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zoom RSS 情報”南極54次;人類旅;佐用豪雨;篭山;芭蕉;矢山;甌穴;カキ;暈;幻日;梅雨入;十勝雪;奥大山”

<<   作成日時 : 2013/04/15 12:00   >>

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『第53・54次南極観測隊 報告会』

[投稿:2013年4月15日] (通し番号) #2411

 先週4月11日、第53次南極越冬隊および第54次南極夏隊の帰国報告会・歓迎会が明治記念館において開催され、日本南極観測を推進あるいは支援する関係者が出席するとともに、衆参各会派議員数名が来賓として参列した。

 報告会では、石沢賢二53次越冬隊長が1年間の観測と設営の概要を、渡邉研太郎54次夏隊長が今夏のオペレーションについて報告した。

 氷床内陸の調査旅行では、天文班がドームふじ基地(南緯77度19分)にて望遠鏡の設置と無人観測の開始、雪氷班がさらに南下し2012年12月29日〜2013年1月3日、南緯80度00分にて浅層掘削観測等を実施した。写真は南緯79度地点にて(本山秀明氏撮影)。
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 昭和基地周辺地域では、昨(2012)年前半は例年にない低温の秋・冬、後半は著しい温暖な春・夏であった。その影響もあり、今夏のリュツォ・ホルム湾の海氷は前年よりも厚く、「しらせ」の進入が難航し、さらに海氷上の積雪が水を多量に含み軟化し、雪上車の走行が不可能となった。

 そのため、大型ヘリコプター1機と小型ヘリコプター2機による空輸にて、越冬に最低限必要な物資の輸送を完了し、2月1日に第54次越冬隊が予定どおり成立した。

 国の補正予算にて、大型ヘリコプターをさらに1機導入することが認められたとのことである。しかし、ヘリコプターの修理や部品のやり繰りのため、3、4年はヘリコプター1機態勢を続けざるを得ないらしい。白石和行国立極地研究所長が挨拶の中で、「昭和基地の灯を消さないようがんばる所存ですので、ご支援をよろしく」との主旨を述べたが、自然環境と予算の面で少なからぬ危機感を抱いていることが推しはかられた。


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『グレートジャーニー展』

 [投稿:2013年4月17日]  #2412

 国立科学博物館の特別展『グレートジャーニー 人類の旅』を観てきた(12日)。これは、探検家・医師の関野吉晴が1993年南アメリカ最南端のパタゴニア・ナバリーノ島を出発し、足掛け10年をかけ、アフリカ・タンザニアまでの探検旅行を取材したドキュメンタリー番組(フジテレビ)をベースとし、そのルート上の主な地域の地理、気候、民族、考古学的出土品などを紹介する展示である。

 この関野の旅は、20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)が、6万年前から地球上各地に拡散した経路の一つ“The Great Journey: The Peopling of Ancient America”(Brian M. Fagan, 1987)を逆行したものである。

 1967年、私はパタゴニアの学術探検の後、チリの南部〜中部の各地にてマプチェ族と思われる先住民族を多く見かけた。写真は、ラ・アラウカニア州の州都テムコの市街を歩くマプチェ族の婦人である(1967年3月、筆者撮影)。日本人とそっくりとは言えぬが、スペイン系のチリ人とは容貌がはっきり異なり、北アメリカ北部のイヌイット系やアジアのモンゴル系に良く似ていることに驚いた記憶がある。
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 1990年代以降は、DNAの分析により、チリの先住民族の多くは日本人と極めて近いことが分かってきている(『モンゴロイドの道』朝日選書、1995)。厳寒のシベリヤからベーリング海峡を渡り、北アメリカ大陸を南下するのも壮大な旅だが、南アメリカ大陸に入ってからも、赤道付近の西海岸は砂漠に続いて5000〜6000 mのアンデス山脈、東部はアマゾンの熱帯雨林が広がり、人びとがなぜ、どうやって南の果てまで移動して行ったのか、ものすごく興味が沸く問題である。しかし、今回のグレートジャーニー展では、この辺りのことにはまったく触れていなかった。

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『2009.9佐用町の豪雨災害訴訟』

 [投稿:2013年4月25日]  #2413

 2009年8月9 〜10 日に兵庫県佐用町の豪雨災害で犠牲となった20人の内、5名の遺族が、「死亡したのは避難勧告の遅れのため」と、佐用町に約3億2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、神戸地裁姫路支部は「町が災害の発生を予見することは難しく、責任は認められない」として、遺族側の請求を棄却した(4.25 付新聞各紙による)。

 この判決が妥当かどうか評価する立場にはないが、多くの教訓を残した気象災害の一事例なので、当時の状況と避難行動の経過を振り返ってみたい。

 佐用町豪雨の浸水・氾濫による死者18 名+行方不明者2名の内、4歳〜81歳までの11名が自宅から高台の保育所等への避難途中に遭難した。残りの7名は自動車で移動中であった。

 気象庁佐用アメダスによる9日の日降水量は326 mm、同日21時頃の一時間降水量は89 mmにおよんだ。佐用町の従来の第1位は、日降水量が187 mm、一時間降水量が57 mmなので、過去最高記録の約1.7倍となり、佐用町としては空前の集中豪雨であったと言える。

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 図は、当日の佐用川の水位の変化である(兵庫県公式サイト「平成21年台風9号(8/9〜8/10)における雨量及び水位に関する資料」より)。激しい土砂降りの降雨にともない、佐用川の水位は、20時頃から2時間程度の間に、避難判断水位、氾濫危険水位、堤防天端に急速に駆け上がった。住民たちが避難を始めたときは、田畑の側の用水路は濁流と化し、小橋も冠水していた。ふだん歩きなれた道だったかもしれないが、様相が激変していたに違いない。

 結果から見れば、町はもっと(1,2時間程度)早く避難勧告を出すべきだったし、氾濫の危険が差し迫ってしまったら、遠くへ避難するのではなく自宅または隣家の2階に避難するよう誘導すべきであった(実際に、2階建てが水没した家はなかった)。しかしながら、過去に経験したことのない短時間集中豪雨であり、町の行政機関がそれに対応できる態勢が確立していなかったのである。 

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『スミレと新緑の篭山』

 [投稿:2013年4月28日]  #2415

 4月も下旬に入るまでは結構寒い日もあり、まだ山歩きという気分にはならなかったが、25日の新聞で「鳥取自然保護の会が、28日、篭山で山地草原のスミレ観察と登山の会を催す」という記事を見て、登山やハイキングのシーズン到来に気がついた。

 さっそく中高年者のグループで、自然保護の会のイベントより1日早く、4月27日、鳥取市南部の智頭町の篭山(かごやま、905 m)へハイキングに行ってきた。

 登山口は林道の途中(標高460 m)にあり、そこから頂上まで距離3430 m、標高差445 mの一般向けのやさしい登山コースであった。上りは観察しながら2時間、下りは1時間10分だった。トレール沿いや広大な斜面にはスミレが咲き誇り、草原の中にたくさんのワラビが見られた。

 篭山は低い山だが、周囲の隣接の山よりは一段高く、緩やかな山容ではあるが(写真)、高い樹木がなく、頂上からの眺望は大変良い。特に、北方の海に向かう千代川(せんだいがわ)沿いには高い山がなく、鳥取砂丘方面が見えていた。ただし、好天ではあったが薄い靄か黄砂のため、砂丘を確認することはできなかった。
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『ミズバショウの南西限』

  [投稿:2013年5月2日]  #2417

 ミズバショウ自生の南西限とも言われる分布地が、兵庫県養父市大屋町字加保坂の湿地(標高570 m)にあり、4月29日、そこを初めて訪れた(写真)。そのミズバショウ自生地は、1970年に付近の住民によって発見され、学術調査の結果、湿地内ピート(植物遺体)層の深さ95 cmでミズバショウ花粉が認められ、炭素14年代測定により8000年前のものと確認された(養父市「ミズバショウ公園」より)。つまり、最終氷期の終了後、この地にミズバショウが生育し続けていたことになる。

 1976年、兵庫県指定天然記念物に指定され、2005年から養父市の花に制定された。

 1970年以前のミズバショウ自生の南限は、岐阜県蛭が野高原(標高880 m付近)とされていた。また、ミズバショウ群生地として有名なところには、群馬県の尾瀬沼(標高1660 m)や北海道の雨竜沼湿原(標高約850〜900 m)が挙げられる。これらはいずれも高層湿原であり、それに比べ大屋町のミズバショウ分布地は、南に位置しながら標高が非常に低いことに驚く。

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 写真のミズバショウ自生地は湿地のようには見えないが、地中のオオミズゴケの層が十分な水を保水している。ここのミズバショウは、ほとんどが30 cm以下の小型である。周辺はマツやコナラの林であり、高層湿原のミズバショウ群生地とは景観や雰囲気が大きく異なる印象である。

 なお、本欄No.2323(2012.6.5)に「ハマナス自生の南限」をレポートしたが、寒地性の植物の南限は西日本のどこかに位置する可能性がある。 

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『湖山池の矢山』

 [投稿:2013年5月8日]  #2418

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 湖山池の北西湖畔に矢山という低い台形状の山(標高124 m)がある(写真)。「湖山池 回廊めぐり」という観光案内チラシ(湖山池振興協議会、2007)に、矢山について「山頂からの眺めは素晴らしく、眼下に見下ろす湖山池はもちろん、遠く扇ノ山をはじめとする中国山地の山並み、北は日本海、西に大山と360度のパノラマが楽しめます」とあった。

 5月7日、晴天で視界が良好だったので、矢山へ行ってきた。登山道は途中から不明瞭になり、藪を漕ぎながら30分弱で頂上に着いた。山全体が雑木林であり、頂上一帯は高木、低木の落葉樹林でおおわれ、遠くの山はもとより、眼下の湖山池は全く見えない。案内チラシにある素晴らしい眺望は、落葉樹の葉が落ちてから新緑が始まる12月〜3月頃までの冬に限られるのだろう。これを予想しなかったのは、まことに迂闊であった。               

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『奥津渓の甌穴(前)』

 [投稿:2013年 5月14日]  #2419

 岡山県北部鏡野町の奥津渓に、5月11日(土)、甌穴(おうけつ)を見に行ってきた。これは、放送大学鳥取学習センター「ジオ部」の課外活動の一つであり、同センターを任期満了でこの3月末に退職したが、元客員教員として特別参加した。

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 写真の中央左よりの丸い穴が、渓谷沿いに十数個ある甌穴の一つで、直径1m程度ある。甌穴(ポットホール, pot hole)とは、「河底や河岸の硬い岩面にできる大きな円形の深い穴。おう穴、かめ穴とも。河床の岩石に割れ目や節理があると、(略)弱い部分が速く削れてくぼみができる。このくぼみに小石などが入り込むと、渦流のため小石がくぼみの中を転がって、円形の穴に拡大する。大きなものは直径・深さとも数mに及ぶ。(新版 地学辞典.平凡社)」

 地学用語は、ときに非常に難しい(日常的には使わない)漢字を敢えて使うのだが、この甌穴の甌の元の意味は調べてみたのだがよく分からない。「かめ穴」とも言う「かめ」は甕で、pot[壷、鉢、甕、深鍋]の訳語と思われる。そして、甕(かめ)の音読みはオウである。

 すなわち、pot holeという術語(専門用語)があり、それを甕穴と訳し、オウケツを経て、甌穴となったのではないかと思う。

『奥津渓の甌穴(後)』   

 [投稿:2013年 5月17日] #2420

 『岡山の自然百選』には、「奥津渓の甌穴は“東洋一の甌穴”といわれ、奥津温泉下流笠ヶ滝から・・・・臼渕までの間に数えれば、十数個にもなります」(岡山県生活環境部自然環境課)と記載されている。“中国地方一”や“西日本一”を跳び越して“東洋一”には驚いたが、甌穴の大きさか、数の多さか、はっきり書いていない。

 くせものは「・・・といわれ」であり、誰が言ったか、どこでそう認定されたか全く触れていないことである。しかし、この文章があるのは科学書ではなく、観光案内リーフレットなので、よくあることで、目くじらを立てることではあるまい。

 一方、これよりはずっと重大なことは、臼渕に立てられていた『天然記念物 奥津の甌穴群』という立派な看板の冒頭に「・・・・奥津川の水流が渦巻いて河底にあった石塊が数千万年の永い年月にわたって回転した結果、・・・・渦を巻き穴が大きくなりできあがったものです」(鏡野町)の解説文である。

 ふつうは見過ごされることが多いだろうが、「数千万年」に目がとまった。花崗岩は硬いから、大きな穴ができるまでには長い時間がかかるだろうが、「数千万年」はない。日本海の拡大がほぼ終わったのが、すなわち日本列島がほぼでき上ったのが、約500万年前である。

 そこで観光リーフレットや地元のウェブサイトを見てみたら、いずれにも「・・・石の塊が数十万年の長い年月にわたって回転し・・・」とあった。正確な年代は分かりようがないが、数十万年がオーダーとしては妥当だろう。そうすると、看板を作るとき、原稿の段階か文字を描くとき、誤って「十」が「千」になってしまったに違いない。これは訂正した方が良いので、鏡野町へ指摘しようと思う。

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 [写真]臼渕の河岸の遊歩道横の甌穴

P.S. 後日、鏡野町産業観光課より、
「奥津渓・甌穴の看板につきまして、ご連絡いただき誠にありがとうございました。先生ご指摘のとおり、“数千万年”は誤りであり、“数十万年”が正しいです。早急に修正させていただきます」
とのメールを受けとった。

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『岩美町のカキツバタ』

 [投稿:2013年 5月21日]  #2422

 鳥取市の花は、10月から11月初旬にかけて鳥取砂丘の砂の畑を赤紫でおおう「らっきょうの花」」である。その東隣の岩美町の花は、5月から6月初旬にかけて濃い紫色の花を咲かせるカキツバタである。

 岩美町のカキツバタ群生地は、日本三大カキツバタ自生地の一つである唐川(からかわ、標高約400 m)のカキツバタ群落(国の天然記念物)と、岩美町牧谷の又助池(またすけいけ、標高5 m)の群落(鳥取県自然環境保全区域)がある。

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 写真は5月12日の牧谷、ちょうど見頃の始まりのときだった。

 
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『彩雲か、暈(かさ)か?』

  [投稿:2013年 5月28日] #2423

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 26日(日)10:30頃、鳥取市内で色のついた雲が見られ、それを撮影した知人(匿名氏)から写真が送られてきた。東町の小学校の運動会の最中、子供たちが先に気づいたそうである。写真の中央(南東方向)の雲が赤-青に着色し、その左右の雲もうっすらと色づいているように見えたので彩雲かな、と思った。

 彩雲(さいうん)とは、「高積雲などの縁が、とくに雲が消える傾向にあるとき、美しく5色に輝くときがあり、これを彩雲という。雲粒による光の回折によって生ずる現象である」(山本義一、「気象の事典」)。

 一方、今日(28日)の日本海新聞に[「虹色のオーロラ」 鳥取で環水平アーク観測]の記事が載った。26日11時頃、鳥取市内にて南南東の空に出現した現象をアマチュア天文家が撮影した写真が掲載された。環水平アークは、暈(かさ、ハロ、halo)と呼ばれるものの一部分であり、巻層雲などの中の氷晶による光の屈折と反射により形成される。暈のうち最も出現頻度が多い内暈は、太陽の周囲に、視半径22度くらいに見られる(山本義一)。

 欄の写真と新聞掲載の写真は、同時期の同じ現象と考えられる。さて、彩雲か、暈(かさ)か?まず、雲が高積雲か、もっと上空の巻層雲かが一つの判断材料であるが、後者のように思われ、そうすると暈になる。しかし、環水平アークのような暈は、太陽との位置関係がはっきり決まっているので、普通は広い範囲にぼやっと広がることはないと思われる。そうすると、彩雲か?結局、写真だけからはどちらとも判定できない。

 なお、一昨年5月22日13:30頃、鳥取市国府町にて環水平アークが観測された。このときは、上が赤、下が青の輪郭が鮮明な光の帯が現れ、その帯は水平よりわずかに下に凸、すなわち逆さ虹のように見られ、暈であると確信がもてたものだった。

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『内暈と幻日』

  [投稿:2013年 6月 1日] #2424

 報を投稿後、5月26日の雲に関わる光学現象がよそでも観察されたかどうかインターネットであたってみたが、調べた限りにおいて同日は他にはなかった。その代り、暈、環水平アーク、彩雲、その他の光象に関し、非常に多くのいろいろなサイトにて、写真、記事、解説などが掲載されていることを知った。しかし、それらのほとんどは、ネットの習慣どおり匿名者による執筆であり、科学的に信頼できるかどうか、判断が難しいこともある。

 26日鳥取の光象は、何度も写真を見るうちに、非常にぼやけた(不完全な)環水平アークかな、と思うようになったが、正しいことは太陽と色つき雲との位置関係を調べないと明らかにならない。

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 ここに掲載した写真は、南極氷床の内陸で見られた内暈(うちかさ)と幻日(げんじつ)である(1973年11月または12月、成瀬廉二撮影)。雪上車の屋根上の回転灯で隠された箇所が太陽、その左右、ほぼ同じ高度に見られる明るいスポットが幻日、それを直径とする円が内暈である。内暈の上部にて円に接するように、薄く上端接弧(タンジェントアーク)が認められる。

 また本欄No.2411(4月15日 付)の写真でも、赤旗で遮った太陽の周りに内暈と幻日が明瞭に見られる(2012年12月または2013年1月、南極氷床南緯79度地点にて、本山秀明撮影)。

 雲の中の氷晶が六角形の板状結晶の場合、空気中に浮遊するとき、空気抵抗の大きい板の面が水平になる可能性が高い。この板状結晶の側面に横から光が入射し、氷晶内で屈折して別の側面からでてくると、角度は約22度曲がる。だから、太陽の左右22度付近に“太陽”が見えることになる。それが鮮やかな幻日となるためには、多くの氷晶の姿勢が揃っている必要がある。他の結晶形や、氷晶の他の面に光が入射すると、暈(ハロ)のいろいろな部分が見えることになる。(参考:正野重方「気象学総論」、武田康男「楽しい気象観察図鑑」)

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『内暈と幻日(続)』

  [投稿:2013年 6月 4日] #2425

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 写真は、南極昭和基地前の海氷上で観察された暈(ハロ)であり、太陽の右側の幻日が鮮明に写っている(1993年、季節不明、第34次越冬隊・澤柿教伸撮影)。内暈はほとんど確認できないが、中央の太陽が明るすぎるため、出現していても写真には写らなかったのかもしれない。なお、海氷上に見られる物体は、駐機している小型航空機、セスナとピラタスである。

 雲の中の小さな氷の粒(氷晶)の内、六角形の板状結晶とともに多いのが六角形の柱状結晶である。この角柱は横向きに寝た状態で浮遊することが多い。このとき、角柱の側面に太陽光が入射し、屈折して別の側面からでてくると、太陽の周囲、視半径約22度の円が現れる。これが内暈(日暈ともいう)である。

 上、南極の3枚の写真はいずれも太陽高度が低いときのもので、内暈の円の下方は地(水)平線の下になり、見えていない。太陽高度が58度以上のとき、六角形の氷晶の側面から光が入って、底面からでてくると、太陽の下方に横に伸びた虹色の鮮やかな環水平アーク(水平環ともいう)となる(「楽しい気象観察図鑑」)。

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『雨が降らないのに梅雨入り』

  [投稿:2013年 6月 7日] #2427

 気象庁の発表によると、九州・四国・中国地方は5月27日に、近畿・東海は28日に、関東・甲信越は29日に、それぞれ「梅雨入りしたと見られる」そうである。九州を除くいずれの地方も、平年より10日から11日も早い。

 梅雨入りや明けの情報は「現在までの天候経過と1週間先までの見通し」をもとに発表されている。しかし今年は、梅雨入り後、各地で梅雨らしい雨はほとんど降っていない。例えば鳥取では、梅雨入り後10日経つが、多少でも雨が降ったのは28日16.5mm、29日0.5mm、6月2日2ミリの3日のみである。

 今年の5月、北日本から九州まで、全般的に月間降水量は少なかった。気象庁によると、仙台、甲府、鳥取、岡山、高松、鹿児島など計16地点では5月の月降水量は過去最少を記録した。特に高松は今年5月の総降水量は11ミリで平年の10%と著しく少ない。なお鳥取の同月39.5ミリは平年の30%だった。また、今年5月の降水量の少なさは、米子は過去3位、大阪は過去4位、東京は過去6位だった。

 この‘異常な’少雨が5月下旬で解消され、梅雨に入ると気象庁は予測したのだろうが、どうも、その宣言はフライングだったような気がする。後日、この期日(速報値)は変更されるかもしれない。

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  [写真]山陰海岸ジオパーク・兵庫県穴見海岸(2013年5月26日)

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『恵みの雨(?)』   

 [投稿:2013年 6月17日] #2429

 「梅雨」に入ってから一向に雨らしい雨模様にならなかったが、6月15日(土)、西日本ではようやくまとまった雨が降った(大阪44ミリ、広島48ミリ、等)。

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 鳥取では14、15日の2日間で計6ミリと少なかったが、植物にとっては一息ついた感じがする(写真:シャラの木<ナツツバキ>)。一方鳥取市の南の山間部では、両日の合計で、智頭29ミリ、佐治28ミリ、若桜18ミリと比較的多くの降水があった。

 その結果、鳥取平野の中央を北に流れる千代川(せんだいがわ)の水位は15日には前日に比べ20〜30 cm上昇した(国土交通省データ)。しかし翌日には、水位は再び低下に向かった。つまり、この2日間の降水が、農作物や植生にとって、一時的にはそうだが、本格的な「恵みの雨」になったとは言えない。


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『残雪多い十勝連峰』

 [投稿:2013年 6月11日] #2428

 6月8、9日、あるイベントへ参加のため北海道中央部の美瑛町へ行ってきた。8日は高曇り、9日は快晴で、美瑛町から残雪を抱く十勝の山々が良く見えた。写真は(8日)は、白金温泉(標高650 m)から見た十勝連峰の(右から左へ)十勝岳(2077 m)、美瑛岳(2052 m)、美瑛富士(1888 m)である。

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 写真で感じられるように、6月中旬になろうというのに十勝連峰の残雪が多い。しかし、それは私の印象に過ぎない。残雪の形(「雪形」ゆきがた)を農事暦として、あるいは変化に富む自然景観の一形態として、麓から眺めたり、写真にとどめていた人なら、今年の残雪が例年に比べてどの程度多いのか、はっきり分かることだろう。

 気象庁の美瑛アメダス(250 m)における、今冬季の最大積雪深は3月12日の104 cmで、それは同地点の観測史上第6位である。少し離れるが標高の高い層雲峡アメダス(540 m)でも、最大積雪深は3月16日の170 cmで、同地点の観測史上第2位である。すなわち、これらの地点では、冬の後半の3月中旬に多くの雪が積もり、美瑛では4月16日に消雪したが、山地では6月になっても広い地域に雪が残ることになった。やはり、「今年は残雪が多い」ことは確かなようである。


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『奥大山・擬宝珠山』

[投稿:2013年 7月 7日] #2436

 雲の動きが速い雨模様の7月6日、奥大山の擬宝珠山(ぎぼしやま、又は、ぎぼしゅがせん)を登ってきた。標高1110 mの立派な山だが、登山口が910 mにあるので、山登りというよりは、ハイキングの感覚で楽に山の雰囲気を味わうことができる。上り35分、下り20分だった。

 大山とは一般に、登山頂上の弥山(1709 m)〜主峰の剣ヶ峰(1729 m)〜三鈷峰、およびその外輪山の烏ヶ山や船上山などを総称した名称でもあるが、岡山県境の擬宝珠山や蒜山(上蒜山、中蒜山、下蒜山)なども含めて表すこともある。

 擬宝珠山は大山主峰の南東6 kmにあり、その麓は、国立公園・国定公園内の36か所に設置されている国民休暇村の一つ「奥大山」鏡ヶ成(標高900 m)である。そこから山頂まで登山道がブナ林の中に良く整備されており(写真)、あちこちに青、白のヤマアジサイが見事に開いていた。
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 頂上は霧(雲の中)で周辺の山はまったく見えなかったが、鳥取市は最高気温32℃を超える夏日に、つかの間の涼しさを楽しむことができた。




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