(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

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zoom RSS 16新年;無雪;オアシス;風紋;低温;断水;山冠雪;雪景;佐貝塚;三寒;尾道;生名島;門司;低山;春

<<   作成日時 : 2016/01/01 12:00   >>

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[Photo: 鳥取砂丘、2016.1.2]

『新年を迎えて』
           投稿日:2016/01/01、No.227

 あけましておめでとうございます。
 皆さまのご健勝と、ますますのご発展を祈念いたします。
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 今年の鳥取は、3年振りに雪のない元旦を迎えました(写真:久松山と鳥取城跡と仁風閣、1月1日11:00)。

  * * *

昨年12月から、当NPO法人の理事の一部が任期満了により交代しました。役員8名(理事7名、監事1名)の所在地は、北見市、札幌市、上越市、ノルウェー・トロムソ市、千葉市、東京、多摩市、鳥取市におよんでいます。

新役員のプロフィールは、本ウェブサイトの[団体概要]に掲載しています。

  本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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『雪のないスキー場(鳥取)』
                  投稿日:2016/01/06、No.228

 地元紙に毎日掲載されている「スキーだより」によると、この正月以来、鳥取県内の数か所のスキー場はいずれも積雪無し(−記号)または0 cmで、備考欄に「否」か「一時閉鎖」か「オープン前」と記載されている。

 鳥取市街から最も近いスキー場、安蔵森林公園に隣接する安蔵(あぞう)公園スキー場(標高300〜350 m)は写真のような状況である(6日、13時頃)。
 
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 鳥取地方気象台では、12月17-18日に積雪深2 cmを観測したのみで、他の日はすべて無しである。大山山塊のスキー場に程近い大山アメダス(標高875 m)でも、12月中旬に積雪深が20 cmを超えたが、元日に11 cm、4日に0 cmとなった。

 報道によると、中・高生のスキー競技会や学校の各種行事が中止になっている。さらに、スキー場関係者や周辺の宿泊、飲食店は雪不足による打撃が大きいことだろう。

 鳥取市では、1961年以来、冬期に積雪ゼロだった年はない。冬期間の最大積雪深の最小は9 cmである。今冬は、雪の最少記録の更新とはならないと思うが、どうなるだろうか。

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『砂丘オアシス消える』
             投稿日:2016/01/11、No.230
         
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 鳥取砂丘の第2砂丘列(通称「馬の背」)の陸側の麓に、冬季は存在しているはずのオアシスと呼ばれる池が、正月には消えてなくなっていた。「馬の背」頂部から見下ろした写真(2016.1.2、午後)の中央、3, 4人が歩いているあたりに、通常は冬から春にかけてオアシスが見られる。

 砂丘オアシスの形成と消滅メカニズムを継続的な現地調査をもとに研究している鳥取大学のチームによると、砂丘上に降る雨と雪解け水が砂丘内部を地下水となって流れ、その一部が砂丘の窪地で湧き水となりオアシスを生成する。夏季は、蒸発が増すので晴天が続くとオアシスが消滅したり、降雨後に再生したりを繰り返す(齋藤忠臣、2015)。

 かつて、砂丘南東の多鯰ヶ池から地下水としてオアシスへ流入している、という考えもあったが、上記チームによる両池水の安定同位体比の分析結果から、ほぼ無関係であると結論された。

 さてそれでは、今冬のオアシス消滅の原因は何だろうか。昨年秋からの鳥取(気象台)の降水量を見ると、10月が39 mmで平年値の27%と非常に少ない。9月は平年の89%でやや少なく、11月、12月は平年並みである。

 推測だが、昨秋(10月前後)の少雨のため、砂丘内部の地下水位がかなり低下し、11月以降の雨によってもまだそれが回復せず、湧き水とはならないのだろう、と思う。

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『砂丘の風紋』
                投稿日:2016/01/16、No.231
     
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 砂丘の表面には、写真(1月2日午後)のような波状模様がしばしば見られる。これが、一般に広く「風紋」と呼ばれている砂丘の表面形状である。やや難しい漢字だが、古くから砂漣(されん、ripple)と称され、リップルマーク(ripple mark)あるいは単にリップルとも言う。

 鳥取砂丘では、いつでも、どこにでも風紋ができているというわけではないが、砂が乾いていて、ある程度の風が吹いているとき、あるいはその直後なら、かなりの確率で見ることができる。自然公園財団(鳥取)によると、風速5〜10 m/sの風が吹いているとき風紋が形成される。

 風紋の波長は3 cm〜15 cm、波高は数mm〜1 cmが多い。風紋は風上側斜面が緩やかで,風下側が急な非対称断面を示し、時間とともに風下側にゆっくりと移動する(小玉芳敬、2010)。

 写真は冬季の15時に撮影したので、太陽高度は低く、表面の凹凸の影がコントラストをつけている。ボールペンは波にほぼ直角に置かれており、その影から太陽は写真の右方向にあることが明白で、この風紋は南寄りの風により形成されたと考えられる。

 なお、鳥取気象台では、1月2日12時〜15時は、南の風、平均風速5.1〜6.5 m/sだった。つまり、この風紋は現在形成中であったことが分かる。

 このように、きれいな風紋を見たい、写真を撮りたいと思うときは、太陽高度が低い朝か夕方が良い。さらに、鳥取県砂丘事務所では、人の踏み跡で乱されない早朝を勧めている。

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『雪ほとんど積もらず(鳥取)』
                   投稿日:2016/01/22、No.232

 数日前から非常に荒れた天気の日本列島である。

 最深積雪は東京6 cm(18日)、名古屋市9 cm(20日)、山口市12 cm(19日)と、そもそも雪が少ない地域に多く降った一方、「ときどき雪国」(*)の鳥取(地方気象台)では20日の未明に7 cmに達したが、同日の正午には融けて消えた。
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 写真は、20日正午の鳥取砂丘である。「馬の背」など凸部の雪は消失し、凹部や草地にわずかに雪が積もっている状況であった。

(*注)「ときどき雪国」という言葉を最初に公の場で使ったのは、40年ほど前、樋口敬二(元名古屋大学)である。そのとき、対象としたのは関ケ原地域である。

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『日最高気温の最低記録”タイ”(鳥取)』
                     投稿日:2016/01/25、No.233

 昨日(1月24日)は、日本列島が猛烈な寒波に襲われ、西日本や南国の多くの地域において記録的な雪に見舞われた。
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 鳥取市内の積雪深は、昨日は2〜4 cm、今日午前に8 cmに達した。写真は今朝(25日07:50)の鳥取市内の堀端道路。

 雪の量はようやく例年並みになった感じだが、寒さについては、昨日の鳥取は終日かつてない厳しさだった。24日の日最低気温は06:30の-5.4℃で、過去の最低記録-6.5℃(1967年1月16日)には及ばないが例年にはない低温である。

 一方、同日の最低気温以後(06:30〜24:00)の日最高気温は13:20の-1.7℃で、鳥取気象台の観測開始(1943年)以来の最低記録-1.7℃(1969年1月3日)とタイとなった。

 [注:24日00時〜24時の最高気温は00:50の-0.8℃であり、気象台では24日の日最高気温は-0.8℃と公表している。しかし、深夜が高温度になるのは前日の履歴を反映しており、ある日の暑さや日中の寒さを表現する場合は、日最低気温出現以後の最高気温を用いるほうが人びとの感覚に合致する。したがって、ここで述べた”タイ”記録は非公認情報である。]

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『寒さのため広域に断水』
              投稿日:2016/01/30、No.234

 去る1月24日前後の記録的な寒波の影響により、断水や給水制限が九州・山口の全8県で26万世帯以上に及んだ(朝日新聞デジタル、1.26)。鳥取県内でも西部を中心に1088戸が断水の影響を受けた(日本海新聞、1.27)。

 寒さのために住宅の水道管が凍結すると、その家では水が出なくなるが、地域の全世帯が断水になることは、すぐには理解できなかった。長らく暮らしていた寒冷地の北海道では、そういう経験がなかったからである。

 この度、九州−中国地方で起こった状況は、寒波によりあちこちで水道管が凍結し、それらの一部の管が破損して漏水が相次ぎ、配水池の水位が低下したため、自治体の水道局が給水を停止したためである。漏水元は、古い不在家屋(いわゆる空き家)が多かったそうである。

 一般に寒冷地の住宅では、水道管はなるべく室内を通すようにしているし、屋外の配管部分には断熱材を巻き、さらに凍結防止ヒーターを付けることもある。

 これに加えて札幌市水道局等では、1)外気温がマイナス4℃以下になったとき、2)家を留守または長時間水道を使用しないとき、3)真冬日(一日中マイナスの気温)が続いたときは、水道管凍結の可能性があると注意を喚起している。

 今回の寒波は、例えば長崎市の24日の気温は-4.2℃〜-0.2℃で、著しく寒冷というわけではないが、寒さに対する防御策が施されていなかったところ(脆弱箇所)に被害や不自由が発生したのである。
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[写真:今年初めて全面雪におおわれた鳥取砂丘(25日12:00)]

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『砂丘オアシス復活』
              投稿日:2016/02/05、No.235

 1月中旬以降、鳥取では結構雨が降ったので、砂丘のオアシスが復活しているのではないかと、昨日(4日昼頃)見に行った。
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 確かにあった。写真中央の丘「馬の背」の手前の麓にて、左右に伸びる濃い色の部分がオアシスと呼ばれる池である。その手前が、水を多く含んだ濡れ砂、観光客が歩いているところは乾き砂である。

 今年1月の鳥取市の降水量は183 mmで、平年の90%に達した(気象台)。鳥取県砂丘事務所「砂丘レンジャー日記」によると、1月8日に「小さなオアシスを確認」し、12日に25 mmのまとまった雨の後、13日「オアシスが格段に大きく」なった。

 今度オアシスができたら水温を測ってみようと思っていた。オアシスが単に雨水や雪解け水の溜まり池だったら、その水温は最近の日々の平均気温に近いだろうし、オアシスが常に湧き水によって養われているのなら気温よりは大分高いのではないか、と思ったからである。

 4日11:30。気温:8.5℃、池の水温:場所、深さにより8.1〜6.0℃。これは気温に近い(注:過去24時間の気温は+9.0〜+0.5℃の範囲)。

 写真でも漠然と認められるが、写真左端から右へ、池に向かって小川が流れている。写真の左端から10〜30 mほど左付近が湧水地点である。小川の水温を、池から上流に向かって測ったところ、8℃から徐々に上昇し、湧水地点では最高温度13.4℃であった。

 概ね予想に近かったのだが、このような狭い範囲で水温が大きく変化していることに驚いた。暖かい地中から湧き出た水が、小川をゆっくり流れ、池に漂う内に、気温によって急速に冷やされていることが分かった。

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『冠雪の大山』
               投稿日:2016/02/12、No.236

 伯耆大山は見る方向によって山容を大きく変える。独立峰の富士山の様な三角形とか、山頂からの稜線が横に長い台形とか、でこぼこの連峰の様とか、多彩である。

 大山周辺へ行ったり、通過することがあったら、色々な大山を撮りたいといつも思っているのだが、山は雲の中だったり、晴れていても黄砂のため霞んでいたり、夕暮れ時だったりのため、きれいな写真が得られるチャンスはそんなに多くはない。
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 写真は、昨日(2月11日)16:00頃、米子市から大山寺へ向かう観光道路の麓付近、淀江どんぐり村の本宮展望Pから見た大山(最高峰1729 m)の山塊である。同日、米子は終日晴れ、視程は20 kmとまあまあであった。

 大山の中腹から上部は雪に被われ、冠雪の状態となった。標高875 mの大山アメダスでは、同日の積雪深は131 cm、その付近のスキー場(だいせんホワイトリゾート)も積雪深125 cmに達し、ようやく例年並みにスキーヤー、スノーボーダーで賑わったようである。

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『つかの間の雪景色』
                 投稿日:2016/02/16、No.237

 鳥取では、昨(15)日昼前から雪が降ったりやんだり、ときどき強く、日が変わる16日0時頃まで続いた。市内(気象台)の積雪深は、0時に最大の16 cmに達した。
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 明けて今朝、市内の久松山(263 m)および周辺は朝日を浴びる雪景色となった(写真、07:40)。

 久松公園周辺の積雪深は、場所により12 cmから19 cmであった。そして、樹の枝葉に着雪した雪は、揺すればさらさらと落ちる乾き雪ではなく、べちゃべちゃの濡れ雪でもなかった。

 昨日降雪中の気温は+1.3〜0.0℃で、積もった雪は湿雪だったが、今朝は07時に-3.0℃まで冷え込んだため、積雪や着雪の表面が薄く凍結した状態になっていた。

 今日は終日晴れ、14時には気温+5.1℃に達し、久松山の樹幹を被う雪はすっかり消え、雪景色は半日で終わった。

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『佐太講武貝塚(島根県)』
                 投稿日:2016/02/20、No.238

 佐太講武(さだこうぶ)貝塚は、松江市北部の鹿島町にて、宍道(しんじ)湖と日本海を結ぶ佐陀(さだ)川の下流の両岸に広く分布する貝塚遺跡である。ここは、縄文時代前期(約6,000年前)に形成された貝塚で、国内では非常に古い。

 鳥取県には貝塚はないか、または発掘されていない。島根県は、縄文時代から古代以前の各種遺跡は数多くあるが、貝塚は少ない。

 先週(2月10日)、出雲への途次、佐太講武貝塚を見に行った。佐太や講武は、鹿島町内の地名である。地図で目星をつけた付近へ行くと、鹿島中学校のグラウンドに隣接する私有地の畑の前に、「史跡 佐太講武貝塚」の解説板があった。しかし、畑の周辺を探したが、貝塚の露頭とか、覗き見るような観察サイトはなかった。

 その代わり、この貝塚から採取された貝層の大きな剥離標本(写真)が鹿島歴史民俗資料館にて展示されていた。貝層はヤマトシジミが圧倒的に多く、当時この付近には汽水の潟湖があったことが推察される。
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 また、貝層(写真)の中に「江戸時代の杭」「魚の骨」「イノシシの牙」が見られるとともに、各種の土器、石器も出土している。土器類の遺物は、九州や朝鮮半島の影響を受けたものだそうである。

 なお、同貝塚は1933年に国の史跡に指定され、1990年下水管埋設事業にともない、全長110 mにおよぶ大規模な発掘調査が行われた。

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『三寒四温』
                 投稿日:2016/02/25、No.239

 先日、NHKのTVにて気象予報士(男性、名前不詳)が、「東京の過去30年間の2、3月の気温データを調べてみたところ、三寒四温のケースは少なく、一寒一温が最も多く、次いで二寒一温、一寒二温の順であった。つまり、近年は寒暖の変動が激しいのです」と語っていた。

 三寒四温について、櫻庭信一の古典的文献(1940年)では次のように述べられている。「三寒四温とは冬期極東に現はれる約一週間週期の氣温變化を云う俚諺である事はよく人の知る所であるが、此の週期性は唯に氣温變化丈ではなく、氣壓變化、降雨變化にも表はれる.」(原文のまま:海洋気象学会、「海と空」20巻7号)。 

 日本では三寒四温を、繰り返しながらだんだん暖かくなる春先の気候に使われることが多いが、本来は中国や朝鮮半島の冬の気象変化を表したものである。手紙では2月の時候の挨拶として、「三寒四温の時節.......」のように使われている(「手紙の書き方大事典」など)。

 厳密に三寒四温の周期で寒・暖や雨・晴が繰り返すことは考えられないが、経験的には概ねそれに近い周期で変動していると思っていたので、気象予報士の見解はちょっと意外だった。

 そこで、鳥取の気温データで調べてみることにした。気温としては、日平均気温を用いる。しかし、寒い時期と温かい時期をどう分けるか、また、それが何日続いたかをどう数えるか、そのためには、かなり詳細な基準と判定チャートを定めなければならない、ことが分かった。

 これは不可能ではないが、一般性を持たせる(誰がやっても同じような結果になる)ことは至難である。したがって、寒・暖の周期を解析することは諦め、暖期の周期のみを調べることにした。

 日平均気温の一連のデータから、極大から次の極大までの日数を読みとる。その際、1℃以下の小さな変動は、山でいえば副峰とかコブと見なし、顕著なピークのみを拾うようにする。これでも、主観による任意性は残るが、判断に迷うことは少なく、比較的容易にできそうである。

 鳥取(気象台)の過去20年間の1月と2月の気温データを調べた結果、暖かい日から次の暖かい日までの日数の分布は、年により4.6日から7.6日の範囲となり、20年間の平均は6.0日となった。予想通りというか、冬季の寒暖の周期は2、3日程度ではなく、古くからの言い伝えの(3 + 4 =)7日に近い結果が得られた。
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 [写真:鳥取市樗谿公園の屋形舟と梅(2月25日)]

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『日本遺産 尾道』
                   投稿日:2016/03/02、No.240

 広島県南東部の尾道は、「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」というタイトルで、昨(2015)年4月、「日本遺産(Japan Heritage)」18件の一つとして文化庁により認定された。

 世界遺産(文化遺産)は既存の文化財の価値付けや保護・保全のための新たな規制を図ることを目的としているが、日本遺産は、地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで、地域活性化を図ることを目的としている(文化庁)。

 具体的には、地域に受け継がれている有形や無形の多くの文化財をパッケージとし、ストーリーを組み立て、その地域の市町村が、都道府県教育委員会を経由して文化庁への申請し、審査を経て認定される。

 尾道三山と対岸の島(向島)に囲まれた尾道は、町の中心を通る「海の川」とも言うべき尾道水道の恵みによって、中世の開港以来、瀬戸内随一の良港として繁栄し、人・もの・財が集積した。その結果、限られた生活空間に多くの寺社や庭園、住宅が造られ、それらを結ぶ入り組んだ路地・坂道とともに中世から近代の趣を今に残す箱庭的都市が生み出された。(「尾道ストーリー」概要の抜粋)
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 写真は、尾道三山(浄土寺山、西国寺山、千光寺山)の一つ、千光寺から見下ろす(手前から)尾道市街、尾道水道(幅200〜300 m)、向島(2月27日)。

 日本遺産は、世界遺産登録を目指しながらそれが叶わなかった「一歩手前」という感がしないでもないが、地元では観光資源として地域創成に活用しようと力を入れている。しかしながら、日本各地で、世界遺産(19件)、世界(文化)遺産暫定リスト(10件)、世界ジオパーク(8地域)、日本ジオパーク(39地域)とかなり乱発気味のため、地域外の一般人にとっては、日本遺産の盛り上がりは今一つの状況のようである。

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『瀬戸内海、生名島』
                    投稿日:2016/03/06、No.241

 本州と四国を結ぶ橋は、神戸市(兵庫県)〜淡路島〜鳴門市(徳島県)、倉敷市(岡山県)〜坂出市(香川県)、および尾道市(広島県)〜島々〜今治市(愛媛県)の3本ある。いずれも、本州四国連絡高速道路会社が管理する有料高速道路である。

 10年前から現在までの間に、これらの3つの道路を自分の車で通ったことがある。しかし車を運転していると、高速道路が高架区間を通過している感じがするだけで、「海を渡った」という感覚はほとんどない。次に機会があったらバスがいいな、と思っていた。

 1週間前の日曜日(2月28日)、尾道から路線バスにて向島、さらに因島へ渡り、因島南端の終点、土生(はぶ)港へ着いた。ここから対岸の愛媛県生名(いきな)島へは橋がなく、正味航行時間3分のフェリーで渡る他はない(写真)。
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 この生名島にて「ゆめしま海道いきなマラソン」が開催された。瀬戸内海の島を走ることは初めてである。10 kmの部は、生名島を1/3周した後、橋を渡って佐島へ、そこを縦断してからさらに弓削島に入り、その入口で折り返す。

 海に架かる2つの橋を往復4回渡り、車窓からではなく道路の上から、煙霧気味ではあったが瀬戸内の海と島々の眺望を堪能した。

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『レトロ門司港』
                 投稿日:2016/03/10、No.243

 生名島から尾道に戻って、福山から新幹線で九州へ渡った。随分おかしな旅行ルートと思われそうだが、実は今回、JR西日本管内3日間フリーパスを利用したため、今まで行ったことのない小倉と門司港を観光した。

 JR門司港駅は、関門(下関−門司)海峡ルートから少し外れているので、本州から列車で九州へ向かう人は通らない。しかし最近は、レトロな街並みとして、北九州市の重要な観光スポットとなっている。

 門司港は明治の後半から国際貿易港として栄え、大正期や昭和初期の各種の建物が、現在も資料館、ギャラリー、カフェなどに利用され、旅行者に親しまれている。
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 写真の右のレンガ色の建物は、1917年建築の旧大阪商船支店で、現在は美術館となっている。

 左は三井物産の社交倶楽部として1921年に建築されたヨーロッパ風の木造建物で、1994年に市街中心の現在地に解体再建、移築された。

 2階には、アインシュタイン夫妻が宿泊した居間や寝室が当時に近い姿で公開されていた。同博士は、1922年日本各地にて講演を行い、最後の福岡講演の前後に門司三井倶楽部に連泊したそうである。

 芸術、文化、音楽に造詣が深かったアインシュタインは、日本で一般市民向けの公開講演か、あるいは先端物理学に関し専門家や学究の前で特別講義を行ったのか知りたかったが、いろいろ調べてみた限りそれは分からず、ただ日本旅行の目的と概要を、『アルベルト・アインシュタインと日本』(中澤英雄、2005)から以下に抜粋する。

 「アインシュタインは、雑誌・改造社が企画した日本講演旅行を承諾し、1922年10月8日、妻のエルザとともにマルセーユで日本郵船の北野丸に乗船した。彼がまだ香港から上海に向かう船上にいた11月10日、1921年度のノーベル物理学賞が彼に授与された。このニュースは、相対性理論という神秘的な学説を樹立した世紀の天才物理学者に対する日本人の熱狂的崇拝をいやが上にも高めた。
 11月17日に神戸に上陸したその瞬間から、日本中、彼が行くところ、アインシュタイン・フィーバーが巻き起こった。
 (略)
 神戸に上陸したときの記者会見で来日の目的を聞かれて、彼はこう答えている。”それは2つあります。1つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ美しい日本を自分の目で確かめてみたい――とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたい――ということ、もう一つは、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことは自分の使命であると考えることです。”(金子)
 (略)
 日本で数々の心あたたまる歓待を受けて、12月29日、アインシュタイン夫妻は門司港から日本郵船の榛名丸に乗船し、帰国の途についた。」

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『日本一低い山』     
              投稿日:2016/03/14、No.244

 世界/日本一大きい湖、長い川、高い山はどんな地図帳やデータブックにも載っているが、世界/日本一小さい湖、短い川、低い山はそもそも存在しないはずである。これらは限りなくゼロに近い小さいサイズがあり得るので、世界/日本一を決定できないからである。

 先日インターネットで、大阪に「日本一低い山」があることを知った。「日本一夕日が美しい浜/スポット」と同様に地元が勝手にそう呼んでいるのか、あるいは何らかの基準を定め、それに合致する範囲内の最小なのだろうかと興味をそそられた。その基準とは、例えば、日本庭園や公園内の小山のような人工構造物は除くとか、ある面積の領域内にて抜きん出た高まりを山と呼ぶとか、……。

 3月1日、大阪で時間があったので、その山を見に行った。目指すは天保山。地下鉄中央線が地上に出て間もなく、海に近い大阪港駅から安治川に向けて歩くとすぐ天保山公園があった。その片隅の川岸に「日本一低い山」(標高4.53 m)があった(写真)。
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 写真の左に、基本測量/三角点と記した杭が見られ、その手前に四角の標石が埋められていた。これは、国土地理院の基準点(二等三角点)であることは間違いない。その基準点の名称は天保山なので、国土地理院に山として認定されたようにも感ぜられる。

 天保山公園の入り口に次の解説板があった。
「天保山跡 天保二年(1831)安治川をさらった土砂でできた山 目印山ともいい大阪名所の一つであった」

 川をさらった、とあるので浚渫した土砂を積み上げてできた山である。当初は標高20 mを超えていたが、戦後の地盤沈下の影響などにより低くなったそうである。つまり、天保山は自然の山ではないが、200年近く前からサクラやカエデの名所として親しまれてきた歴史があるので、山として認めても良いのではないかと思う。

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『ようやく陽春(鳥取)』
               投稿日:2016/03/18、No.245

 3月の時候の挨拶によく使われる、春暖、陽春、日増しに暖かくなり、等の語句がなかなか相応しくならない今年の鳥取だが、昨(17)日ようやく陽春となった。

 昨日の最高気温は正午過ぎの20.9℃、今年の最高気温ではないがそれに準ずる。春暖とは言え、桜のつぼみはまだまだ開きそうもない。今年の鳥取の桜開花予想日は、ウェザーマップ(3.17更新)3月24日、日本気象協会(3.16発表)3月27日で、一寸意外だが平年より4日〜7日早い。

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 写真は、雲ひとつない晴天時(17日11:00)、鳥取砂丘西部の与謝野晶子歌碑から見た大山である。春霞のため、64 km離れた大山山塊はややぼやけているが、中腹以上は雪に覆われていることがよく分かる。なお、参考のため、鳥取気象台測定の昨日昼間の視程は30 kmであった。十分遠くまで視認できる、という大気状態である。

     





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