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zoom RSS 情報”北極グ氷床15%減;雪氷大会;三徳山;扇山探策;パ氷河洞窟;紅葉大山扇山;らっきょ;邪馬台国”

<<   作成日時 : 2011/10/06 12:00   >>

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北極グリーンランド氷床15%減少の誤報騒動 

            成瀬廉二、2011/10/06、No.2218

 Cryolistという、世界中の氷河研究者や氷河に関心をもつ一般人の多くが加入しているメール網にて、標記の話題について、9月16日から26日までの間に約64件のメールが飛び交った。口火を切ったのは、ヒマラヤなどアジアの氷河変動を研究しているJeffrey Kargel(アリゾナ大学)である。メールに添付されたり、リンク先の主な記事を含めると、ざっと15万語(words)におよび、A5版にすると約300ページの本になる勘定である。とても全てを読めないし、理解のおよばぬ論説もあるが、この問題に強い興味を抱いたので、とりあえず、さーっと一通り目を通した。

 問題の経緯は次のようなものである。世界的に権威のある「タイムズ世界包括地図帳」(The Times Comprehensive Atlas of the World )の第13版が刊行されるにあたって、9月15日、出版社(Harper Collins)の代表が記者発表を行い、「グリーンランドが緑に変わりつつある」、「第10版(1999年)からの12年間に、グリーンランドの氷の面積が15%減少し、イギリスとアイルランドを合わせた面積30万平方キロメートルが陸になった」、「30年以内に、グリーンランドが激変する転換点(tipping point)に達するかもしれない」と述べたのである。これが、メディアやネットを通じて世界中に報道された。

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 左の図がこのたび出版された第13版地図、右がMODIS衛星イメージのモザイク画像(2011年8月14,15日)である(スコット極地研究所SPRIの声明文に添付された図より)。タイムズ地図(2011年)では、グリーンランド中央部東側では氷が大きく後退し、陸地が広く描かれている。

 メール網では多くの人がさまざまな内容の意見を述べたが、氷床や雪氷に関わるコメントの主なものを挙げてみよう。「図化者が、あたかも500 mコンターを氷床縁辺と誤描写したみたいだ。陸地とされた地域に、数多くの氷河や永久氷が存在している」(Poul Christoffersen、SPRI)。

 「衛星画像では、時として、氷床縁辺の濡れた氷やダストに被われた氷は、内陸の積雪と見え方が異なることがあり、図化者が雪域と氷域の境界を氷床縁辺と見誤った可能性もある」(J. Kargel)」、「図化者が、7月初めのMODIS画像に基づいていたとすると、融解期初期のため、氷と陸との境界が不明瞭のこともある。8-9月の融解期後期の画像を併用しなくてはならない」(Hester Jiskoot、レスブリッジ大学)。

 また、グリーンランド氷床が現在縮小し、氷厚を減じていることは、みな異論はない。グリーンランド氷床の氷は現在290万立方kmであり、年間の減少率は200立方kmと見積もられるので、体積減少率は12年間で0.1%程度である(SPRI)。上述のグリーンランド氷床の面積減少率が12年間で15%とは、桁が大きく異なる。

 今回のグリーンランド地図は、主にNSIDC(National Snow and Ice Data Center)の氷厚分布図に基づいていたそうだが、図化者の解釈の誤りが原因だったらしい。Harper Collins社も誤りを認め、今後は氷河学者等の意見を十分とり入れると表明した。地図も、グリーンランドのみ訂正版を作る方針になったようである。

 この”誤報”が発表されたとき、多くの氷河研究者は「ヒマラヤ2035問題」(Himalayagateとも言われる)が頭をかすめたらしい。しかし今回の騒動(Atlasgateと言うそうである)は前回のものとは異質である。前者は、IPCC第4次報告書(2007、WG2)が「2035年またはそれ以前までにヒマラヤの氷河は消えてなくなる可能性が非常に高い」と述べたことであり、これは一流雑誌とは言えない(WWF, 2005)を引用したもので、WWFも口頭による聞き取りをもとに出版したものであった。つまり、Himalayagateは、IPCCのこの章の執筆者および査読者たちが、出典の信頼性を十分に精査しなかったことに起因する。一方今回のAtlasgateは、世界中に投じた波紋は小さくはないが、単に図化者の誤読や誤解釈に基づくものであった。

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雪氷研究大会(2011長岡) 

           成瀬廉二、2011/10/01、No.2217

 去る9月19−23日、新潟県長岡市において雪氷研究大会(2011)が開催され、400人超が参加し、130件の口頭発表と129件のポスター発表が行われた。この他、21の分科会・シンポジウム・企画セッションと17種の委員会が開かれ、相当込み入った過密プログラムであった。

 雪氷研究大会は、3年前の2008東京から、(社)日本雪氷学会と日本雪工学会との共同開催で行われている。後者の雪工学会は、1986年、雪氷学会から工学系の研究者・技術者等が分派して設立された。ところが、同じ雪と氷を扱っているのに、両団体が研究発表会を無関係に別々に開催するのは、無駄が多いとともに、情報の交換が効率的に行えない等の理由により、年1回の研究発表会だけは合同で行うことになった。

 ところで、"合同"に加え、雪氷研究も時代とともに進展、拡大してきたので、研究発表会の様相も変化してきた。そこで、40年前と現在の雪氷研究発表大会のセッション(分科)名を以下に列挙し、比較してみる(プログラムの順番による)。

[1971札幌]雪氷学会秋季大会
積雪工学、ふぶき、氷結晶・物性、水の凍結、凍上、電線着雪・樹氷、積雪観測・積雪測定、なだれ・斜面積雪、融雪、降積雪・流氷、極地・雪渓・氷河(以上、11セッション、発表件数:口頭のみ、84件).

[2011長岡]雪氷研究大会
防災計画・建物と雪、氷河・氷床、雪氷物理、雪崩、気候変動1・融雪、雪氷化学、積雪の構造、鉄道・道路、吹雪・吹雪対策、凍土、雪利用技術、降雪・着氷雪、地すべり・雪崩対策、海氷・気候変動2、衛星観測・計測技術、寒地の地盤、積雪分布、水循環、屋根雪、教育・普及(以上、20セッション、発表件数:259件).

 以上の様に、"合同開催"とは言っても両者の協議が十分行われた結果の"合同"とは思えず、2つのカードの束を一緒にして時間と会場を割り振っただけで、整然としない、分かり難いプログラムになったと言わざるを得ない。1年前にも本欄(No.2090)で述べたが、2007富山方式の「同時期・一部共催」に戻した方が良い、と強く思うに至った。つまり、両学会がそれぞれの発表大会を、同一週内に同一会場で、一部のセッションだけ共催で行う、というものである。

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[写真]ポスター発表会場(ハイブ長岡)。通常は、狭い部屋にポスターをびっしり並べ、掲示時間が過ぎると次の組のポスターに張り替える、というやり方が多い。今回は、広いイベント会場に3つの組のポスターすべてが掲示され、発表者は1/3の時間のみ説明に立つという方式だった。ゆったりとして話を聞きやすいという利点もあったが、ポスター発表は露天商のようなもので人だかりが人を呼ぶので、閑散としていると活気を欠く感じがする。

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三徳山、行者道の保全 

                  成瀬廉二、2011/10/13、No.2221

 地方紙と鳥取県のウェブサイトで、9日「三徳山の保全と活用−行者道の荒廃をくいとめられるか−」というシンポジウムが開催されることを、さらにパネリストとして旧知の渡邊悌二氏(北大地球環境研教授)が参加することを知り、興味深いテーマであり、かつどういう結論に至るのか関心があり、文化とアウトドア・イベントが目白押しの10月の3連休の中日に、鳥取県中部の倉吉市へ出かけてきた。

 三徳山(みとくさん、標高900 m)は、「信仰の山と文化的景観」として、世界遺産登録を目指している。本シンポジウムは、その三徳山世界遺産登録運動推進協議会(会長:三朝町長、副会長:県中部総合事務所長)が主催し、3人の演者の基調講演の後、パネルディスカッションが行われた。

 渡邊氏は、『行者道の保全』の話の中で、「三徳山の行者道は、世界中で最も荒廃が進んだ登山道である」、「将来の展望を十分議論した上で、最もふさわしい補修を行うべきである」、「土嚢積みのような登山道補修は、応急処置に過ぎず、長期的、本格的な補修計画がなければ、荒廃が進むのは自明である」と語った。

 それは確かに正論である。しかし、三朝町の事務局の報告によると、行者道の修復事業費として、今年度から5カ年計画で総額1500万円が決まっている。その予算の出所を調べてみたら、年額300万円の1/2が国からの補助金、残り150万円の1/2が鳥取県、その残り75万円を三朝町と地元で1/2ずつ負担するそうである(2011.3.14, 三朝町議会予算審議議事録より)。この規模の予算でできることは、急峻で荒廃した登山道に少しずつ土嚢を積み、必要に応じ部分的に迂回路を作る程度のことである。

 パネルディスカッションで渡邊氏が、「土嚢を積んでもその上を登山者が歩けば、3、4年で壊れ、雨があれば土砂は洗掘されてしまう」、「(三朝町の計画の様に)土嚢に現地の土と植物種子を入れたとしても、そこで植生が回復するとは考えられない」などと、遠慮がちに批判的見解を述べた。しかし、コーディネーター(町)とパネリストの1人(県)は、この修復事業の推進者であり、この予算の範囲以上のことは念頭にない。つまり、如何に理想論を述べても、財政面は確定してしまっているので、議論が噛み合わないというか、生産的な方策が産まれてこない。

 一体、このシンポジウムは何のために開いたのだろうか。もっと前に、修復工事の検討をする前に、あるいは遅くとも予算の審議の前に行えば有意義だったと思われる。

 三徳山の行者道の荒廃が著しく、それの根本的な修復が予算的な制約からできないのであれば、登山道の閉鎖、すなわち観光登山者の入山禁止を含む何らかの規制を考えるべきではないだろうか。三徳山の文化と自然のスケールから見て世界遺産に登録されることは至難のことだと思うが、それを目指すのであれば、景観の保全、保護をまずは優先しなければならないだろう。

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       [写真:急峻で木の根が露出した行者道(2008.10.11)]


Re: 三徳山、行者道の保全       

      成瀬廉二、2011/10/17、No.2222

 三徳山シンポジウム後、国際シンポジウム出席と来年の会合の準備のためカトマンズに出かけ、先ほどバンコクまで戻ってきたという渡邊悌二氏から以下のようなメールをいただいた。

 「記事・感想たいへんありがとうございます。書いていただいた内容,とてもうれしく思います。実は,県が予算をとって,あのような計画を立てていることを知ったのは,発表の直前(30分ほど前)でした。計上した通りに予算を使わねばならないのでしょうから,あの状態では何を言っても仕方なく,どうして事前に声をかけてくれなかったのかと・・・・・・・思います」

 「でも,これをステップに次の段階では何とか新たなところに行ければ良いだろうと思います。一方で,住民を巻き込んで,将来どのようにしたいのか,きちんと話し合いもして欲しいと,切に思います」

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       [写真]くさり坂、後方は文殊堂(2008.10.11).
 このような岩場は、道の荒廃は起こらないが、登山初級者や慣れない高齢者には難所である。この坂を登ると、一方の斜面が急峻な尾根に出る。毎年の様に登山者の事故が起こっており、今年も7月末、60歳の男性が滑落死した。

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扇ノ山のブナ林探策     

       成瀬廉二、2011/10/12、No.2220

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 10月8日、鳥取ユネスコ協会主催で扇ノ山の森林探策会が開かれ、会員と一般参加の中高年者たちが紅葉初期のブナ林散策を楽しんだ(写真)。小型バスの定員26名を探策会の定員としたが、広報がうまく運んだため申し込みが予想を超え、10名がキャンセル待ちという、この種のイベントとしては珍しいこととなった。樹木の専門家を解説員とし、私は引率責任者の立場でガイドを務めた。

 鳥取県の山では標高およそ800 m以上にてブナ林が見られることが多いが、扇ノ山の標高1,100−1250 m付近の尾根上はブナの二次林(原生林が伐採や災害によって破壊された後、自然に、または人為的に再生した森林)が続く。他の樹種がほとんど混じらないブナのみの林、その林の中を登山道が通る、という状況は鳥取県ではここ扇ノ山が一番であろう。

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『青の中へ −ラ・ヴェンタと行くパタゴニア氷河洞窟遠征記−』 


パタゴニア氷河洞窟の探検 (上) 

            松澤 亮、2011/10/21、No.2225

 ナショナルジオグラフィック1996年2月号で氷河洞窟の青い世界に出会って以来、氷河洞窟に関心を持ち続けてきた。2002年にはアイスランド遠征(ケイビングジャーナル20号参照) に参加し、2005年はロシアカフカスの山岳氷河(同24号)、2006年にはアメリカ合衆国ワシントン州(同31号)を訪れた。そして今回(2010年)、イタリアのラ・ヴェンタ(La Venta) 協会が主催する南米パタゴニアでの氷河洞窟遠征に参加した。14年前に写真で見たその場所で、そのメンバー達と共に活動する事になったわけだ。

 2月14日、沿岸警備隊(Naval Prefectura)のマイクロバスとピックアップトラックで2時間かけてアルヘンティーノ湖のモレノ港へ行き、普段は観光客を乗せているHiero & Aventura 社の船で対岸へ渡してもらう。ここは氷河トレッキングの基地で、観光客も多い。ここからベースキャンプを設置するブスカイーニ(Buscaini)野営地まで約8kmの距離をペリートモレノ(Perito Moreno) 氷河沿いのトレッキングルートを歩いて荷揚げした。

 2月15日、まだ荷揚げは続行しているが、ジョバンニとシルヴィア、松澤の3人で氷河上の偵察に出かけた。氷河上の地形を見てGPSをチェックしつつ、クレバス地帯を通過できるルートを探しながらプラトー(plateau 比較的平坦でクレバスも少ない場所)まで行く。谷とべディエール(bediere 氷河上の水流)を見つけたら渡渉地点を探し、水流沿いに下流へ向かって歩いて行く。するとムーラン(moulin 氷河上の竪穴流入口)やかつてムーランだった竪穴洞口が見つかる。これを上から覗き込んで翌日以降の探検の対象にするかどうか決めるのである。ムーラン以外にも、氷河側面に小規模な横穴と、流入型氷河底横穴を幾つか発見し、入洞した。

 2、3 日かけて氷河上を手分けして歩き、過去に大きな洞窟が発見された場所(今年は大きな洞窟は形成されていなかった)や、1995年の遠征でヘリコプターが着陸した氷河本流脇の氷原(今年は氷が無くてガレ場が露出していた)など氷河上の地形の変化を確認。さらにベディエール地帯など今年の氷河上の地形を把握し、洞口の位置が幾つかプロットされてくると、いよいよ氷河洞窟の探検が始まる。

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  (写真:ペリートモレノ氷河上のムーランへ下降.滝の水が多いのでドライスーツを着ている)

[本稿は、ケイビングジャーナル第42号(2011年8月、日本洞窟学会発行)に掲載された記事の抜粋である(ケイビングジャーナル編集委員会の厚意による).筆者:東京スペレオクラブ、埼玉県在住.投稿代行:成瀬]


パタゴニア氷河洞窟の探検 (中)       

      松澤 亮、2011/10/24、No.2226

 2月17日からは発見したムーランへ順次入っていった。特製の60cmアイススクリューをメインアンカーに使い、他は通常のアイススクリューとスタティックロープ2本で2ルート並行にセットした。同時に入洞するのは2人までで、氷体の中で氷水を浴びながら停滞すれば低体温症になる危険があるので、これもそのための対応である。

 18日には松澤も撮影班と共にムーランへ降りていったが、流入する滝のしぶきがひどく、10数m下降したところで折り返した。通常の雪山用アウター程度の防水装備ではこの程度が限界で、これ以上はドライスーツを着ないと無理である。

 17日の夜から、落雷の様な轟音がしばしば鳴り響いた。翌朝氷河を見てみると、BC付近の流入型氷河底横穴で氷塊の崩落が起こっていた。結局この洞口は、3日後の20日朝までには完全に崩壊した。

 この日(19日)、撮影班の一部が分遣隊としてムーラン近くの氷河上へキャンプを移した。氷河上では夜間気温は氷点下に下がり、水面に薄氷が張る。昼間は1m/s程度のカタバ風(氷河上を吹き降ろす冷たい風)が吹いて、気温約5℃、湿度75%となる。

 翌2月20日、分遣隊の氷上キャンプ脇のムーランでムービー撮影を行なう。ここは水量が多い事が予想されたのでドライスーツを着た2人が下降していった(写真)。

 松澤はジョバンニと2人でさらに下流側の氷河上を探索しに行った。氷河の末端部付近は氷河トレッキングのコースになっており、中には日本人観光客もいた。ちなみに氷河トレッキングにはミニトレッキングとビッグアイスの2 コースがあり、ミニだとちょっと氷河上に上がるだけだがビッグの方は氷河上を半日歩き回り、ベディエールやムーランを見ることもできるし、運が良ければ簡単な横穴に入れる場合もある。どちらにしてもカラファテから日帰りで1 日つぶれるのは同じなので、せっかく行くならビッグアイスの方が良いだろう。

 この夜、BC にレンジャーの3人組が来て1 泊していった。トレッキングルートのパトロールの一環なのだろう。それとも我々を監視しに来たのだろうか。21日、キャンプを撤収し、船着場まで1.5 往復の荷降ろしをする。

 22日は船とマイクロバスを乗り継いでカラファテの町へ戻り、久しぶりのシャワー、ランドリー、インターネット。夕食には分厚いステーキとビールで祝杯をあげた。

 翌2月23日はカラファテで後半の計画を練り、準備とパッキング。2月24日からはアメヒーノ(Ameghino)氷河へ行く組と、チャルテン(El Chalten)からヴィエドマ(Viedma)氷河へ行く組とに分かれることになる。

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     (写真:ペリートモレノ氷河上のムーラン型シャフトでムービー撮影)

[ケイビングジャーナル第42号(2011年8月)から抜粋.投稿代行:成瀬]


パタゴニア氷河洞窟の探検 (下)      

         松澤 亮、2011/10/26、No.2229

 2月24日朝、6名のアメヒーノ分遣隊は朝焼けの中、カラファテを後にした。軍用トラックの荷台に乗ってアルヘンティーノ湖の港、プンタ・バンデーラへと向かう。30分程で港に到着した。しばらくしてタンクローリーと沿岸警備隊の乗組員がやって来て船に給油を始めた。1 時間程で給油が終わり、ようやく出発となった。

 約1時間のクルーズで湖岸の砂浜に降ろされ、ここからボッカが始まった。樹林帯を抜け、虫の襲撃を受けながら平坦な荒地を歩く。途中には崩れた小屋の跡もあり、馬が1頭だけ放牧されている。衛星写真で見ると、ここは元々アルヘンティーノ湖の入江だった部分だが、湿地帯ではなく広い河原の様な風景だ。奥の方には現在も水がありアメヒーノ湖となっている。ようやくアメヒーノ湖のダムになっているモレーンに到着すると、小さな氷山が多数座礁している。ここから先は踏み跡も無く、湖岸のガレ場や岩場をたどって進み、夕刻、湖畔の砂地にキャンプを設営した。

 キャンプ地からアメヒーノ氷河までは約2時間。この道のりを毎日かよって3日間、ヌナタク(氷河上に母岩が露出しているところ) やセンターモレーンも含めて探索し、氷河洞窟に入洞、撮影した。アメヒーノ氷河の奥に見えるセロ・ファンタズマ峰の南面は切り立った壁で、未登だという。ここでは氷河雪崩が岩壁を落下するのが時折見られ、轟音が響いた。

 アメヒーノ氷河ではエピグレイシャルケイブ(氷河表層直下にある円形断面を持つ横穴:写真) を見つけて観察したが、やはり不思議なものだ。また氷河上に生息するカワゲラ類を発見、観察した後、脱け殻を採集し、帰国後研究者に送った。

 最終日は15m/sの強風が吹いたのでテントが飛ばされない様に石で押さえた。強風と雨、パタゴニアらしい天候である。翌28日には撤収し、迎えに来た警備艇に乗ってカラファテへ帰還した。この日のカラファテは良く晴れて暑いほどで、気温20℃、湿度25%だった。

 氷河洞窟は青い。今まで潜ったどの海とも、見上げたどの空とも違う深い青である。その青い世界の中へ降りて行く感覚は、他では味わうことが出来ない。しかも現場で見ると写真や映像で見るよりさらに青い。アイスランドやカフカスの氷河も美しかったが、パタゴニアの氷の青さと明るさは格別で、他では見たこともないほどの青である。

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   (写真:アメヒーノ氷河上の横穴.氷河を横断するクレバスに由来する構造が良く分かる.)

 [ケイビングジャーナル第42号(2011年8月)から抜粋.投稿代行:成瀬]

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紅葉真っ盛りの大山 

成瀬廉二、2011/10/30、No.2230

 昨(29)日、鳥取県西部の日野町公民館におけるイベントの後、大山の紅葉を見ようと大山環状道路をドライブした。写真は、大山の南、江府町の鍵掛峠(912 m)から大山(1,729 m)の南壁を見たものである(左が弥山、中央が剣ケ峰)。この地点は、四季の大山を眺める観賞スポットとして多くの観光客が訪れ、ブナ林の紅葉の雄大さが他に類を見ないと評価が高い。

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 しかし、昨日は昼間から薄い靄(もや)がかかり、鍵掛峠に到着したとき(16:30)は曇りで日照はなく、全般にぼんやりした光景であった。そのため、「紅葉真っ盛り」のはずだったのだが、残念ながら色彩豊富な迫力ある写真を撮ることができなかった。

 なお、鳥取県を南北に通り抜けた台風12号により、大山町大山(875 m)では9月2-3日の2日間で865 mmの豪雨となり、大山環状道路沿いの御机・第2烏(カラス)橋(全長約5 m)が崩壊し、通行止めとなっていた。道路を管理する鳥取県では、紅葉シーズンまでには復旧させたいと、応急対策として仮橋を設け、10月20日に全線が開通した。

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扇ノ山の紅葉 

                成瀬廉二、2011/11/04、No.2231

 前記事(No.2230)の写真は、曇天の夕暮れ直前のため、秀峰大山の紅葉とは言ってもまことに冴えないものだった。そのため、好天の昨日(3日)、扇ノ山へ紅葉を見に行った。

 扇ノ山(1310 m)へのアプローチは、北東側の兵庫県新温泉町から、北西側の鳥取県国府町から河合谷高原経由、および南西側の八頭町からのコースがある。写真は、八頭町コースの登山口(標高900 m)付近から扇ノ山の南東斜面を見たものである。

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 扇ノ山の中−上部は、ブナ、ミズナラ、スギ等の森林となっている。雄大な景観ではあるが、紅葉の花形であるカエデ、ウルシ、ナナカマド等の紅色が少ないので、色彩の多様さではいわゆる「紅葉の名所」に一歩譲る。

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らっきょう花、咲き誇る 

                  成瀬廉二、2011/11/09、No.2232

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 鳥取市福部町の砂丘に広がるらっきょう花畑にて、いま紫の花が咲き始めから満開までさまざまに咲き誇っている(写真:11月6日)。らっきょうは、7月から8月にかけて植え付けが行われ、10月下旬〜11月初旬に花が咲き、冬を越して、5月下旬から6月下旬にかけて収穫される。

 らっきょうの生産量(収穫量)の全国ベスト3は、宮崎県:3,963トン、鳥取県:3,958トン、鹿児島県3,817トンである(平成20年度野菜生産状況調査、農水省生産局資料2010年)。鳥取県はわずか5トンの差で第2位となっているが、栽培面積は228 haなので、あと30アール(50m x 60m)ほど増やせば日本一になれる。

 らっきょうはユリ科の植物で、タマネギやニンニクと同様、鱗茎を食す。砂地で栽培される鳥取の「砂丘らっきょう」は、色の白さとシャキシャキとした歯ごたえが特徴で、主に酢づけで食べる。

 らっきょうを軟白栽培して若採りしたものは、味噌などをつけて生食できる。これを、日本ではエシャレットの商品名で出荷されている。その命名者は築地の青果卸業者だそうである。一方、フランス料理によく使われる香味野菜のエシャロット(仏語Echalote;英語shallotシャロット)とは、“親類”ではあるが形も味もかなり違う。鳥取県でも生食用のらっきょう栽培を行っているが(収穫量、国内第5位)、これをエシャレットではなくエシャロットと呼んでいる(鳥取県広報HP)。大変紛らわしいことである。

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邪馬台国山陰説 

                 成瀬廉二、2011/11/15、No.2233

 古代史関連の書物を多く読んだことがあるわけでもないし、ことさら卑弥呼ファンというわけではないが、日本の古代は文字による記録を残さなかったので、およそ5世紀以前の歴史ははなはだ不確実で、推理の世界のようである。とくに、女王卑弥呼が治めた邪馬台国(3世紀)の所在について大和(畿内)と九州と大きく離れた2つの地域の説が拮抗し、現在に至るまで勝負の決着がついていない。

 昨年頃、「新説 邪馬台国山陰説」なるものがあることを知り、近畿と九州の中間、しかも海に面しているため外国(中国、朝鮮)との交流にも好都合なので、可能性があるのかも知れず、と興味がそそられた。先月(10月1日)、「古代史(邪馬台国)サミット in 伯耆」というフォーラムが米子市で開催されたので、それを聴講に行ってきた。

 パネルディスカッションでは、九州説を主張している安本美典氏(元産能大学)、畿内説をとる北條芳隆氏(東海大学)、それに山陰説の提唱者である田中文也氏(古代史研究家)がそれぞれ自説を論じ、議論が行われたので、一度に3つの説を聞くことができた点はそこそこ面白かった。しかし、素人の聴衆にとっては、もっと全貌から、あるいは主要な点から、三地域のどこが最も可能性が高いか、という論争をしてもらいたかったのだが、たぶんそれは古くから議論され尽くしてきたものと思われ、ここではかなり枝葉末節(に見える)のことがらについての討論になってしまった。

 山陰説の論拠は、田中氏の資料冊子によると、以下のようなものである。
*古事記・日本書紀の神代の記録は、場所が特定できる限りにおいて、因幡・伯耆・出雲の3つの旧国の記録が85%を占めている。神話の中にも、史実が含まれている可能性がある。
*弥生時代の膨大な遺跡群が山陰地方に集中している。
*多量の青銅器および鉄器が発掘されている。
 したがって、山陰地方には、弥生時代にすでに古墳時代が存在した、と考えている。

 田中氏等の研究グループは、さらに、「約6000年〜7000年前、最終氷期後の間氷期に温暖化が起こり、海水面が上昇した”縄文海進”が、記・紀や風土記に記録されているのではないか」という視点で、伝承記録の収集、現地の地形調査、およびコンピュータシミュレーションを行った。シミュレーションと言っても、海水面が2m、5m、10m、20m、30m上昇した場合の海岸線の移動や半島が島に変化する様子を図示したに過ぎない。

 それにしても縄文海進の海面上昇が10-30mは大きすぎる。仮に、グリーンランド氷床が全て消滅したとしても、海水面への寄与は6m程度である。日本第四紀学会によると、約7000年前の縄文海進時の海面は現在より2-3m高かった(だいよんき Q&A)。

 以上、「邪馬台国山陰説」を主張する方々の情熱は認めるが、中国の史書や墳墓、埋葬品等々の証拠の数と質からみると、山陰説は九州説と大和説に割ってはいる第3の候補とか、ダークホースとは言える状況には残念ながら感じられない。

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[写真]岡山県北部の蒜山(ひるぜん)高原。神話に記されている、世界がはじめて造られたときの天上世界”高天原”は、「大山から蒜山に至る地域と推察される」と田中氏は述べている。しかし、特にそれを示唆する証拠はない。蒜山高原(標高500-600m)から大山山麓の地域は標高が高く、神話の記述に似つかわしい、という程度である。蒜山三山の向こう(北)側は鳥取県倉吉市関金町。





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