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zoom RSS エベレスト氷雪崩;砂丘光塔;防災公園;黄砂;大森貝塚;瀞川平;流痕化石;智頭Amedas;台風11号

<<   作成日時 : 2015/05/19 17:00   >>

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 [Photo] エベレスト山(右奥の岩峰)とクンブ氷河.
エベレストBCの下流、右岸モレーンから、1996年10月撮影(門田勤).


エベレスト山の氷雪崩 (1) 

投稿日:2015/05/19、No.162

 去る4月25日正午頃、ネパール国内を震源とするM7.8の大地震が引き金となり、世界最高峰エベレスト山(8,848 m)で雪崩が発生し、国内の報道によると、ベースキャンプ(5,300 m)に滞在中の約1000人の登山者およびシェルパの内、日本人1人を含む少なくとも19人が死亡し、数十人が負傷した。

 雪崩事故現場は人里から遠い高山の中ながら、登山者や山岳ガイド等が各種SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用して現地の状況を発信したので、事故の翌日には「18人の遺体が収容され、61人が負傷。エベレストでの過去最悪の惨事となった」(ロイター通信)などと報じられた。

 一方、雪崩については、発生箇所、規模、性質などについてほとんど情報がない。しかし今回の山岳事故では、2、3年前は考えられなかったことだが、遭難者が雪崩に襲われる直前まで、あるいは雪崩に埋まっても撮りつづけていた動画が、何本かYouTubeに投稿された。

 その内の一つに、雪崩の発生からベースキャンプ(BC)に到達するまでの1分40秒間を撮影した動画があった。それによると、発生箇所は、クンブ(Khumbu)氷河のアイスフォール(氷河の急傾斜地帯:写真中央のクレバス域)の右岸の岩壁に張りついた懸垂(けんすい)氷河のようである。

 すなわち、その懸垂氷河の一部(多量の氷)がアイスフォール上に崩落して、粉々になった氷が雪や岩屑とともにクンブ氷河上を流れ下った氷雪崩(こおりなだれ)である、と考えられる。

   
   (2)                  投稿日:2015/05/22、No.163

 そのYouTube動画によると、雪崩の前面(フロント)の雪煙は、時間とともにどんどん背が高くなるように見える。実際、フロントは空気の抵抗を受けるので、後続の雪氷粒子の方が速度が大きく、その結果、先端部に粒子が密集し、煙型雪崩のフロントは縦に高く、横に拡がり、雪崩の塊はオタマジャクシのように頭が大きく、長い尾をもつ形態となる。

 「巨大な雪の壁がのしかかってきた」(AP通信、読売)との遭難者の証言はこれを物語っている。また「飛んできたがれきに当たった」(CNN)との談話から、この雪崩は雪粒と氷片のみではなく、落石や岩屑を巻き込んでいたことが想像される。

 雪崩発生点の正確な位置は不明だが、ベースキャンプ(BC)から2 kmないし4 km上流だと仮定すると、雪崩フロントの平均速度は2km/100s(=20 m/s)=時速70 kmから4km/100s(=40 m/s)=時速140 kmとなる。この速度は、乾雪表層雪崩の標準的な速度の範囲にある。

 また、BCに数多く設営されていたテントのすべてが被害にあったわけではない。吹き飛ばされたり、流されたテントや人は全体の一部である。したがって、BC付近はこの雪崩の減速、停止位置付近だったと考えられる。

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 [写真]クンブ氷河のアイスフォール(写真中央の凹凸が激しい地帯).氷河調査隊のテント地(エベレストBC)から、1999年5月撮影(内藤望).
    (写真中央の黒矩形は、パノラマ写真を自動合成した際の隙間)

 
     (3)               投稿日:2015/05/25、No.164

 登山のベースキャンプ(BC)は、一般に休養、高度馴化、天気待ちのために長期間滞在するので、平坦地で水が得られることの他に、落石や雪崩に対して安全な場所が選ばれているはずである。

 しかし、今回はBCまで雪崩が到達した。かつてそういうことがあったかどうかは分からないが、少なくともBCで多数の雪崩死者は記録にない。

 今回の氷雪崩の発生場所は、添付の写真中央のアイスフォール上部の左(右岸)の岩壁の中ほど辺りと思われる。標高は7000 m付近との情報もある(AP、読売)。

 その雪崩のきっかけとなった懸垂氷河は、急斜面ゆえ、常に少しずつ流れ下っている。そして、力の均衡が崩れると、氷体の一部が周囲の雪とともに崩落する。

 頻繁に崩壊する氷河なら、それによる氷雪崩も小規模だが、懸垂氷河によっては数年〜十数年に一度大きく崩壊する。そのような場合は、大規模な氷雪崩を引き起こすことになる。

 昨(2014)年も4月18日に、アイスフォール上部の右岸の岩壁から雪崩が発生し、荷上げおよびルート整備中だったネパール人シェルパ(ガイド)16人が死亡した。

 この遭難事故の後、雪崩や落石を避けるため、登山ルートは右岸寄りではなく、アイスフォール中央付近に変更されたそうである。アイスフォール地帯は、クレバス(割れ目)や氷塔が多く、通行は困難を極めるが、いつ襲われるか分からない雪崩よりは対処しやすいからであろう。

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   [写真]クンブ氷河アイスフォール直下にて微気象およびアイスレーダ観測(1999年5月、内藤望撮影).


        (4)              投稿日:2015/05/28、 No.167

 エベレスト雪崩事故に関する一連の報道で、アイスフォール地帯の登山ルートに設置されていたハシゴや固定ロープが雪崩のために破壊され、上部のキャンプ1(C1:5970 m)、キャンプ2(C2:6553 m)に滞在中あるいは登山行動中の多数の登山者が下山できず孤立している、と伝えられた(Quartzほか)。

 BCから発信した登山者のツイッター(26日)をもとに、「取り残された登山者のためにヘリコプターでロープなどの装備が届けられ、数人が搬送されたが、まだ100人以上が取り残されていると見られる。全員をヘリで運ぶことは現実的に不可能、あまりに人数が多過ぎる」と報じられた(CNN、4.27)。

 一体どうなるのか、どうなったのか、大変気になっていた。その後の経過は、イギリスの大手紙The Guardianの電子版(4.28)によると概要は次のとおりである。

 C1とC2に取り残されていた140人の登山者は、3機のヘリコプターにより救出活動が行われたが、空気が薄いため1フライトに2人ずつのシャトルの結果、28日までに全員が無事救出された。

 ヘリコプターが安全に飛行できる高度は、富士山頂上くらいまでだろうと思っていた。しかし、C2までは天候が良ければ支障なく飛行できるそうである。なお、国際標準大気では、気圧が地上の半分になる高度は5500 m、空気の密度が地上の半分になる高度は6670 mである(航空宇宙工学便覧より)。C2は後者に近い。

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 [写真]エベレスト山(中央奥の岩峰)とクンブ氷河アイスフォール(BC付近から、1999年5月、竹内由香里撮影).急峻な岩壁には、雪崩、氷雪崩の破断面がたくさん見られる.


         (5)            投稿日:2015/05/31、No.168

 ネパールの地震発生は4月25日11:56(現地時間)である。雪崩発生の正確な時刻は不明だが、BCにいた登山者の「昼食前にテントに入り、横になって休んでいると、激しい横揺れに襲われた。その直後、ドン、ゴーという雪崩特有のごう音が聞こえた」(毎日、4.30)等の談話が複数あるので、このエベレストの氷雪崩は地震により引き起こされたことはほぼ確実である。

 では、同じく地震多発国の日本では、積雪期に地震が起これば雪崩が発生しているだろうか。東北地方太平洋沖地震が起こった2011年3月11日は、東日本の山岳地はどこにでも十分な雪があった。

 3月11日朝、白馬村の北アルプス小日向山(1908 m)に山スキーに行った男性3人が雪崩に遭遇し、いずれも死亡した。この事故に関し、報道各紙は「東日本大震災の揺れで起きた雪崩に巻き込まれた可能性もあるという」「地震と雪崩との関係が指摘されていた」などと報じた。

 しかしながら、雪崩現場を調査したNPO法人日本雪崩ネットワーク(出川あずさ代表)は、「人的誘発あるいは地震が関係しているかは不明」という見解である。一般に、雪の層や質を調べても、雪崩との関連は分かり様がない。キーは、雪崩発生の正確な時刻であろう。

 一方、2013年2月25日、栃木県日光市で震度5強の地震があり、直後、奥鬼怒温泉の道路際で雪崩が多発した。調査を実施した雪氷防災研究センター(上石勲センター長)は、「日光市を震源とするM6.3の地震により各所で大規模な表層雪崩が誘発された」と結論づけた。

 雪崩の発生メカニズムについては未解明なことも多いが、少なくとも、斜面上の積雪や氷河が、雪崩や氷雪崩が発生しそうな程度に不安定な状態になっていたとき、地震による揺れが引き金となって雪崩が起こることもある、ということは言える。

 
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 [写真]エベレスト(中央)とヌプツェ(右).BCの下流の右岸モレーンから(1999年5月、内藤望撮影).

                      (完)

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『鳥取砂丘「光のタワー」取り止め』
                       投稿日:2015/06/05、No.169

 鳥取市は先月中旬、砂丘にて大型投光器を使い高さ7000 mの「光のタワー」を出現させる計画を発表した。本年10月〜1月に開催される「鳥取砂丘光のアートフェア」の一環で、19台の高出力サーチライト(キセノンランプ)で光のタワーを作る、という構想だそうだ。

 高度7000 mとは、とてつもない高さである。地球を完全な球と仮定し単純な計算をしてみると、200 km離れたところからでも、光タワーの上半分は見えることになる。

 当然いろいろな支障や問題がありそうだが、鳥取市さじアストロパーク佐治天文台は、組織の立場上と思われるが、公には見解を表明していない。

 一方、迅速に態度を明確にした団体は、アメリカに拠点を置くNPO国際ダークスカイ協会(International Dark-Sky Association)の東京支部 (代表:越智信彰)で、「”光のタワー”計画に対し懸念を表明します」という声明(5月21日)と公開質問状を発表した。

 その懸念の理由は、生態系への影響(特に、鳥や虫)、天体観測・観察への支障、人間への迷惑・健康害の3点である。報道でも、光害(ひかりがい)を問題視する論調もあった。

 そうこうする内、鳥取市は5月29日、本計画を断念すると発表した。お粗末なことだが、当然である。

 そもそもこの計画が、観光客が少ない冬場の人寄せが目的だったようである。砂丘を含むジオパークのような、自然を主体とする園地や景観は、シーズンにオンとオフがあるのは必然である。オフでは、訪れる観光客は少ないが、オンでは見られない稀少な自然を観賞し体験することもできる(写真:雪の鳥取砂丘、2015.1.3)。
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 ジオパークは、自然環境を保全しつつ、環境教育、ジオツーリズム(自然観光事業)、地域振興を図ることを目的としているが、あくまで自然の状態の自然を売りにすべきであり、観光政策が突出する公園であってはならない。

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『兵庫県立防災公園』            
                           投稿日:2015/06/11、No.170

 播磨・三木市の兵庫県立三木総合防災公園にて開かれたスポーツイベントに参加した(6月7日)。名前が防災公園なので、何か特別な設備などがある場所かと思っていたが、陸上競技、野球、サッカー、テニス、グラウンドゴルフ等、さまざまなスポーツ施設と、自然体験の広場と森林ゾーンを有する広域公園であった。

 この公園の全面積は202 haであり、大阪城公園106 ha、皇居142 haと比べると、いかに大きいかが分かる。

 スポーツと自然散策のために利用されるのは、平常時の姿である。一方、災害時には、兵庫県全体の広域防災拠点としての役割を担うよう計画されている。例えば、野球場とサブ競技場は臨時へリポートおよび物資の集積・仕分け、陸上競技場は備蓄倉庫、その他の球技場と芝生広場は救援活動要員の集結・宿泊などに利用される。

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 写真は、同公園の一角にある兵庫県広域防災センター・消防学校であり、右側の高層建物の一面には救助活動の訓練用と思われるフリークライミング壁が見られた。

 このような救援活動の拠点としての防災公園は、東京都では日比谷公園(16 ha)など18か所(東京都公園協会)、大阪府では服部緑地(126 ha)など6公園、そのほか全国の市区町村により数多く整備されている。

 災害と言えば従来は地震と火災が主に考えられていたが、最近はこれに加えて津波、都市型水害、地盤液状化、交通マヒなどが懸念され、都市の防災計画は次々に見直しが迫られている。

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『夏の黄砂(前)』        
                               投稿日:2015/06/16、No.171

 日本に飛来する黄砂は春に多い。気象庁の統計によると、国内60観測所のいずれかの地点にて黄砂を観測した年間総日数の平年値は24.2日で、その内2, 3, 4, 5月の4か月間の黄砂日数は総数の92%に達する。6月の黄砂日数は0.4日なので、めったにないと言える。

 黄砂が中国内陸部から日本に到来するためには、タクラマカン砂漠などの乾燥・半乾燥地域の地面状況、砂嵐を引き起こす強い風、発生地から日本列島へ向かう上空の偏西風の流路、の3条件がそろった時と考えられている。特に、雪や凍土が融けたり、半乾燥地で草が十分に生育していない春は、砂が舞い上がる可能性が高い。

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 6月12日、真庭市蒜山高原へ行った時、遠くの山々は薄く霞んでいた(写真: 蒜山ハービルから見た蒜山三山。12日15:30)。鳥取地方気象台では、同日は黄砂とは判定せず、天気は「晴;一時、煙霧」であった。煙霧とは、乾いた微粒子により視程が10 km未満となっている状態である(気象庁の定義)。

 翌13日、九州北部から、中国地方、近畿にかけて広域で黄砂が観測された。鳥取市では日中の視程15〜20 km、米子では5〜17 kmだったが、鳥取地方気象台のみ黄砂とは発表しなかった。

 しかしながら、西日本各地のデータと比較検討すると、6月12日〜13日は、鳥取県でも弱い黄砂が漂っていたことは確かである。6月の黄砂は珍しいことである。


    (後)          投稿日:2015/06/19、No.172

 全国の気象台等にて観測者が常駐しているところでは、人の目視で、空中の混濁した状態と視程をもとに、黄砂か否かを判定している。その際、下記の黄砂予測を重要な参考情報としている。

 気象研究所(気象庁)は、独自に開発した大気大循環モデルを用い、黄砂の発生(舞い上がり)から輸送、拡散、沈降に至る過程を数値実験し、日本列島周辺を東西110 km、南北140 kmの格子に分割して、各高度の黄砂濃度予測分布図を毎日発表している。

 以上の目視と数値シミュレーションの他に、各所にて観測機器を用いた黄砂の実測も行われている。その一つに、レーザー光線を地上から上空に発射し、浮遊する粒子状物質に反射して返ってくる光を測定することにより、黄砂の飛来量を計測する装置(ライダー、LIDAR)がある。これは、他の大気汚染物質と区別して黄砂等の粒子状物質の鉛直分布をリアルタイムで遠隔観測できるが、中国地方では松江のみにしか設置されていない(環境省管轄)。

 また、鳥取県では数箇所にて、空気の捕集法により、浮遊粒子状物質(SPM:粒径10マイクロメーター以下)および微小粒子状物質(PM2.5:2.5マイクロメーター以下)の濃度を測定し、それらのデータは常時公表されている。

 SPMは、鳥取市および米子市とも6月12日〜16日は平常よりはかなり高い値を示し、PM2.5の13日の平均値は、鳥取市で42、米子市で40マイクログラム/m3であり、日本の環境基準(1日平均値35マイクログラム/m3)を超えた。

 黄砂や大気中の微小粒子は、日射を散乱させたり赤外放射を吸収することにより、長い目では気候変動の要因になる。短期的には呼吸器系の健康被害も懸念されているが、さらに日常的には晴天ながら青くない空や、遠景の山々、森林の鮮明度・透明度の低下など不満足感は小さくない。

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 [写真]江府庁三平山森林公園付近から5 km北方の大山南壁を見る(12日14:30).

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『大森貝塚(前)』 
                          投稿日:2015/06/23、No.173

 JR大森駅の近く、品川区大井にある大森貝塚を見学した(6月16日)。ここは、新橋〜横浜間に鉄道が開通した5年後の1877(明治10)年、アメリカ人の貝類研究者E・モースが、列車の窓から崖の露頭に貝の層を発見した所である。

 同年秋に、モース等により日本初の学術的発掘が行われ、そのため大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれている。

 貝塚とは、かつてのゴミ捨て場で、有機物は腐食してなくなるが、貝殻の他に、魚や動物の骨、土器、石器などが地層の中に見つかることが多い。モース等の調査でも、これらの多くの遺物が発掘された。写真は、大森の観察ブース内の貝殻堆積層(中央の左下がりの層)を示す。
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 大森貝塚は、縄文時代後期から晩期(約3500〜2400年前)の遺跡である(品川歴史館)。昔は、ゴミをわざわざ遠くへ運んで捨てる必要はないので、貝塚は当時の住居のすぐ近くと考えられる。

 しかし住居跡が確認されたのは、ずっと後、1993年の調査によってである。大森貝塚がある崖の上の標高が9 m、崖の下は2〜3 mなので、この崖のあたりが海水面が高かった縄文時代の海岸だったことになる。そこに、海の幸を利用する人々が暮らしていた。


      (後)    
             投稿日:2015/06/26、No.174

 実は、大森貝塚と称される場所は2箇所あった。品川歴史館(解説シート)によると、モースの発掘調査報告書“Shell Mounds of Omori”(1879)には、発掘地点の詳しい記述も、現場周辺の地図の表示もなかったため、その後の景観の変化などのため発掘場所が分からなくなった。

 これはありがちなことである。野外調査の場合、報告書に観測地点やサンプル採集場所の記述は必須である。その際、例えば、“川の合流点の左岸”とか、“氷河消耗域上流中央”とか、おおよその位置で十分な場合もある。しかし、測量の基準点とか観測点のように、確実にその場所へ再訪する必要がある場合は、詳細な見取り図を作成したり、測量データを残したり、標識をつけ、石でケルンを積んだりする。それでも、5年後には風雪により標識は飛散し、ケルンは崩れ、正確な場所の特定が難しくなることがある。

 大森では、その後、最初の発掘関係者や専門家の意見をもとに、40余年後の1929-30年に、品川区に「大森貝塚」碑が、大田区の大森駅近くに「大森貝墟」碑が建立された。両者は約300 m離れている。

 後の本格的調査の結果、前者がモース発掘の真の大森貝塚であることが諸証拠により裏づけられた。その後この地は公園として整備され、1996年、品川区立の大森貝塚遺跡庭園として開園した。

 同園には、中央広場には霧の噴水がある立派な公園(写真)だが、なぜかヨーロッパの古代遺跡のイメージである。もっと縄文時代らしい雰囲気にすれば良いのに、と思う。ただしそれだと、若者たちや、幼児+母などは好んで来ないかも知れないが。
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『瀞川平の大カツラと名水』
                              投稿日:2015/07/01、No.175

 兵庫県香美(かみ)町の瀞川山(標高1039 m)の中腹に広がる瀞川平(とろかわだいら)に但馬高原植物園(680 m)がある。春、夏、秋と、森林や草花は変化に富み、さらに夏は涼しいので、好んで訪れる自然公園の一つである。

 その植物園の一角に、樹高38 m、幹周り16 mの大カツラがあり、推定樹齢1,000年で植物園のシンボル的存在である(写真:6月22日)。
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 この大カツラの上手(写真の木道の奥)から、1日に約5,000トンの水が湧き出しており、水温は約10℃で、色度、濁度、臭気、味などいずれも優れた名水で、極めて純度の高い軟水ということである(香美町観光商工課)。飲んでみると冷たくて美味しいが、果たして他の水とどう違うのか、残念ながらその判定はできない。

 「かつらの千年水」とも名づけられたこの名水は、2008年、環境省により「平成の名水百選」に選ばれた。選定に際しての評価事項は、(1)水質・水量、(2)周辺環境、(3)親水性、(4)水利用状況、(5)保全活動、(6)その他の特徴、だそうである。つまり、飲用として優れているかどうかは一要素に過ぎず、全体としては「水環境の保全」の状態を重視しているようである。

 なお、1985年にも環境庁により「昭和の名水百選」が、全国47都道府県全てから最低1箇所選定された。「平成の名水百選」はこれとは重複しないように選ばれたので、両者を合わせると「名水二百選」ということになる。

 ちなみに、鳥取県では、昭和の名水に「天の真名井」(淀江町)が、平成の名水に「布勢の清水」(鳥取市)、「宇野地蔵ダキ」(湯梨浜町)、「地蔵滝の泉」(伯耆町)が選ばれている。布勢以外は初めて聞き、したがって行ったことも、飲んだこともない。

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『海底面の流痕(前)』
                            投稿日:2015/07/06、No.178

 香美町の観光マップに「海底面の流痕」と表示された場所があった。そこは、山陰海岸ジオパークのジオスポットの一つともされている。しかし、その場所は海岸ではなく、かなり内陸の高原に近い。観光パンフレットには説明がないが、まずはその場所へ行ってみることにした(6月22日)。

 国道9号の香美町村岡から神鍋高原方面へ向かう482号線を1 kmほど入ると矢田川フィッシングセンターがある。地図によると、目的地はそのやや上流である。道路沿いにはそのスポットの標識や案内板は一つもない。

 そこで歩いて探そうと、路側に車を停め車外に出たとき、道路から20-30 m下の沢の対岸に、小さな看板が見えた(写真)。遠くて文字は読めないが、ここがその場所に間違いない。しかし、そこへ下りる歩道も踏み跡もない。
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 そのため歩いてフィッシングセンターへ戻り、釣具店兼食堂の横を通り現場の近くまで行った。しかし、橋はなく、渓流の対岸に渡れない。

 そのとき、フィッシングセンターの店主妻がゆっくり近づいてきた。後から知ったのだが、ここは渓流釣り料金として入場料が必要であった。
 「こんにちは。あのー、この付近に珍しい地形があると聞いてきたのですが」と、こちらから先に声を掛けると、70歳代と思われる同氏は、
 「あー、リューコンカセキね」と。リューコンなんていう言葉がすらっと出てきたのにはびっくりした。

 同氏によると、以前は橋があって、流痕のある洞穴まで行けたのだが、OO号台風で傷み、危険だからということで町が撤去してしまったそうである。たしかに、沢登りのつもりだったら容易に渡渉できるが、単なる見学者、観光人はここ(渓流釣り場)までである。

 続いて同氏は思いもしなかった逸話を語ってくれた。
「あれを発見したのは私なんです。昭和44年に、私らがここのフィッシングセンターを始めたのですが、その直前か直後頃、渓流沿いに歩いていたとき、洞窟の入口付近に貝殻と魚の形をした石を見つけたのです。そのことを、知り合いだった村岡高校の先生に話したら、すぐ見に来てくれて、これは貴重なものだとか言って、県の委員会か何かに話を持って行ったのです」

 その結果、昭和46年、兵庫県により重要文化財(天然記念物)に指定された。


          (後)    
          投稿日:2015/07/09、No.179

 結局、洞窟の中を覗くことも、その入り口付近までも行くことができず、遠くから望遠レンズで写真を撮っただけである(写真)。
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 写真を拡大すると、「海底面流痕化石」という看板に以下の解説があった。香美町教育委員会のサイトにもほぼ同文が掲載されている。

「砂や礫などのまじった海底面の水が、海底で土石流となって流れるとき、そのときの海底面に、流れの方向にそった波状の凹凸面をつくる。このようなものは流痕とよばれている。
 ここには約1,400万年〜1,600万年前に(中略)浅い海底面につくられた見事な流痕がみうけられる。」

 この時代は、日本海が拡大しながら、日本列島が出来つつある頃である。したがって、標高270 mの村岡の沢沿いに海由来の生き物の化石が発見されても不思議はない。

 例えば、鳥取市国府町宮下の標高100 m付近にも多種多数の魚類化石が産出しており、それらの堆積層の年代はフィッショントラック法により1,700〜2,200万年前ということが明らかになっている(平尾和幸・他、2005:鳥取県立博物館研究報告)。

 解説板にはさらに次の文が続く(原文のまま)。
「流痕は泥質岩上にのる砂質岩層の底面にあらわれた雌型で幅3.2 m、長さ16 mの範囲に川の浸食によって下にある泥質岩がえぐりとられてつくられた洞窟の天井にあらわれている。」

 これは、非専門家がちょっと読んだだけでは到底理解できない。なぜ天井に見られるのか。文章も読みやすいとは言えない。

 まず雌型(めがた)とは、原型や製品と凹凸が逆の鋳型(あるいは単に型)のことである。したがって上記の文は以下の様に解釈できる。

・約1,500万年前の浅海底に堆積していた泥質の層の表面に波状の模様が形成される。
・その上に、砂質の層が堆積する。
・時間の経過とともに、両層とも固まって岩となる。
・その後、川の水により下層の泥質岩が浸食され、洞窟ができる。
・その洞窟の天井はより硬い砂質岩層なので浸食されず、そこに流痕の雌型が見られる。

 ジオパークは、学童を含む一般人が自然を観賞しつつ学ぶところである。その解説板やパンフレットは、読んだら大体は分かるものでなくてはならない。この「流痕」の看板は、専門家の原稿を元にしたのだろうが、香美町の担当者は、果たして十分理解したうえで作成したのか、いささか疑問である。

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『智頭アメダス』
                           投稿日:2015/07/15、No.180

 鳥取市の南に隣接する智頭町のアメダス(写真)は、何か特別とか、新しいとか、ということはない。ときどき、アメダスの気温や積雪深データを参考にさせていただいているが、鳥取県内のアメダスを見物/見学したことはなかったので、先日(12日)見に行ってきた。

 アメダスとは、AMeDAS(Automated Meteorological Data Acquisition System)の略で、直訳すれば自動気象データ取得システムとなろうが、気象庁では地域気象観測システムと言い、その観測所は地域気象観測所と呼ばれる。

 鳥取県内には、鳥取、米子、境以外に、4、5項目観測のアメダスが6か所、雨量のみのアメダス(地域雨量観測所)が6か所ある。日本全国では、合計約1300地点に何らかの観測所がある。

 智頭アメダスは、市街から少し離れた、千代川の左岸土手の外側の畑または雑種地の中にあった。交通とか建物の影響がないという点では、適地と言えるのだろう。

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 写真中央の円柱の頂部(6.5 m高)にあるプロペラ型測器は風向風速計、その少し下で斜めに設置されているセンサーは日照(時間)計である。その下、地上高1.5 mの高さに通風型の温度計がある。

 その左横の湾曲した柱の頂部にあるラッパ状の物体は超音波送受信機で、地面までの距離、すなわち積雪深を測定する。左端の円筒容器は、降水量計である。得られた各気象データは、右手前の白いボックス内にて処理され、ほぼ即座に電話回線を通して気象庁に送信されている。我々も、インターネットにて1時間前のデータを調べることができる。

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『台風11号 鳥取県を横断』
                               投稿日:2015/07/20、No.181

 大型で強い台風11号(Nangka)は、7月上旬以降ゆっくりと着実に、西日本とくに四国に向かって真っ直ぐ北上を続けていた。気象庁の(15日発表)台風情報によると、16日は四国から紀伊半島にかけて大荒れに、17日は山陰地方を含む西日本全域が大雨・強風という予報だった。

 18日に札幌の北大構内で開催されるイベント参加のため、17日朝鳥取発を予定していたが、今回の予報はかなり確度が高いと感ぜられ、急遽出発を1日早め、16日昼鳥取を発った(写真:16日昼過ぎ、愛知県上空にて。台風に刺激されて雨を降らせている前線の雲)。
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 同台風は、16日深夜に室戸岬付近に上陸し、17日朝倉敷市に再上陸し、同昼過ぎ米子市を通過して日本海に抜けた。このルートは、2011年9月3-4日の台風12号(高知−倉敷−津山−倉吉−日本海)と類似であった。

 鳥取県を台風が横断(*)したので、さぞや大雨や強風による被害が多発しただろうと思っていたが、TVや新聞の全国版には何もニュースが見当たらない。(*鳥取県を南北に通過したので縦断とも言える。しかし、長方形の長い方の辺から辺に横切る、と言う点からは横断。)

 気象庁のデータを調べてみたら、17日の日降水量は、鳥取、米子、境とも10ミリ前後で、ごく普通の雨降りだった。しかし、鳥取市の南の智頭町と若桜町では17日に57ミリ、64ミリとかなりの大雨となった。最大瞬間風速は、17日に鳥取17 m/s、米子20 m/s、境25 m/sであったが、強風が長時間持続したわけではない。

 今回の台風は、台風の進行方向の前面〜東側の高知県、徳島県、および紀伊半島、さらに兵庫県西部から京阪神地区にかけて多くの雨がもたらされたという特徴があった。





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