なり、シャモニ町に面する南斜面には氷河や万年雪(雪渓)はない。しかし、冬季はスキーやボードに恰好な長大斜面で、数多くのスキーリフトやロープウェイが設備されている。その内のいくつかは、登山、ハイキング、観光、マウンテンバイク、パラグライディング等のため、積雪期以外でも運行している。

 6日午後、ロープウェイにてプランプラ(Planpraz, 1999 m)まで上がり、少し散歩した。そこから、シャモニ谷を隔てた対岸を見た写真を示す。連日晴または快晴が続いていたためか、谷の下層には薄い靄(もや)が漂っており、低い高度から眺める遠景は、やや鮮明度またはコントラストが落ちる。

画像

 写真の左端が午前中に滞在したエギュイユ・デュ・ミディ(3842 m)、そこから右へモンブラン・デュ・タキュール(4248 m)、モンブラン(4810 m)、ドーム・デュ・グーテ(4304 m)、さらに写真の右枠外にエギュイユ・デュ・グーテ(3863 m)がある。

 写真中央の急傾斜の氷河が、モンブラン山頂を源頭とするボッソン(Bossons)氷河である。全長7.2 kmの大きい部類の氷河で、氷河末端の標高は1190 m、平均傾斜はおよそ30度、部分的には45度にも達しているようである。そのため、全域にわたり激しいクレバスが発達し、登山者、研究者もよほどの事情がない限り立ち入ることはないと思われる。

 モンブランの登山ルートは、地元山岳ガイドのウェブサイトによるといくつかあるが、最も一般的で平易なものは、エギュイユ・デュ・グーテを経由する尾根コースである。シャモニ町の西の端(Les Houches)からロープウェイと登山電車で2372 m(Nid d'Aigle)まで上がり、そこから急ぎ足の5時間でグーテ山小屋(3817 m:シーズン最盛期は予約必須)に達する。翌日未明(3時)に出発し、登頂後、夕方までにシャモニに帰着する。特に危険や難度の高い箇所のないルートだそうだが、高所馴化が不可欠で、山岳協会は前もって3500 m以上にて3、4日眠ることを強く勧めている。
 (筆者は今さら、機会があったら登りたいと思っているわけではないが、山を見ながら、登るとすればこういうルート、とか想像することは楽しいことである。)


 (8) No.2359

 次の日(9月7日)は、シャモニ・モンブラン観光・見学のもう一つのハイライトであるメール・ド・グラス(Mer de Glace)氷河に向かう。実は、ミディ峰ロープウェイの中間駅プラン・ド・レギュイユ(2310 m)からメール・ド・グラスまでハイキング・トレールがあり、距離約5 km、高度差400 mの緩やかな下り、所要時間は2時間程度と思われた。ミディ峰頂上展望からの帰途、時間は十分ある、天気は申し分ない、シューズとウェアーと水と非常食は準備してあったので、ハイキングへの誘惑が強かったが、断念した。行けば、シャモニ地方のメインイベントを1日に2つもこなしてしまうことになるからである。メール・ド・グラス探訪は翌日にとっておきたい。

 メール・ド・グラス氷河は、19世紀中葉、「氷河はなぜ流れるのか」を実証的に解明するための現場の一つであった。すなわち、スイスの博物学者アガシー(Louis Agassiz)が1839-1842年にスイス・ウンテルアール氷河(Unteraargletscher)にて、イギリスの物理学者フォーブス(James D. Forbes)が1842年にメール・ド・グラス氷河にて、それぞれセオドライトを用いて氷河流動の詳細な測定を行った。この観測結果をもとに、フォーブスが提唱した「固体の氷が粘性流体のように流れる」説は、現在でも近似的には正しいと認識されている。

 また、本BBS(情報の広場)でも、2007年8月、スイス・ジュネーブの小学4年生(当時)三上真穂さんが氷河の自由研究のために質問を、および同9月にはメール・ド・グラス氷河の見物記を投稿した。さらに、2010年4月、英国建築家協会建築大学(ロンドン)の石川芙紗子さんから、メール・ド・グラス氷河の模型の設計研究に関する途中経過の報告があった。
http://npo-glacier.at.webry.info/200708/article_1.html
および 201003/article_2.html に収録)

画像

 シャモニの駅裏から登山列車(rack railway:歯形軌条式鉄道)で5.1 km、高度差871 mを20分かけて登ると、標高1913 mのモンタンベール(Montenvers)に到着する。終着駅に近づくと、車窓から谷の下にメール・ド・グラス氷河が見えてくる(写真)。モンタンベールには1880年にオープンしたホテル(Grand hotel)があり、現在も夏期には営業している。蒸気式登山列車の開業(1909年)前は、宿泊客(の一部?)は、ラバの背や駕籠のような物(sedan chair)に乗って来たそうである。


 (9) No.2360

 
画像

 写真は、モンタンベール駅前、カフェテラスの上から見下ろしたメール・ド・グラス氷河である。30年前頃の写真と見比べると、ずいぶん小さくなった感があり、全体にモレーン(岩屑、砂)を薄くかぶり、迫力が少し落ちた、というのが私の第一印象であった。モンタンベール駅のすぐ(40-50 m?)下に、「1820年の氷河位置」という標識があったので、当時なら谷を一杯に埋めた氷河は、まさにMer de Glace(氷の海)のようであったのだろう。

 この氷河の長さや面積について、地元の観光リーフレットやインターネットのサイトによりいろいろな数字が示されており、その相違は氷河の年変動(前進/後退)にしては大きすぎるので怪訝に思っていた。地図を見ると、写真左(氷河の右岸側)の支流はLeschaux氷河と、左岸側の山の陰の支流はTacul氷河、更に上流の涵養域はGeant氷河と名づけられている。「メール・ド・グラス氷河の源頭は標高2400 m」(Wikipedia)や、「氷河の長さは7 km」(compagniedumontblanc)というのは、支流を除いた本流のみ、ほぼ写真に見えている部分を指していることが分かった。

 氷河学的には、氷河の上に降った雪が同一の氷河末端に流れてくる領域は、一つの氷河である。世界の氷河変動データ集(WGMS, 2008)によると、同氷河は標高3600 mから1480 mまで、全長12 km、面積33平方kmである。また同氷河は、1970-80年代はやや前進したが、1995〜2005年の10年間は非常に大きく370 m(年平均37 m)も後退した。氷河の前進/後退は、氷河末端の位置のみの観測結果だが、一般的には氷河が後退すると広い地域の氷が薄くなり、氷河幅も狭まり、流動などの活発度も低下する。

 なお写真中央、氷河本流と右岸支流の間に聳える岩峰は、本連載(6)で見たグランド・ジョラス(4208 m)、その右端の尖峰はダン・デュ・ジュアン(4013 m)である。


  (10) No.2361

 モンタンベール駅から氷河へ向かうゴンドラ(ロープウェイ)が運行されている。ふつうの観光地なら、ゴンドラやリフトは高い方に上って行くのだが、ここでは谷に向かって下りてゆく。

 メール・ド・グラス氷河の紹介記事(glacierchange.wordpress)によると、モンタンベール付近では氷河の厚さが1820年以来150 m薄くなり、その内、最近の20年間で70 m薄くなったそうである。また、氷河中央部にて、人工衛星イメージ(SPOT)、航空写真、DEM等の解析により、氷河の厚さが1979-1994年に1 (+-0.4) m/年、2000-2003年に4.1 (+-1.7) m/年の割合で薄くなりつつあることが明らかとなった(Berthier et al., 2004)。

 観光用の氷河トンネルは、氷河の末端に近い、標高およそ1600 m付近にある。つまり、モンタンベールから約300 m下である。ゴンドラはその中間付近が終点になっている。ゴンドラ建設時は、その付近が氷河表面だったのであろう。

 それからさらに氷河は年々薄くなり、縮小しているので、ゴンドラ終点から工事現場のような鉄製の階段が、岩壁に沿って350段(高度差100 m弱)が設置されている(写真)。氷河トンネルまで行こうとする観光客は、1段の高さを22 cmと仮定すると、ちょうどビル20階を下って、上ることになる。

画像

 写真の右上に見える4つの赤い箱がゴンドラ、そのすぐ右下が終点駅、左上方の円形の建物がモンタンベール駅前カフェテラスである。この写真だけを見ると、採石場か鉱山の露天掘りの現場のようである。


  (11) No.2362

 階段を下り終え、埠頭から船にかけられたタラップのような小さな橋を渡ると、氷河トンネルの入り口である。案内板には“Grotte de glace”(氷の洞穴)とある。入場は無料、さらに観光最盛期を過ぎたためか、入り口には係員は誰もいない。自由に中に入って行く。
 
 高さ2.5 m、幅1.8 m位のトンネルが氷河の中央に向かって掘られてある(写真)。途中、ところどころに展示用のブースや氷壁に調度品を置くニッチがある。観光地によくある、写真を撮って2、3分後にプリントを販売する写真屋さんがいた。トンネルは奥でループを描き、同じ通路を通って外に出る。

 氷河の底部に自然に形成されたトンネルや洞窟は、世界中のいろいろな地域の氷河にもあり、それらの内には、ガイド付トレッカーや一般の旅行者も自由に入ることができる洞穴もある。これらは、まさに氷河の底にいるという迫力と荘厳さがあるが、氷の融解や破壊の変化が激しく、観光場所としては安定的ではなく、危険もともなう。

 メール・ド・グラスのように人工的に氷にトンネルを穿って観光に供しているところは、他には、やや質が異なるがスイス・ユングフラウヨッホ頂上(3454 m)にある。こちらのメール・ド・グラスは、氷河の流動と洞穴の変形のため、毎年新たに掘りなおしているそうである。

 
画像

 なお、写真に見られるような、青々としたトンネル内の情景は、青い照明のためである。氷河の表面や側面のクレバス、ムーラン、洞穴などを覗き込むと、入り口付近の氷は鮮やかな青に見えることが多い。これは、氷河の表面に入射した太陽光が、氷の中を透過する過程で、赤い光がより多く吸収され、次第に青っぽい光のみが透過または反射されたことによる。しかし、光のみちのりが10 m−20 mよりも長くなると、青い光もほぼすべて吸収され、暗くなる。もし、ここのトンネルの内部に照明がなければ、普通の山のトンネル同様真っ暗である。そこに白色光の電球を点ければ、ただ氷壁が白色を反射して洞内が明るくなるだけで、写真の様に青くはならない。


  (12) No.2365

画像

 氷河トンネルの入り口付近の写真を示す。右の方にブルーシートが敷かれたところが、現在の入り口である。その左(氷河下流方向)に、旧い穴が3つ確認できる。毎年トンネルを掘り直しているそうなので、すぐ左の穴が昨年、その左が2年前、次が3年前ということになる。古いほど穴の径が小さいことが認められる。

 このトンネル周辺の氷河の流動速度は不明だが、氷厚は小さく、傾斜が緩く、表面にはデブリ(岩屑、土砂)で多く覆われていることから、流動がかなり不活発に(stagnant)なっていると考えられ、公表されている速度(後述)の内の最小値40 m/年よりさらに小さいと推測できる。今年と昨年の穴がなぜかすごく隣接しているが、昨年と一昨年、およびその前年の穴との間隔は、20-30 m程度なので、概ね1年間の移動距離と一致する。

 4年前さらにその前の年の穴が見当たらない。これは、氷の荷重によって4年間で完全につぶれたものと考えられる。大きな氷河の底面に自然に形成されるトンネルは、春から夏の終わりにかけて、融氷水が氷河底を流れるときの熱で氷が融けて成長し、秋から冬にかけて氷河底の水流がなくなると、氷河の荷重によってトンネルが縮小し、条件によっては半年で閉じてしまう。メール・ド・グラスのトンネル部分は、写真でも明らかなように氷が薄く、したがって荷重も小さく、3、4年はつぶれずに存在したものと思われる。

 写真でも分かるが、現在のトンネルの上部付近は、デブリを排除し、何らかのシートで覆われていた。何のためか確認することはできなかったが、これは断熱シートではないかと思う。見て明らかだが、トンネル上部の氷が十分厚くなく、融解が進むとトンネルの天井の氷が薄くなり、強度が低下して、崩落の可能性が生ずるような気がした。

 同地域の紹介記事(showcaves.com)によると、地元関係者でも、現位置のトンネルは限界に近く、数年以内に数百メートル上流に移動することが望ましい、と検討しているそうである。しかし、観光客を導くゴンドラや階段などの新設には、非常の多額の費用がかかり、さらに移転したとしても、この氷河後退傾向の中でいつまで持つかが、大きな問題である。

 また、氷河の融水を水力発電に利用するため、1973年、同氷河の末端に近い標高1,490 m、氷厚200 m の下に取水トンネルを完成させたが、現在は取水口が氷河の外に出てしまい、さらに1 km上流に向けて取水トンネルを建設している(showcaves.com)。この2例は、地球温暖化が地域の“産業”に及ぼす間接的、いや直接的な影響と言える。


 (13) No.2367

 トンネルを見学後モンタンベールへ戻り、さらにメール・ド・グラスの中流域を詳細に見たく、左岸側の尾根のトレールを上流方向に高度200 mほど上った。すると、予期した通り、モンタンベール(本連載9の写真)からは識別できなかったものが見えてきたのである。下流方向に凸の放物線状の縞模様である(写真)。

画像

 これはオージャイブ(またはオーギブ:ogives)である。オージャイブの写真は、本ウェブサイト『氷河・雪氷圏辞典』に「オージャイブ」の解説とともに掲載されているが、メール・ド・グラスのほぼ同じ地点から撮ったものである(撮影:亀田貴雄、1989.8)。23年前は、縞模様が現在に比べてかなり鮮明な感じである。

 原出典を確認していないが、この氷河がメール・ド・グラス(氷の海)と名づけられたのは、海の様に広いからのみではなく、オージャイブの縞が波のようだから、とのことである。

 オージャイブの成因には多種あるが、主のものは、氷河がアイスフォールを通過するとき、夏と冬の流動速度の差や、降雪の有無により、一年に一組の明暗の縞模様が生成されることによる。すなわち、この縞模様は氷河上に記された年輪とも言える。この年輪は、氷河の流れとともに下流に移動し、流動速度の大きいところでは縞の間隔が開き、速度の小さいところでは間隔が狭くなる。したがって、縞模様の一つの間隔が、その地点の一年間の表面流動速度を示し、氷河の流動が可視化されている珍しい表面模様である。

 2009年のGoogleイメージでは、この氷河の中流域の4.6 kmの区間に48本の縞が識別できるそうである(glacierchange.wordpress.com)。そうすると、この地域の平均の流動速度は約100 m/年ということになる。

 メール・ド・グラスの流動速度は、インターネットや印刷物を調べた限りにおいて、年間120 m、90 m、70 m、40 mとさまざまな値が示されている。これらは、いいかげんな信頼できない数字というわけではなく、流動速度は氷河の場所により、年により、季節により大きく変化することもあるので、十分あり得ることである。オージャイブから求めた流動速度は実測値の範囲内に入っており、妥当な結果と言える。


  (14) No.2368

 ここシャモニに滞在中、毎日朝から午後まで、ひっきりなしにシャモニ谷の上空に写真のような飛行物体を見た。ときには、ぶつかったり、紐が絡まったりしないのだろうかと心配になるほど、同時に多数が空を舞っていた。これは、パラグライダーである。写真のグライダーは二人乗り(タンデムという)で、インストラクターと初級者なのだろう。本連載(7)の写真の左下にも写っている。

画像

 シャモニの街中にパラグライダーの着陸地点がいくつかあるらしい。皆がどうやってその目標にめがけて下りてくるのか、着陸場に見に行った。そこは、スキーリフトの下方、子どもや初心者用の緩い傾斜のゲレンデだった。

 その草付広場の中ほどで、中年の大柄な男性が翼(キャノピーという)を大きく広げてたたんでいた。そちらへゆっくり近づきながら、私は
「やー、いま飛んできたのですか?」と、見れば分かる、当たり前の質問をした。
すると彼は、「よく訊いてくれた、待ってました」とばかり、一気に話し始めた。飛び立つまでは仲間と一緒にいたのかもしれないが、その後はずーっと孤独で、着地しても誰も出迎えがいない。もしかしたら、予定地ではない場所に着陸したのかもしれない。

 彼は、わざわざ見に来て話しかけた私をパラグライディング同好者、いや元インストラクターとか思ったのかもしれない。(フランス語ではなく)英語ながら、10分ほど喋べり続ける中に、専門用語や、飛行技術に関わることがたくさんあり、全体の90%は理解できず、分かったことは、以下のことのみであった。
「いやー、私、下手なんですよ。きのうは、着地するとき大きく尻もちをついちゃった」
「今日は、谷の両側は、上昇気流がすごく強かった。計器(高度計か、風速計か?)を見ながら操作をしたが、ここに下りるのにすごく苦労した。ほんとに、難しかったー」

 どこから飛び立ったのか訊きそびれてしまった。プランプラ(2000 m付近)には何人か準備中のフライヤーを見かけたし、ミディ北峰頂上(3777m)の東の下方の雪原も格好の離陸地点の一つだそうである。そう思って本連載(6)の写真をよく見ると、雪の尾根のシャモニ谷側に、何人かが集まっているのが認められる。離陸準備中だったのかもしれない。

 私はこの日まで、パラグライダーとパラシュートとは、傘の形が異なるが、本質的に何がどう違うのか全く知らなかった。帰国後、いろいろ調べて分かったのだが、パラグライダー(Paraglider)はパラシュート(Parachute)が進化したグライダー(glider)である。これに似た飛行スポーツに、固体の翼に吊り下がって滑空するハング・グライダー(hang glider)や、モーターボートや自動車に引っ張られてパラシュートが舞い上がるパラセーリング(parasailing)がある。しかし、パラグライダーの飛行の原理は、これらとははっきり異なる。

 パラシュートは上空から降下するだけだが、パラグライダーは翼(ナイロンまたはポリ系繊維の布)が風を受けると、飛行機の主翼の役割を果たす。すなわち、翼の上面、下面の気圧差により上向きの揚力が生ずる。パラグライダーは、この揚力と、重力と、風の抗力と3つのベクトルがほぼ釣り合いながら、パラシュートに比べれば非常にゆっくりと滑空しながら降下する。そして、うまく上昇気流に乗れば、再び上空に上がり、条件によってはいつまでも飛び続けることができる(Echo Valley Green Grass Paraglider SchoolのHP、他を参考)。

 バラスト(砂袋、荷)を捨てない限り重力は変えようがないので、左右の紐を引っ張って翼の形と向きを調整し、揚力と抗力の大きさを変化させ、目的の地点に向けて飛行するのであろう。さらに、その運動は三次元である。なかなか奥が深いスポーツだ。


  (15) No.2369

 3泊3日のシャモニ滞在中、希望していた場所へはすべて行った。避暑を兼ねたヨーロッパ人の長期滞在者も多く、目的により見物や散策するところはまだまだたくさんあるが、3日間でもひとまず満足できた。滞在先のホテルも、インターネットで隈なく調べ、総合的に判断して決めたが、予想通りか以上か、窓から正面に山が見える部屋だった。

画像

 写真は、朝06:30、カーテンを開けたときの景色である。何回も同じ山を紹介して恐縮だが、撮った場所(したがってアングル)と日時が違うため、撮影者としては全く別のショットなので、勘弁願いたい。写真の右の尖った山がエギュイユ・デュ・グーテ、その左の大きな雪山がドーム・デュ・グーテ、その左奥の小さく見える白い山がモンブラン、一番左の鋭い岩峰がエギュイユ・デュ・ミディである。

 9月初め、日本の新聞等で、「モンブランの氷河から46年前の墜落機の残骸発見」のニュースが報じられた。同記事は、「ハイキング客が、アルプス最高峰モンブランの下で車輪のようなものを見つけたとシャモニー観光局に通報。山岳救助職員らが現場に向かい、当時の新聞のほか、外交文書が入っている麻袋を回収した。1966年1月墜落し、乗客乗員117人全員が死亡したエア・インディア機の残骸とみられる」(AP=共同ほか)という内容であった。

 これの詳細を知りたく、AFPやAP通信の記事を調べた結果、以下の状況が分かった。8月下旬、ハイカーがボッソン(Bossons)氷河の表面に光るものが見えると、観光事務所に連絡があり、調査に向かった山岳救助職員が飛行機の車輪1個、靴1足、および外交文書入りのポーチを発見した。

 ボッソン氷河は、写真中央の急峻な氷河である。普通のハイカーがこの氷河の上を歩くとは考えられないので、氷河の側岸か末端付近から異物を見たのだろう。旅客機が墜落したのがモンブラン山頂付近の雪原だとすると、雪に埋もれたり飛散して捜索時には回収されなかった物品が、後の積雪により氷河内に取り込まれ、下流に向けて流れてきたものと思われる。ボッソン氷河の長さは7 kmなので、その区間を46年かけて運搬されたとすると、平均の速度は年間150 mとなる。山岳氷河の流動速度としては標準的な値である。

 シャモニを発ってから鈍行列車を3つ乗り継いで、 フランスの古都リヨンに立ち寄り、その後パリにて主に美術館を巡り、9月13日、予定通り帰国した。

               (おわり)



月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
情報”シャモニ・モンブランの旅 (1) - (15)” [文と写真] 成瀬廉二 (NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる