(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

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zoom RSS 鳥取力;八幡池;吹屋;銅山;PM2;開花;満開;鳴石;古地図;南極報;風土館;岡山森;神庭滝;鬼穴

<<   作成日時 : 2015/03/01 12:00   >>

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  大山南壁(2015年3月17日、花回廊より)


『鳥取力創造まつり2015』
            投稿日:2015/02/28、No.143

 標記のイベントが今日(2月28日)午前から夕にかけて、倉吉未来中心にて開催された。これは、鳥取県未来づくり推進局鳥取力創造課が主催し、地域づくり活動のすそ野を広げることを目的としたものである。
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 この中に、活動団体PRブースへの参加募集があったので、NPO法人氷河・雪氷圏環境研究舎として出展した(写真)。ポスター発表のような形式で、当団体の概要と、極地雪氷圏のトピックスについて紹介した。

 活動PRブースに出展したのは36団体で、その内訳は、やはり「地域おこし・文化保存・観光振興」関係が最も多く、次いで「幼児・障がい者支援」「里山・生物」「環境・温暖化」関連の任意団体、プロジェクト、NPO法人などだった。

 飲食物提供ブースも5店あり、いのしし、鹿、牛ホルモン、あご(トビウオ)等を食材としたご当地グルメが賑わっていた。
 この他、創造活動表彰、トークセッション、分科会等が行われた。

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『八幡池(鳥取市内)』
         [前]   投稿日:2015/03/04、No.144

 かつては砂丘だったところにある鳥取空港は、滑走路が海岸に平行に東西に伸びており、離着陸時はそのときの風に向かうよう、西向きまたは東向きとなって飛行する。昨年の暮れ、東京から鳥取への帰途、右下に鳥取砂丘を、左に鳥取市街地を見ながら、高度を下げつつ進入していた。

 そのとき、左下の市街地の縁に池を見た。一瞬、砂丘近くの多鯰ヶ池(たねがいけ)?と思ったが、付近に住宅がたくさんあるのでそのはずはない。鳥取に10年近く暮らし、車とか徒歩で付近をしばしば通ったことがあるのに、その池の存在を知らなかった。

 国土地理院地図や鳥取市地図にも、市北部の丸山町と中の郷の境界付近に「八幡池」と明示されていた。しかし、インターネットや、郷土の自然関係のいくつかの本を調べたが、八幡池の存在はあるが、どういう池なのか、その成り立ちや特徴など、何の記述も見つけることができなかった。

 先日(2月17日)、ウォーキングがてら池を見に行った。国道53号の丸山交差点から砂丘へ向かう県道へ曲がり、しばらくして渡辺美術館の手前の坂道を丸山墓苑の丘に向けて少し上がると、池が見えた(写真)。立派な、きれいな池である。池の標識や案内板は何もない。
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 地図上で距離を測ると、長さ400 m、幅120 m程度で、池としてはそんなに小さいものではない。下手の美術館側の端が真っ直ぐな提となっており、人造池のようにも見えた。しかし、大雨時の出水を防ぐために設けた堤坊なのかな、とも思った。

 池に下りる歩道や踏み跡が見つからないので、対岸の中の郷側に行ってみた。すると、住宅地と池の境界に頑丈な背の高いフェンスが張られており、「関係者以外の入場をかたく禁止します。八幡池土地改良区」という看板が1本だけ立てられていた。

 土地改良区とは何だろう。調べるうちに、鳥取県公報(昭和30年10月)に「八幡池土地改良区設立を認可する」旨の公示があった。土地改良区とは、地区や**区のように地域や区画を示すものではなく、組合や協会のような農業者の自主的な組織であるということが分かった。

 したがって、八幡池は同土地改良区が管理している灌漑用の溜め池であることは間違いない。では、いつごろ造られた溜め池か。それは、かなり歴史をさかのぼることになる。


             [後]  投稿日:2015/03/07、No.145

 鳥取県立図書館では所蔵している古絵図の画像をインターネットに公開している。ただし解像度を落としてあるので、全貌やイメージをつかむのには良いが、地形の詳細や文字は分かりにくい。しかし、同図書館の郷土資料室へ出向くと、精細なデジタル画像を閲覧することができる。

 「因幡国八郡の絵図」の中の邑美(おうみ)郡全図に、八幡池の場所に青色で「池」が描かれていた。この図は、文政年間(1818〜30)に鳥取藩が作成した絵図を、明治20年(1887)に縮尺1/12,000で模写したものだそうである。これで江戸時代後期に「池」が存在していたことが分かる。

 次に、「因幡国鳥取古絵図」に鳥取城下町から丸山方面まで描かれていた。作製年代は不詳だが、寛永9年(1632)〜延宝元年(1673)の間と考えられている。この絵図に、はっきりと「池」が描かれ、池との記載がある(写真:郷土資料室の許可を得て画像を撮影)。
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 この絵図により、江戸時代初期には「池」があったことは確実である。だがこれは、自然の池で後に堤を築き溜め池にした、という可能性もある。しかし、池の左(現在の県道側)端は現状に似た直線となっているので、やはり人造池とみなす方が妥当だろう。

 なお、絵図の「池」の上方(東)に「関白様御陣所」の記載がある。羽柴秀吉が鳥取城を包囲したとき陣を構えたのは、久松山を挟んで反対側の本陣山(251 m)であったが、「秀吉勢は、・・・・・(丸山)の東北に本陣を設けさらに峰続きの山々に・・・・諸将を配置、(久松山と丸山を)四方から厳重に包囲した。(「鳥取城」、鳥取県立博物館)」。このように丸山およびその周辺は、1581年の落城にいたるまで、攻防にとって重要な地域であった。

 江戸時代よりもっと前から溜め池があっても何も不思議はない。日本各地では、用水路開削や治水工事がたくさん行われていた。それらの中で、八幡池は城下町に隣接するところの溜め池であり、歴史的にも由緒ある場所なので、もう少し皆がそれを見直し、親しんだらどうか、と思う。

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『ベンガラの町並み』
                   投稿日:2015/03/13、No.146

 ベンガラ色の壁、格子、瓦で統一された町並みが備中にあることを知り、倉敷への途次、岡山県高梁市の標高550 mの山村、吹屋ふるさと村に立ち寄った。街道に沿って約1 kmにわたり、ベンガラの町家が並んでいた(写真:2月21日)。
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 ここには豪商の邸宅もあるが、一般商店、住宅、郵便局、小学校など普通の集落の様相を示していることが特徴である。吹屋村は、1977年に国の重要伝統的建造物群保存地区の認定を受け、現在は観光に力を入れている。

 ベンガラ(弁柄)とは、酸化第2鉄を主成分とする赤色の顔料である。江戸時代に、付近の銅山の捨石(硫化鉄鉱)から発見されたそうである。ベンガラは、建築、ペイント、染織、陶磁器、漆器などに広く使われている。

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『吹屋銅山の坑道』
                  投稿日:2015/03/22、No.148

 弁柄(ベンガラ)は、硫化鉄鉱から硫黄分を取り除いて作られる緑礬(りょくばん、ローハ)を、乾燥、焼き、水洗、石臼ひき、脱酸、天日干し等の工程を経て精製される。

 その原料の硫化鉄鉱が産出された銅山が吹屋ふるさと村付近にあり、その坑道の一部が観光用に開放されている。それは、笹畝(ささうね)坑道で、江戸時代から大正時代まで操業した吉岡(吹屋)銅山を復元し、坑内の320 m区間が見学できる。

 見学者は、義務ではないが、入口でヘルメットを装着する。何のためかと思っていたら、通路部分は細く、背が低く、ヘルメットがしばしば天井の岩にぶつかるほどであった。しかし坑内はところどころ、銅の採掘場所は広い空間になっていた(写真:2月21日)。
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 銅山の坑道は、石見銀山もそうだが、とくに何か珍しいとか興味深いものが見られるというわけではない。ただ実際に現場を見学することにより、かつて狭く、暗く、換気の悪い中で、手作業で鉱石を掘っていた過酷な状況に思いを馳せることができる。

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『春、快晴、しかし山々霞む』
                   投稿日:2015/03/18(Wed) 13:20 No.147

 昨日は一気に春の陽気になり、鳥取では昼間はずーっと快晴、正午前後に最高気温22.9℃を記録した。もちろん今年最高である。

 午前から夕方にかけて米子方面へ出かけたのだが、どこでも遠くの山々はやや霞んでいた。まさに春霞(はるがすみ)なのだが、その正体は何か。好天、かつ気温が上がってきたので霧はあり得ない。鳥取気象台の観測では視程が25 kmあるので、黄砂との判定はない。

 一方、鳥取県生活環境部では大気中のPM2.5(微小粒子状物質)濃度を測定し、リアルタイムに公表している。それによると、昨(17)日の1日平均濃度は、鳥取保健所で21.6マイクログラム/立方メートル、米子で27.4であった。わが国が定める環境基準が35マイクログラム/立方メートルだから、昨日はかなりその値に近かったことになる。
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 遠くの山々が霞んでいたのは、このPM2.5(プラス黄砂)の影響だったと思われる。写真は、南部町花回廊から見た大山の西壁である(17日、14:30)。この位の距離(約10 km)なら、山はまあはっきり見えるが、空と雪のコントラストはたいへん弱い。

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『さくら開花まぢか(鳥取)』
                  投稿日:2015/03/27、No.150

 鳥取の今冬は、12月から2月の平均気温が5.0℃(市内、気象台)で平年並みの寒さであったが、3月13日からは、例外の1日を除いて日最高気温が10℃以上の暖かい日が続き、一気に桜の季節が近づいた感がある。
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 鳥取市内久松公園では、さくら(ソメイヨシノ)の一部が今日開花し始めたようだ(写真:27日12:00)。ソメイヨシノの標本木はまだつぼみの状態で、気象台は今日正午現在開花宣言をしていない。

 気象協会およびウェザーマップの開花予想はいずれも明日(3月28日)となっている。このような気象予報会社では、冬季〜春の気温の経過などをもとにした独自の予測式にしたがい開花日や満開日を予想している。

 筆者は昨年、きわめて簡易な解析を行った結果、3月上・中旬の平均気温と開花日とに比較的良い関係が認められた。これを図示すると、下記のようになる。横軸は日付(3月20日〜4月3日)、縦軸は3月上・中旬の平均気温(1度以下は4捨5入)を示す。

 2009年から2014年まで6か年の開花日を*でプロットした。気温が高ければ開花日が早い、という予想通りの負の相関関係が得られた。今年の3月上・中旬平均気温は7.2℃なので、その値を仮に○で示すと、開花日は気象協会等と同じ3月28日となった。まあ、たまたま一致した、ということだろう。

10.*
09....*.....*
08
07...............*.O
06............................*
05..........................*
―――――――――――――――――
.3.20.........................4.3

(お断り:読者のウェブブラウザや各種設定によっては、上図は形式が乱れ、意味のない記号と数字の羅列となるかもしれない。その場合は、ご勘弁ください。)

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『さくら満開もうすぐ』
                投稿日:2015/03/31(Tue) 17:34 No.151

 鳥取地方気象台は、予想通り3月28日「鳥取でさくらの開花を観測しました」と発表した。平年より3日早い。

 開花から満開までの日数は、鳥取市では過去5年間、6日〜10日で、平均は7〜8日である。それに従うとすると、今年の満開日は4月4〜5日となる。

 鳥取城跡の二ノ丸から堀端にかけて、ソメイヨシノを主に約240本のさくらがあるそうである。日照の影響が一番大きいと思うが、例年堀端のさくらの方が開花・満開が早く、二ノ丸周辺は何日か遅い。
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 今日(31日)正午頃、堀端のソメイヨシノの標本木(写真)を見たら、ほぼ満開と思った。しかし、後に写真を拡大して見たら、まだ開いていない蕾がたくさん見られた(写真)。気象庁では、「標本木で80%以上のつぼみが開いた状態」を満開と定めているので、今夕現在満開宣言はしていないが、もうすぐである。

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『さくら満開』
                  投稿日:2015/04/02、No.152

 一日中雨が降ったり止んだりだった昨日(1日)、鳥取地方気象台は「さくらの満開」を発表した。

 今日は朝から晴-快晴、風は最大瞬間17.7 m/sと非常に強かったが、気温は最高22.7℃(気象台)にまで達し、久松公園は花見客で賑わった。
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 写真は、鳥取城跡二ノ丸から(2日、18時)。

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『鳴り石の浜』
                投稿日:2015/04/06、No.153
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 鳥取県中部の琴浦町赤碕の海岸には、東西約500 mにわたり建造物等のない、自然のままの石ころの浜がある。そこが、「鳴り石の浜」と呼ばれている海岸である(写真)。

 4年前、地元住民やボランティアが「鳴り石の浜プロジェクト」を立ち上げ、県の助成をも受け、海岸の整備や清掃、遊歩道の設置、グッズの開発や販売、カフェの経営などに力を入れ、今や有名な一観光地となりつつある。

 写真のように、海岸には、大小の碁石のような扁平な楕円形の石が積み重なっている。波の満ち引きにより丸石がぶつかり合い「カラコロ」と心地よい音を発するそうである。しかし、ここを訪れたとき(3月17日)は、波がほとんどなく、音を確認することはできなかった。

 このような円礫の原は、かつては大きな河川の河原の一般的な光景であったが、現在は河川の護岸工事や河川敷の整備が進み、あまり見ることがなくなってきた。

 さらに「鳴り石の浜」には、角ばった礫はなく、丸石と丸石の間に砂の混入がなく、歩くたびに石が半回転し、転倒しそうになるが、それが反ってここの浜の特異性と希少価値を感じさせる。

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『古世界地図』
            投稿日:2015/04/11、No.154

 鳥取の地域デザイン研究所(吉田幹男所長)の創立四十周年を記念して、3月中旬、同研究所収集の日本・世界古地図展覧会が催された。江戸末期の日本列島や、明治、昭和初期の市街地地図、世界地図など多種類の古地図が展示されていた。
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 その中で特に目にとまったのが、ここに示すアメリカ大陸を中心とした世界地図である。カリブ海にはフロリダ、キューバ、ジャマイカ等が描かれている。南北アメリカ大陸は大きく歪んでいるが、南米南部には伝説の「巨人族の国(Regio Gigantum)」が示されている。ここは、パタゴニア地方である。

 さらに大陸南端にはマゼラン海峡(Fretum Magellani)が記されているので、その南は南極大陸ではなくフエゴ島である。ずいぶん大きな島か大陸に考えられたようだ。したがって、この地図はマゼランの世界一周(1519-22)以降の作成であることは間違いない。

 インターネットで調べていたら、これと同一ではないが酷似した地図がいくつか見つかった。オリジナルはドイツ人により1561年に作成され、それがいろいろ模写や着色されたらしい。

 さらに面白い点は、メキシコ(と思われる)地域のすぐ西に大きな島があり、ジパング(Zipangu)と縦書きで表記されている。その周囲には多くの島が点在しているので、ハワイ諸島かミクロネシアの島々だろうか。ジパングの北にインディアがある。当時は、太平洋は伝聞と想像の世界であったのだろう。

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『南極観測隊報告会』
 (55次越冬隊)
投稿日:2015/04/17、No.155

 第55次南極越冬隊(2013-15年)および第56次夏隊の帰国報告・歓迎会が、4月13日、明治記念館において開催され、南極観測を推進・支援する関係者および各種委員会委員等が出席した。

 報告会では、まず牛尾収輝55次越冬隊長が1年間の観測と設営の概要について報告した。第55次隊の前の2年間(53次夏、54次夏隊)は、昭和基地沖のリュツォ・ホルム湾にて厚くて固い海氷のため砕氷航行が難航し、基地まで21〜18 km地点からヘリコプターによる空輸を行い、越冬に必要最少限の物資輸送を行った。

 そのため、昭和基地における燃料の備蓄が十分でなくなり、55次越冬隊はエネルギーの節減を図る必要が生じ、越冬隊の規模を縮小することにした。すなわち、観測や作業内容を減らし、隊員数を削減した。

 日本の南極越冬隊の人数は、第10次隊で30名に、第34次隊で40名に達し、以降は30〜40名の間を推移してきた。ところが、第55次隊では越冬24名とし、観測は継続が重要な定常気象と、大気や宙空圏のモニタリングが主となった(写真:「報告」のスライドから)。
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 一方、設営14名の中で目を引いた点は、調理1、医療1だった。いずれも通常の隊では2名ずつである。牛尾隊長によると、調理は、一般隊員が適宜協力することにより大きな支障はなかった。また、フィールドアシスタントに消防本部の救命救急士がいたので安心していた、とのことである。

 確かに、越冬隊が基地と内陸旅行(または内陸基地)とに二分されることがある場合は、医師2名が望ましいが、やむを得ないときは、怪我等の応急処置の経験豊かな者が一般隊員の中にいると心強い。


  (56次夏隊)  
投稿日:2015/04/22、No.157
 昨(2014)年11月下旬に日本を出発した第56次夏隊(野木義史隊長)は、「しらせ」乗船の観測隊員27名(内、女性5名)、「海鷹丸」乗船の観測隊員7名(内、女性2名)、両船同行者(技術者、大学院生、学校教員、等)27名(内、女性2名)、総計61名におよぶ大部隊であった。

 「しらせ」は厚い海氷に苦労したが、本年1月12日に昭和基地沖の定着氷に接岸することができ、燃料・食糧・観測・設営物資のすべて(1トン余)を無事、基地へ輸送した。これで「昭和基地の燃料事情は一息ついた」(白石所長談)ことになる。

 しかしながら、接岸に至るまで往路のラミング(船が勢いをつけて氷板に衝突すること)回数は過去最多の3187回、復路も(往路のルートが閉じてしまったので)2219回、総回数は過去最多の5406回となった。

 このような「自然」に対し力ずくで攻めるラミングという航法は、時間的にも、人的にも、燃料的にも大変な無駄である。大型ヘリコプターの2機体制に早く戻し、氷状が厳しいときは空輸と氷上輸送を主に考えるべきである。
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 なお、帰路の航路図(写真:「報告」のスライドから)に、「2/3自衛隊士官1名逝去」との注記がある。メディアで報道があったかどうか私は知らなかったが、事故ではなく、2月3日輸送作業中、船外での病死だったそうである。

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『ハワイ風土記館』
                 投稿日:2015/04/27、No.158

 鳥取市の西隣、湯梨浜町の羽合(はわい)にある馬ノ山(標高107 m)の山頂に、変わった形をした建物が国道9号線の各所からよく見える。灯台のようでもあるが、位置や形、大きさが違う。以前から多少気にはなっていたが、調べたりすることはなかったので、「不明」のままになっていた。

 先日(21日)、そこへ寄り道することにした。馬ノ山への入り口に初めて「ハワイ風土記館」との案内標識があった。山全体が公園としてよく整備されており、頂上に風土記館があった(写真)。
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 馬ノ山には、山陰最古最大級の「馬ノ山四号墳」など数多くの古墳があるとともに、戦国時代に羽柴秀吉の中国攻めの際、毛利方の吉川元春がこの山に陣を構えたことが知られている。さらに頂上から、北は日本海、眼下に東郷湖と羽合平野、遠くに大山など、眺望は非常に良い。そういう、歴史や自然を統合して「風土記館」と称しているのであろう。

 その館は、上層階が大きくなっている5階建てで、埴輪と城をイメージして設計されたそうである。各階のフロアは博物館または資料館の性格だが、展示されている農機具や民具は種類や数が少なく、写真パネルや解説板はあまり来館者を惹きつけるものとは言えない。

 ハワイ風土記館は、1992年4月「ふるさと創生事業」の一環として建設された。これは、バブル経済最中の1988〜89年に、政府(竹下登首相)が地域活性化のために、3000余の市区町村に対しそれぞれ資金1億円を配布した事業である。お金の使い方は自由だったが、文化施設のハコモノとなったのがこの風土記館である。

 現在の利用者数や維持管理費がどうなっているのか、湯梨浜町のウェブサイトには公表されていないので分からないが、「お荷物」となっていなければ良いが、と思う。

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『岡山森林公園トレッキング』
              投稿日:2015/05/02、No.159

 中国地方の低い山では山桜や藤が咲きほこり、新緑が始まった頃の昨日(5月1日)、岡山県鏡野町の県立森林公園内をトレッキングした。

 この森林公園には昨年6月に初めて訪れ、公園管理センター(標高840 m)から千軒平(1090 m)までの軽登山を行った。

 今回は以下の様に、一筆書きで変形8の字コースを辿った。
 いぼた園地−かえで園地−ぶなの平園地−奥ぶなの平−すずのこ平(1080 m)−鞍部−大杉−奥ぶなの平−根曲り杉−ボーズ原谷−いぼた園地.

 全長約5 km、所要時間3時間であった。
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 [写真:奥ぶなの平付近のブナ純林]

 平という場所の名前が多いが、これらは台地または傾斜の緩い山頂である。出発点と最高点との標高差は僅か240 mだが、なだらかなアップダウンがあるので、このコースの(累積)高低差は400 m程度である。

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『神庭の滝』
                  投稿日:2015/05/07、No.160

 岡山県北部の湯原奥津県立自然公園内にある「神庭(かんば)の滝」を見に行った(4月30日)。入園料300円を払って、遊歩道を数分歩くと、落差110 mの滝を正面に見る(写真)。
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 この滝は、直瀑でも段瀑でもなく、分岐瀑に分類されている。岩肌を拡がって流れる様子は美しい。

 滝の「大きさ」には、落差のみではなく、幅、高さx幅、水量など判定基準が多様にあり、しかも幅や水量は季節や天候により大きく変化する。したがって、滝の大きさのランキングはない。

 その代わり、全国の一般公募により選定(1990年)された『日本の滝100選』や、各種クチコミ評価点による滝ランキングがある。

 「滝100選」には中国地方から8つ、内鳥取県からは2つ、岡山県からは神庭の滝1つが選ばれている。落差では、神庭の滝は100選の11番目である。

 この他、「滝の名所ランキング」(日本経済新聞)では全国9位、「クチコミ評価」(Mapple)では同43位に位置している。家族ずれや、老若に親しまれている標準的な滝である。

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『神庭の鬼の穴』
                 投稿日:2015/05/13、No.161

 「神庭の滝」公園に入り、管理事務所裏手の急な登山道を10分ほど登ると「鬼の穴」の入口がある(写真、4月30日)。公園の案内板によると、穴の入口の高さ8 m、幅1.5 m、奥行き約75 mである。
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 洞穴に入って行くと、ところどころやや広くなったり狭くなったりしながら、緩やかに屈曲し、すぐに終点にたどり着く。水たまりはあるが、滝や流水はない。

 案内板には、この洞穴は石灰岩が水の侵食によりできた、とある。そうすると基本的には鍾乳洞の一種と思われるが、ふつうの鍾乳洞のように、たけのこ状の石筍や天井からぶら下がる逆さ石筍(いわゆる、つらら)は全くない。岩石の質か形成時代が異なるのであろう。

 穴の入口には、「注意●電灯は二十分間で消えます。長くなる場合は、一旦ここまで出てから入れば、センサーが感知しさらに二十分間点灯します。」との警告文が張られてあった(写真)。

 穴の内部は、歩行に支障がない程度に、暗い電灯が点いていた。奥の方に入ると、穴が屈曲しているため、入口方向のほのかな明かりは全く見えない。「ここでもし電灯が消えたら」、目が暗闇に慣れたとしても、前後左右の方向が認知できなくなるのではないだろうか、と思い、いささか恐怖感を覚えた。

 実際はゆっくり歩いても片道3分程度だし、ふつうの観光客にとってはじっくり観賞するものもないので、20分は十分な時間である。

 洞窟内を飛び交う生き物がいた。一瞬、コウモリかと思ったが、ずっと小さい。これはオニメクラチビゴミムシという洞穴性の甲虫で、1955年に発見された新種とのことである。







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