(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

アクセスカウンタ

zoom RSS 情報”知床;笠雲;大雨;新白瀬;雪氷大会;菅平;松島;扇ノ山;冠雪大山;石巻津波跡;紅葉終”

<<   作成日時 : 2012/08/15 12:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

知床探訪 

                    成瀬廉二、2012/08/15、No.2346

 盆休みで多くの人々が動き混雑する頃の8月11日〜14日、北海道北東部の知床で私的な集まりがあり、猛暑の鳥取から脱出すべく勇んで鳥取−大阪−釧路−斜里の経路にて知床へ行ってきた。

 知床半島へは、学生時代に登山や縦走で3度ほど、その後20年前までに3、4度訪れたことがある。今回は久しぶりの知床探訪になったが、以前とは違い、日本で3つ目の世界自然遺産に2005年7月に登録されている。

 斜里−ウトロから、知床半島のオホーツク海側を北上すると知床五湖がある。その五湖を巡る1周約3kmの遊歩道ハイキングを楽しみの一つにしていたのだが、昔とは様子がかなり変わっていた。まず、一湖のみを往復する高架木道(前長800 m)は、クマ除けの電気柵で囲まれているので、いつでも立ち入り自由、無料である。

 他方、二湖〜五個を巡る地上遊歩道は事情が違う。まず、「クマ活動期」(5月10日〜7月31日)は、ヒグマの対処法を身につけた知床五湖登録引率者(プロガイド)によるガイドツアー(参加費:一人4,000-5,000円)のみが立ち入ることができる。次の「植生保護期」(8月1日〜10月20日)は、レクチャー(有料)を受講した後、個人でも自由に散策ができる。ただし、歩道の荒廃を防ぐため、10分間に50名という立ち入り制限を設けている。

 今回訪れたときは「植生保護期」だが、5日前から遊歩道付近にてクマの目撃や、食痕、足跡、糞が確認されたため、残念ながら遊歩道は閉鎖されていた。翌日、知床財団・知床自然センターのスタッフが調査を行い、その結果によっては閉鎖を解除するとのことであったが、新たなクマの目撃情報があったそうである。

 そもそもクマの生息地に大勢の人間が入り込むので、至近距離での遭遇の可能性が高まることはやむを得ない。しかし何とか、レクチャー、鈴(ベル)必携、クマ撃退スプレー(貸与)などの対策を施し、遊歩道は常に開放して欲しいものである。

画像

 写真は、知床一湖の高架木道(12日)。後方は知床連山、右端が羅臼岳(1,660 m)。

〜〜〜〜〜

羅臼岳の笠雲

                       成瀬廉二、2012/08/22、No.2349

 写真は、羅臼岳の山頂にかかった笠雲である(12日正午過ぎ)。形が凸レンズのようなので、レンズ雲とも言う。富士山の笠雲は有名で、写真集やネットの画像にいろいろ掲載されている。私は外国の山では笠雲を何度か見たことがあるが、日本の山で意識して写真を撮ったのは今回が初めての気がする。

 笠雲は、湿度の高い強い風が山に当って斜面を駆け上がり、空気が膨張するために冷却し、頂上付近で水蒸気が凝結して形成される。したがって、山岳地では結構頻繁にできているのかも知れないが、霧で覆われたり、闇夜では見えない。また、笠雲の寿命の問題もある。

 ひとたび誕生した笠雲は、山頂付近に留まっているわけではない。強い風により、雲は直ちに吹き飛ばされる。したがって笠雲の風上側では常に雲が生成していなくてはならない。一方、風下側では、風に流されながら雲粒は蒸発して消えていく。

画像

 本サイトの前々記事(No.2346)の写真は、12日の正午直前(11:55)の羅臼岳等であり、その時は雲量4程度、晴であった。その後、羅臼岳に笠雲を最初に確認したのが12:33、添付の写真は12:45、そして13:34にも薄い笠雲の写真を撮ったが、13:45には笠雲は消え、ほぼ全天が雲に覆われた。すなわちこの日に、羅臼岳の山頂に笠雲がかかっていたのは12:33から13:35頃までの1時間のみであったことがわかる。

 昔からの天気俚諺や観天望気に、「富士山が笠をかぶれば近いうちに雨」や「山に笠雲がかかれば風雨の兆し」があり、的中率は比較的高いと言われる。アメダスのデータによると、翌(13)日の日降水量は、知床の西のウトロ33.5 mm、斜里33 mm、小清水33.5 mm、知床の東の羅臼49 mm、標津24.5 mmと、いずれの地域もまとまった雨となった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

経験したことのない大雨 

                 成瀬廉二、2012/09/03、No.2351

 本年7月11日から14日にかけて、本州付近に停滞した梅雨前線の影響を受け、九州北部を中心に記録的な大雨となった。例えば、熊本県阿蘇乙姫アメダスでは、12-14日の3日間で801ミリの雨が降り、この量は北海道北見市の年間降水量(平年値)764ミリを超える。

 気象庁は7月12日に、大雨に関する情報を「これまでに経験したことのないような大雨」との表現を初めて使って発表した。

 この大雨情報は、大雨により重大な災害が差し迫っていると考えられる時に、気象庁が、普通の大雨警報より一層の警戒を呼びかける目的で発表するもので、具体的には地方自治体等の防災関係機関や報道機関に伝え、住民に伝達される。

 「これまでに経験したことのない***」を初めて目と耳にしたときは、どうもしっくりこなかった。その理由は、第一に「誰が経験した」か、である。10代の若者か、40代の中年か、70代の高齢者かにより、「経験したことのある」現象の大きさは異なる(期間が長い方が、確率的には極端現象は著しい)。

 第二の理由は、「どこか?」である。もし、日降水量200ミリの予報が岡山市だったら観測史上最高となるが、雨の多い高知県室戸岬、和歌山県潮岬や三重県尾鷲などでは史上10傑にも入らない。もちろん、この警戒の情報は、**注意報、**警報の上位に来るものなので、対象は府県またはその中の地域であるに違いないが、「経験したことのない」との言葉を報道で見聞きする一般市民にとっては、どの程度の大雨なのか判断しがたい。

 やわらかい曖昧なフレーズを使う必要はなく、「○○年豪雨を超える」とか、「観測史上最大の」とか、「過去50年間にはなかった」とか、もっと直截に述べた方が良いのではないか、と思う。

画像

   [写真:上空から見た積乱雲(2012.8.25夕、近畿地方).本文の内容とは関係ありません]

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

 「2代目しらせ」境港へ寄港 

                    成瀬廉二、2012/10/23、No.2371

 いささか古いニュースになってしまったが、先月9月14日〜17日、南極観測船「2代目しらせ」が、鳥取県西部の境港へ寄港し、中2日間、船内が一般市民に公開された。南極OB会山陰支部の10名の元観測隊員は、16日「しらせ」(写真)を表敬訪問し、艦内を見学した。
画像


 「しらせ」は、文部科学省の予算で建造され、海上自衛隊が保有、運航している南極観測支援用の砕氷艦である。「先代(初代)しらせ」は第25次から第49次南極観測隊の輸送を担当し、1年間は外国船をチャーターした後、第51次隊(2009年-)から「2代目しらせ」が就航した。

 なぜ境港へ立ち寄ったのか、と思う向きもあるようだが、海上自衛隊の通常の総合訓練として日本列島を廻り、全国各地に寄港し、南極観測の紹介と自衛隊の広報を行っている。今年は、8月末〜10月初め、横須賀−横浜港−函館港−境港港−門司港−徳山港−横須賀の経路で巡航した。

 艦首に大きく書かれた5003は「2代目しらせ」の艦番号である。因みに、「先代しらせ」は5002、第7次から第24次隊に従事した初代砕氷艦「ふじ」は5001であった。なお、その前の第1次から第6次隊までの輸送を担当したのは海上保安庁の巡視船「そうや」である。

 「2代目しらせ」は「先代しらせ」に比べて、大きさ、能力などは大きな相違はない。しかし諸設備や機能など、少しずつ改良、強化されているそうである。写真にて、船首部分の喫水線の上に数個の穴が認められるが、これは繰り返し突進(ラミング)する際の砕氷効果を高めるための融雪散水装置である。連続砕氷能力は先代「しらせ」と変わらず1.5メートルであり、最近(2010年〜)や来シーズン(2013年予測)のようにその2倍〜4倍の厚さの海氷(牛尾、2012)では、散水融雪の効果は期待できないだろう。

 〜〜〜〜〜〜〜

  雪が降らない福山で雪氷研究大会 

                                 成瀬廉二、2012/10/21、No.2370

 広島県福山市にて9月23日から27日まで雪氷研究大会が開催された。日本雪氷学会は、前身の協会設立以来70余年の歴史の中で、年に概ね1回、全国の雪氷研究の拠点を巡って研究発表大会を催してきた。今回は、昨年開学した福山市立大学に雪氷の研究者3人が赴任したので、その3氏を中心とした実行委員会が企画、運営した。

 福山は、過去の雪氷研究大会開催地の中で最も西、と多くの人が思っていた。しかし、平松和彦実行委員長の「歓迎のご挨拶」の文により、1999年大会の鳥取県米子市の方がやや西(経度で2分)、ということを知った。正確に言うと、両市の市役所の経度は米子が1分52秒西で、この経度差は、この地域では2.8 kmに相当する。

 福山アメダスの気象資料によると、1945年の観測開始以来、年最大積雪深は多くの年はゼロまたは10 cm以下である。ほとんど雪は降らない、と言える。そして、2003年以降は降雪および積雪深の観測は中止となっている。

 福山市立大学は、教育学部児童教育学科と都市経営学部都市経営学科の2学部(学科)からなる4年制大学で,入学定員は1年250人である。学生総数は1000人程度を予定しているそうだが、現在は2年生までである。近代的な設備が充実したきれいな大学、と感じた。

 雪氷研究大会は、今年も雪氷学会と雪工学会と合同で開催され、期間は例年より1日多かった。ゆっくり滞在し、観光も楽しんで欲しい、という地元の配慮だったのかもしれないが、細切れに暇な(または、聞きたい発表のない)時間が生じ、全般的に冗長との印象は否めなかった。写真はポスター発表会場。
 
画像


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  秋の菅平高原 

                               成瀬廉二、2012/10/29、No.2372

 第10次南極観測隊(1968-70年)のOB総会が10月25-26日、長野県上田市の菅平高原にて開催された。同隊は、夏隊13名、越冬隊29名の計42名だったが、物故者が7名、したがって健在35名のうち25名が出席し、毎年のことながら出席率は71%という高率であった。特に越冬隊に限ると、健在24名のうち出席21名で、出席率は88%という超高率である。なお、実際の参加者は、配偶者の同伴を含め計39名であった。

 南極観測隊のほぼ全ての隊が、数年毎、隔年、毎年と、それぞれの好みや考え方により各地でOB会を開催している。第10次隊は、越冬隊長の楠宏氏(現91歳)が第1次南極観測夏隊員(1956-57年)、夏隊長の村越望氏(現86歳)が第1次越冬隊員(1956-58年)であったという他には例を見ない組み合わせであり、しかもご両人は壮健で、毎年OB総会に出席している。第1次越冬隊員11名のうち存命者は、作間敏夫氏(86歳くらい、通信)、北村泰一氏(81歳くらい、オーロラ)と村越氏の3名のみである。書物や公開資料に記録されていない第1次隊の“真実”を、私は努めて楠氏や村越氏から聞きとどめている。

画像

 菅平は、上信越高原国立公園に属する標高1300 m〜1500 mの高原地域である(写真:ダボス・スキーゲレンデ付近、10月25日)。なぜ菅平高原にてOB会かと言うと、ここに文部科学省菅平高原体育研究場(2009年3月閉鎖)という施設があり、初期のころから南極観測隊員の積雪期(3月)と夏期(7月頃)の訓練が行われてきたからである。

 訓練とは、室内の講義、講習、救命実習、消火訓練などに加え、積雪期にはシールをつけた山スキーでのトレッキング、雪洞つくり、雪中夜営体験等である。雪山の経験が多い観測隊員にとっては、積雪訓練は程よいリクリエーションだが、多くの参加者にとっては良い経験にはなるがかなり厳しいものである。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  松島で南極のOB会 

                           成瀬廉二、2012/11/13、No.2375

画像

 日本三景の一つ宮城県松島(写真)にて、11月3-4日、第34次南極観測隊(1992-94年)のOB会が開かれた。今月25日には第54次南極観測隊が空路日本を出発しオーストラリアへ向かう。したがって、34次隊にとっては出発から20年目であり、20周年記念と銘打って開催された。

 組織や団体の20周年なら、「よく20年間、つぶれずに続いてきたものだ」とか「ここまで発展してきたことは素晴らしいことである」と賞賛し、祝うことも筋が通る。しかし、このOB会は学校の同窓会と同様、何もしなくても時間は経過するので、本当の意味では、**周年記念として祝うほどのことはない。

 第34次夏隊は17名、越冬隊は40名の大所帯だった。隊員それぞれがいくつかの研究計画や任務を抱えていたので、それらをひっくるめて「いったい何をした隊か」を短い文章で述べることはできないが、主な出来事を以下に3つだけ挙げよう。

*成層圏を南極大陸に沿って周回する大気球実験。
*氷床内陸の標高3800 mのドーム頂上に基地建設と110 m深の掘削。
*昭和基地初の高層(3階建て)建築物の完成。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  紅葉と新雪の扇ノ山 

                          成瀬廉二、2012/11/05、No.2373

 11月3日(土)、5日ぶりの好天となったので、紅葉を観賞するため扇ノ山へ登った。鳥取市の東南東、兵庫県との県境にある扇ノ山(1310 m)は、非常になだらかな山容で、北側の河合谷高原の登山口(標高1050 m)からはブナ林の尾根上を3.2 km歩いて、高度差260 mを上ると頂上に達する。初級者や高齢者に人気のコースである。

 今回は初めて、南側の姫路公園コースを利用した。登山口(標高900 m)からは沢と尾根道を1.8 km、高度差400 mを登る。沢から尾根に上がる部分は結構急な登山道だが、扇ノ山の4つの登山コースの内では最短である。4人組で登ったが、上り1時間40分、下り1時間5分と楽勝だった。

 標高1000 m以上では、スギと広葉樹の混交林の中に、ブナが現れる(写真)。しかし、河合谷コースで見られるブナの大木はなく、多くは直径10〜20 cm程度の若いブナが多かった。年齢は私には判定できないが、20〜40年生だとすると、鳥取県の拡大造林期(1965-1985年)に伐採されたブナが、後に再生したものと思われる。

 尾根に上がってからは、登山道に新雪が数cm積もっていた(写真)。2日前の11月1日に降ったものと推定される。道の上に数箇所、1.5 m x 1 m程度の広さに雪を排除して土が露出した場所があった。「シカの寝床」である。
画像


 〜〜〜〜〜〜〜〜

  紅葉に初冠雪の大山 

                   成瀬廉二、2012/11/08、No.2374

 11月1日午後、「2012 大山初冠雪」と題する写真が大山王国[NPO法人大山中海観光推進機構]のウェブサイトに掲載された。撮影者は同機構のK氏で、いつも大山の「自然」の素晴らしい写真を載せている。

 「紅葉に初冠雪」が映える条件としては、赤・黄・緑の紅葉、真っ白い雪、青い空、それに透明度の高い澄んだ空気の4つが挙げられる。11月上旬は大山の紅葉のピークである。しかも初冠雪が1日午後確認された。そこで、11月4日、午前は鳥取砂丘周辺のイベントに参加した後、急に思い立って大山へ『紅葉に初冠雪の山』を見に行った。

 写真は、4日15時頃、大山寺橋から望んだ大山北壁である。前日の3日は「10年に1度みれるかどうかの絶景」(大山王国)だったそうだが、4日は残念ながら、北壁の雪が幾分少なくなり、全天薄曇り〜曇り、直射日光が当らないので紅葉と雪と空のコントラストに欠ける景観であった。
画像


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  石巻の津波災害現況(上) 

                          成瀬廉二、2012/11/19、No.2376

 南極のOB会を松島で開催した理由には、34次隊に宮城県と岩手県在住の隊員が数名いたことと、震災復興支援ということがあった。復興支援と言ったって、できることはホテルに泊まって、飲食し、名産品を買い物する程度である。しかし、地元にとっては、少しずつでも着実に地域経済が震災前の状況に戻ることは、大きな励みになるとのことである。

 昨年の東日本大震災以来、救援復旧活動が一段落して落ち着いたら、あの巨大津波の威力と実体をこの目でしっかりと見たいと思っていた。そこで、松島会合(11月10-11日)の機会を利用して、石巻の津波災害の現況を見に行くことにした。

 2011.3.11の東北地方太平洋沖地震は、宮城県東端の牡鹿半島の東120 km付近を震源とした。石巻市は、牡鹿半島のつけ根にあり、南側が海に面している。地震の震度は石巻6強。津波の高さは、気象庁の巨大津波観測所の測定では8.6 m以上、石巻市内の痕跡等から推定された津波高は7.7 mである。石巻市の死者3471人、行方不明者476人は宮城県の市町村の中で最多であり、合計3947人は石巻市の人口の2.46%に達する(2012.9.11現在、総務省統計による)。

 仙台と石巻を結ぶJR仙石線は、松島海岸−矢本間が不通のため代替バスでつないでいる。私は9日仙台に泊まり、10日朝直行高速バスにて1時間15分程度で石巻駅へ到着した。石巻駅および市街中心部は海岸から直線距離で2.3 kmほど内陸で、その間には羽黒山(標高49 m)と日和山(55 m)がある。しかし、市街中心部は標高1m以下であり、市街の東側を流れる旧北上川に沿って押し寄せた津波により低標高部の商店街および住宅地は浸水した。

画像

 中心市街地は、外見的にはほぼ復旧、復興したように思われた。しかし、旧北上川の右岸沿いに海岸に向かって調べてゆくと、甚大な津波の被害が次々に見られるようになった。写真は、門脇町の木造2階建てのアパートである。1階部分はほぼ全壊、2階は床上まで浸水したことが分かる。浸水の深さは約6 mということになる。周辺の鉄筋コンクリートの建造物は一部損傷程度で完全に復旧しているが、木造の一般住宅は多く全壊したものと思われ、現在はあちこちが更地となっていた。

      (中)          2012/11/22、No.2377

 市街地から海岸に向かうにしたがい、更地の割合が多くなる気がした。更地の中にも元々未利用の空地もあったのかもしれないが、多くは家屋が全壊したため、解体撤去した結果だと思う。

 空気や水のような流体の中におかれた構造物が受ける抗力(抵抗力)は、流れの速度の二乗と構造物の断面積に比例する。この場合、速度は津波の伝播速度ではなく、海水(懸濁物や瓦礫を含む)の実態の流速である。断面積は、浸水深に置き換えることができる。水の速度は海岸地域で大きく、内陸に入るにつれ地物の抵抗を受け徐々に減速することが数値実験(水谷武司)でも示されている。したがって、海岸地域の方が建築物が受ける抗力(すなわち破壊力)が非常に大きかったと考えられる。

画像

 写真は、海岸に近い南浜町の石巻市立病院である(2012.11.10)。同病院には、被災時に入院患者153名を含む452名が居り、ドクターヘリや自衛隊機により4日後までに救出された。しかし、主要な治療設備がある1階部分は津波により壊滅的な被害を受け、病院は閉鎖され現在に至っている(以上、石巻市立病院復興基本計画−2012.3−より)。

 鉄筋コンクリートの病院建物は、外観は破損なく健在に見える。しかし、手前の「処方せ」の看板の店舗と、その右の平屋の建物は傾くとともに今でも浸水している。大地震による地盤沈下は、牡鹿半島鮎川で最大120 cm、石巻駅付近で60 cm、石巻市長浜で77 cmとなっている(国土地理院「東日本大震災に関する情報提供」)。

 同病院周辺は元々海抜1 m以下(数十cm?)だったので、地盤沈下により0 mまたは海面下となったと思われる。そのため、大潮により侵入した海水が引くことがなく、あちこちに大きな水溜まりが生じているのだろう。


       (下)            2012/11/26、No.2378

 市立病院の海側に石巻文化センターが、横に4階建ての集合住宅が複数棟あり、建物としてはしっかり立っているが、すべて閉鎖されており人の気配はまったくない。周囲の舗装道路と駐車場が途中で割れ、片側が水没しているところがあった。その時は、活断層だろうと思った。しかし「石巻市震災復興基本計画」によると、市内の広範囲において地盤沈下のみならず液状化も発生したそうである。この“断層”は、液状化が起こった領域と起こらなかった領域との境界だったと思われる。

 そのさらに海側に瓦礫の山が拡がっており、自動車らしいものがたくさん見えた。津波の堆積物が処分されずに残っているのかと、そこへ近づいてみた。自動車に乗ったガードマンがおり、身分を名乗って、瓦礫の山の近くまで入らせてもらった。

 そこは雲雀野町の海岸公園で、一般の瓦礫や可燃ゴミはなく、全壊、半壊の自動車のみが二重または三重に積み上げられていた(写真)。この場所は、震災瓦礫の内の廃自動車の仮置き場であった。
画像


 石巻市の資料によると、津波等による災害廃棄物の内、廃自動車は36,000トンである。1台平均1.2トンと仮定すると3万台である。その内の一部か大半がここの雲雀野に集積されているらしい。廃自動車は、所有者が特定されれば、本人が引きとるか否かの意向を尋ね、放棄した場合は市が業者に払い下げるそうである。なかなか、簡単には片付かないようだ。

 市立病院については「病院復興基本計画」によると、石巻駅前駐車場に新設する方針で基本設計中であり、2015年に開院予定となっている。しかし、石巻駅周辺は海抜1m以下であり、再び津波が来襲すれば浸水の可能性も高い。ネットへの書き込みを見る限りでは、駅周辺に主要施設を集中させるコンパクトシティー構想と、それに反対する意見とがあり、いろいろ問題は複雑なようである。さまざまな面において、完全な復興には、まだまだ時間がかかりそうである。


        (附-1)       2012/12/17、No.2384

 『津波災害現況(下)』に、「(石巻市立病院付近で)駐車場が途中で割れ、片側が水没しているところがあった」と述べたが、その写真を示す。駐車場内の白いラインがはっきり残っている。
画像


 手前の水没した部分が、液状化により不同沈下したものと思われる。
海や旧河川の埋立地ではなくても、砂質土で地下水位が高い場所では、強い振動があれば液状化が起こるそうである。そうであれば、これは津波の襲来前に、地震そのものにより破壊された災害である。

        (附-2)       2012/12/21、No.2385

 写真は、震災被害が大きかった海岸付近から石巻市街へ向かう途中にあったお寺の本堂である(11月10日)。素人目で遠くから見る限りにおいては、屋根瓦は一部破損しているが、一階の柱は全て真っ直ぐに立っており、補修すれば復旧できるのだろう、と感じた。
画像


 しかし、その付近の更地になったところに、一階はほぼ全壊、二階はしっかりしているけど、人が暮らしている気配のない家を何軒か見かけた。こういう家は、修復が可能なので検討中か、あるいは所有者に事情があって解体撤去ができないで放置されている、いずれかだろうと思った。

 石巻市のHPを見たら、「お済みですか、震災による倒壊家屋・事業所等解体撤去申請」というお知らせが掲載されていた。本年12月28日までに、罹災証明書(全壊、大規模半壊、半壊)を付して申請すると、解体撤去費用は、石巻市が負担する、というものである。

 解体撤去は自治体が面倒を見るが、新築する場合に支援があるわけではない。同HPによると、いろいろ条件があるが、新築のために金融機関等から融資を受けた場合の借入金利子相当分の補助が受けられる、のみである。

        (附-3)        2012/12/25、No.2386

 旧北上川の左岸側、海岸近くに瓦礫の山があった(写真:右岸側から撮影)。作業中の大型クレーン車が見えるので、山の大きさが分かる。
画像


 ここは震災瓦礫の仮置き場だそうである。瓦礫は何でもすべてまとめて運ばれてくるのか、ある程度分別されているのかと石巻市のHPを見たら、「災害廃棄物搬入許可申請書」という書式が掲載されており、搬入廃棄物を以下の16種類から選んで記載するようになっている。

1.鉄類、2.木材類、3.家財類、4.家電類、
5.家電リサイクル4品目、6.畳類、7.タイヤ、8.コンクリート、
9.アスファルト、10.瓦、11. レンガ、12. アスベスト、
13. 石膏ボード、14.土砂、15. プラスチックビニールシート類
16. その他

 ただし、ここの瓦礫仮置き場にて、実際に16種類に区分けされているのかは確認できなかった。

 既存の廃棄物処分場では処理しきれないので、一時的に仮置き場に集積しているのであろう。しかし、これらの行き先が決まっているのか、全く未定かは知らない。ここの震災瓦礫は放射能とは無縁なので、場所を確保さえすれば処分はそれほど難しくないはずである。

 石巻市の市街地は外見的には復旧、復興したように見えるが、まだまだ処理、復旧が途上の課題は多くあるようである。
                                      (おわり)

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  紅葉おわる 

                        成瀬廉二、2012/12/01、No.2380

 鳥取の平野部でも、11月末で、紅葉の見ごろは終わった。
 「今年の紅葉はいつになくきれいだ」、「今年は例年に比べて色づきが良い」という声をあちこちで聞いた。そう言われてみると、なんとなくそんな気がする。しかし、過去数年とか10年のうちで最も美しかったかどうかは、毎年毎日同じ場所で同じ景色を眺めたり写真を撮っていた人以外は、何とも言えない。

画像

 写真は、9日前の鳥取市内の久松山である(11月22日)。今年は山腹の赤が鮮やかに思うが、毎年そんなに意識して見ていたわけではないので、本当にそうかどうかはわからない。

 紅葉の美しさや鮮明さを定量化できれば、過去の年とか他の地域との比較も可能になる。紅葉の度合いを数値化することは不可能ではなさそうだが、今のところ聞いたことがない。

 ところで以前、気象庁で紅葉の予報か現況を発表していた気がして調べてみた。気象庁が作成した経験式「紅葉の見ごろ予測式」は、[10月1日から見ごろまでの日数]は[9月の平均気温]の一次式で表されるという、非常に簡単なものであった。すなわち、9月が暑ければ紅葉が遅くなり、9月が涼しければ早い、ということである。どちらがきれいな紅葉になるかは語っていない。なお、気象庁の「紅葉の見ごろ予想」は2007年で終了し、現在は気象協会やウェザーニューズ等が紅葉に関する情報を発信している。










月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
情報”知床;笠雲;大雨;新白瀬;雪氷大会;菅平;松島;扇ノ山;冠雪大山;石巻津波跡;紅葉終” (NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる