(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎

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<<   作成日時 : 2016/08/04 12:00   >>

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擬宝珠山トレッキング 
  [写真] 奥大山鏡ヶ成湿原から見た擬宝珠山.
                                  投稿日:2016/08/04、No.277

 鳥取は今日まで9日連続で日最高気温が30℃を超え、7月末の3日間は35℃以上の猛暑日となった。

 涼しいところで野山のトレッキングをと、昨(3)日、奥大山の高原へ出かけた。鏡ヶ成(標高900 m)に着いたとき(11:00)、気温は22℃だった。涼しいことは嬉しいが、やや低すぎる感じがして、何故だろうと思った。

 後で気象台のデータを調べたところ、同日11:00の気温は、鳥取31.6℃、米子31.0℃だったが、大山の北側低地の大山町塩津では29.1℃だった。鏡ヶ成とは標高差900 mで、気温差7℃だった。これは、地球上の平均的な気温減率6.5℃/1000 mに近いので、特に異常なことではないことが分かった。

 さて、鏡ヶ成から擬宝珠山(ぎぼしやま、1110 m)まで緩い登山道を上って30分、復路は象山への縦走路の途中から湿原へ下る(40分)。トレッキングというほどのものではなかったが、木陰でそよ風が吹くと、そこはまさに別天地だった。

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鳥取猛暑38.1℃の実情 
投稿日:2016/08/10、No.278

 去る7日(日)鳥取市の気温が38.1℃となり、隣県豊岡市の38.2℃に次いで日本列島で2番目の暑さ、とTVや新聞で報じられた。これらのニュースを見た(聞いた)人から、暑中見舞いのようなメッセージをいただいたが、たまたまこの事例をもとに、鳥取は暑いところ、と見なされるとしたら、それはあまり嬉しくない。

 まず、鳥取市の過去最高気温は39.1℃(1994.7.23)で、7日の38.1℃は観測史上第7位である。

 気象庁のウェブサイトで公表されている気象データでは、鳥取市の7日の毎正時の気温の最高は13:00の37.0℃である。また同日10分毎の気温の最高値は、12:40の37.6℃、および14:10の37.7℃である。

 つまり、12:35頃〜14:15頃の間は、連続して37℃台だったが、その中のいつか、ほぼ瞬間的に1℃近く昇温し、38.1℃を記録したと考えられる。

 翌8日の岐阜県多治見市の最高気温39.7℃の場合は、正午から夕方まで4時間半に渡って37℃超が継続したが、7日鳥取の37℃超は1時間半程度と短かったし、38℃に達したのは数分以内であったと思われる。

 数年前、鳥取地方気象台の観測担当官から「気象台の前の道路は結構交通量が多いので、大きな車輌が何台か通過すると、気温の記録がその瞬間だけ上ることがある」という話を聞いたことがある。気温の短期的な変動には、風向、風速、日照などの自然要因に、大都市ではなくても、人為的な都市気候の影響が加わっている、と考えられる。

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 写真は、駿河湾上空から見た富士山(7日、09:30)。実は、この猛暑日の朝、鳥取を発って東京へ向かっていた。

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山の日(8月11日) 
投稿日:2016/08/15、No.279

 国民の祝日に関する法律(一部改正)が施行され、今年から8月11日が、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日として、国民の祝日「山の日」となった。これにより、国民の祝日の年間日数は計16日となった。  

 11日(木)は、鳥取県でも大山でフォーラムや「山ガールサミット」など、全国ではさまざまなイベントが開催された。この祝日の本来の趣旨を考えて祝った人がどれだけいたかは知らないが、お盆につながるように祝日が設定されたので、多くの人がこの休日をありがたく利用したことは間違いないだろう。

 「山の日」制定に向けて具体的な運動がスタートしたのは2010年4月である。日本山岳協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT―J)の山岳5団体が、「山の日」制定協議会を発足させ、リーフレットやウェブサイト、イベント等にて広報活動を開始した。

 これ以前に、13府県では条例により独自に「山の日」を制定していた。これら地方自治体等と山岳5団体の運動が連携し、推進力となり、2013年4月、超党派の国会議員による「山の日」制定議員連盟が設立された。以後、法制化の動きが進んだ。

 「山の日」は、人々に親しまれる祝日になるかどうかは分からないが、法律で決まったので、制度としては確実に定着する。しかし、その祝日の日にちは、猛暑の8月ではなく、日本山岳会が初めに提案した「山々がみどりに輝く日、心が山に向かう季節、さらに6月には祝日がない、などの理由により、夏山シーズン前の6月第1日曜日」の方が良かったと思う。

 「山の日」の翌(12)日、扇ノ山(おうぎのせん、標高1310 m)を登った。河合谷高原の登山口(標高1000 m)から、尾根上ブナ林内(写真)の往復6.4 kmのトレッキングである。上り1時間40分、下り1時間5分だった。
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大山横手道 
投稿日:2016/08/21、No.280

 大山中腹(標高800 m前後)の大山寺地区は、古来山岳信仰の聖地であり、大山寺・大神山神社などを中心に寺社や宿坊がならび、往時には多くの修行者や参拝者で賑わっていた。全国各地から徒歩あるいは牛馬をひいて、参拝のために歩んできた道が大山道または大山古道と呼ばれるトレイルである。

 大山には、主に5つの古道があり、現在もトレッキング、自然観察コースとして整備されている。その内の一つ、山陽方面から蒜山地域を経て、大山寺地区へと通ずる古道が横手道である。鍵掛峠を越えてから、大山西麓の標高800 m前後を南北にほぼ水平(横方向)に進むことから、この名前がついたそうである。

 この道は、標高約800〜900 mのブナやミズナラの自然林の中を通る比較的平坦な道で、夏はカラ類が見られ「小鳥の道」とか「ブナのもりウォークの道」とも呼ばれている。(以上、大山町役場観光商工課、および大山道ロングトレイル事業協議会サイトを参考)

 「横手道」の名前はリーフレットで見たことがあったが、どこにあり、どんなトレイルなのか全く知らなかったので、過日(16日)、大山寺方面へ行ったついでに、横手道を桝水高原までの半分(1.5 km)、往復3 kmほどハイキングをした。

 ブナ帯の下限に近いので、ブナの巨木は見られないが、アップダウンの傾斜は緩く(写真)、自然散策、ウォーキング、トレッキングにはふさわしいコースである。
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玄武洞 
投稿日:2016/08/27、No.281

 山陰海岸ジオパークのジオエリアの一つとして、兵庫県豊岡市に玄武洞がある。玄武洞は、波浪による浸食で海岸に形成された海蝕(海食)洞ではなく、また石灰岩が地下水などで浸食(溶食)されてできた鍾乳洞でもない。

 玄武洞は、約160万年前の火山噴火による溶岩が冷える時に形成された、玄武岩の柱状模様「柱状節理」の大露頭である(写真:玄武洞の5つの洞の一つ、青龍洞。8月18日)。柱状節理は、北海道の層雲峡や、福井県の東尋坊が有名である。
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 ここの玄武洞が洞穴状になっているのは、江戸時代から大正期末まで、採石が盛んに行われたためであり、石のブロックは主に石垣に利用されていた。柱状節理は石の切り出しが容易だし、すぐ横に円山川があり舟による運搬が便利だったからだそうである。

 また、この玄武洞は、世界で初めて地磁気逆転の証拠が得られたという、地球科学的に記念すべきサイトでもある。

 1929年、京都大学の松山基範博士は、玄武洞の石の磁性の方向が現在とは逆方向であることを発見した。つまり、溶岩が冷えて固まる時代の地磁気の南北が今とは反対だったことを示す。

 以後、世界中で多くの研究が進み、第四期には数十万年の周期で逆転を繰り返したことが明らかになった。ただし、なぜ地球の磁場が周期的に逆転を起こすのかは、はっきりとは解明されていない。

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博物館バックヤード
投稿日:2016/09/02、No.282

 鳥取県立博物館でバックヤードツアーが催されることを知り、一度は見たいと思っていたので、その見学会に参加した(8月31日)。

 バックヤードとは裏庭のこと。施設のバックヤードツアーとは、ふだん部外者は入ることができない舞台裏とか作業場とか実験室などを担当者の説明で見て廻ることである。

 鳥取県博は、自然、歴史(民族)、美術の三部門で成り立っている。今回のツアーで案内されたバックヤードは、博物館の建物と設備の概要、資料や展示物の搬入経路、および絵画収蔵庫の一端(写真)であった。
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 実は、私が見たかった所や物は、未整理またはスペースの都合で展示されていない生物標本や、岩石・化石のサンプルであり、その背景や実情や問題点について専門の学芸員から説明を聞きたかった。

 ところが、当日まで迂闊にも気がつかなかったのだが、この催しは、県博すべてではなく、美術部門主催のツアーであった。

 鳥取県立博物館は開館後40年以上経過し老朽化していること、収蔵庫が過密状態にあること、等の理由により、三部門のうち美術部門が独立し、県立美術館を設立させる構想がかなり具体的に検討されている。

 そのため、その計画を推進している美術部門が、県民の理解を得るための一環としてこのツアーも企画されたのである。

 施設を見学して、確かに収納スペースが満杯に近い、搬入用エレベーターが小さい、温・湿度の空調設備が古い、ことなどは良く分かった。必要なら、新たな施設をつくることは良い。

 しかし、入場者目標が年間20万人は、現在の3部門で年間約6万人(2007-2011年)なので、まさに夢物語である。「砂の美術館」は48万人(2015年)と多いが、これは県外からの観光客が砂丘見物の延長として訪れているので、同列には見なせない。

 小県=鳥取に見合った小ぢんまりとした美術館にするとか、調査研究室+資料庫を展示棟と分離させるとか、さらなる十分な議論が必要である。

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日野川渇水(8月) 
投稿日:2016/09/08、No.283

 台風およびその関連の雨雲や前線の影響により、今夏は九州や、北海道、東北、北関東などで集中豪雨による甚大な被害が発生しているが、そんなとき「えっ、渇水?どこで?」と思われるに違いない。
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 ことの発端は、先月(8月20日)、(広島県)道後山方面から米子へ戻る途中、日南町の菅沢(すげさわ)ダム湖(日南湖)を見たことによる。写真で明らかなように、湖の水位が非常に低く、湖岸の森林帯の下方に土砂斜面が大きく露出していたのである。

 菅沢ダム(標高360-390m付近)は、鳥取県の最長河川である日野川水系の上流に位置し、洪水調節のほか、発電および農業、工業用水を供給している鳥取県最大の多目的ダムである。20日午後のダム貯水率(利水容量)は35%だった(国土交通省水文水質データベス)。

 今夏、中国地方が梅雨明けした7月18日以降、8月15日までの約1か月間、米子市(米子特別地域気象観測所)の降水量は1ミリ(平年の0.8%)、日南町茶屋アメダス(標高490m)では41ミリ(平年の24%)だった。

 同ダムを所管する国土交通省日野川河川事務所は8月15日、日野川流域の米子市、境港市、日吉津村・他の町村や土地改良区あて「8月17日、日野川流域の渇水対応を協議するため、“水利用協議会幹事会”を開催する」との通知を発した。実際にどのような対策を取ったのかは不明だが、国交省では8月中旬の時点で「渇水」の危機意識を持っていたことは確実である。

 ところが実際には、8月下旬米子では130ミリ(平年の2.5倍)の降水があり、菅沢ダムの貯水も標準の状態に近づいたようである。

 以上の様に、史上最大あるいは50年に一度の豪雨に見舞われる地域の陰やはざま(狭間)に、いつでも日照り、渇水、かんばつ(干魃、旱魃)が起こり得るのである。

 IPCC第5次評価報告書では、21 世紀末の大雨と干ばつ(drought)の予想される状況について以下の様にまとめている(IPCC-2013, WG1, AR5_SPM_FINAL)。

 「大雨の頻度、強度、降水量の増加」:中緯度のほとんどの陸地と、湿潤熱帯地域でvery likely(可能性が非常に高い)。
 「干ばつの強度や持続期間の増加」:地域規模から世界規模でlikely(可能性が高い)<medium confidence(中程度の確信度)>。

 すなわち簡単に言えば、近い将来、豪雨は間違いなく激しく、多くなり、干ばつも多分激しく、長くなりそうだ、ということである。

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生野銀山 
投稿日:2016/09/14、No.284

 兵庫県のほぼ中央付近、朝来市の生野銀山は、平安時代初期(807年)に発見されたと伝えられ、その後16世紀に本格的な採掘が始まり、江戸時代には幕府の直轄地となり、佐渡金山、石見銀山とならび、幕府の重要な財源となった。

 明治元年には日本初の官営鉱山となり、1896年以降は三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、1973年に閉山し、翌年に観光施設として「史跡・生野銀山」が開業した(管理者:[株]シルバー生野)。

 生野銀山の坑道の総延長は350 km以上、深さは880 mの深部にまで達した。その一部、金香瀬(かながせ)坑が観光用に公開されている。ここには、江戸時代採掘ゾーンから近代採掘ゾーンがあり、いずれも各所で、静止人形や電動人形で当時の採掘(江戸時代はノミとハンマーによる狸掘り)、選別、運搬などの作業が再現されている。
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 写真(6月5日)は、振矩師(ふりがねし:山の測量士)による坑内の測量の様子である。

 生野銀山は、島根県の石見銀山と、どっちが大きいか、銀や他の鉱物の産出量が多いのか、比べてみたくなる。しかし、比較できるようなデータがあまり見つからず、唯一あったのは「江戸時代後半の銀の生産量(年間)は、生野銀山500貫(1875kg)、石見銀山120貫」(新井宏による)。また、石見銀山資料館によると、「江戸時代初期(1673年)、石見で 357貫の銀産出」とある。このように、他の時代や、ある期間の総量で比べたらどうなるのか分からない。

 銀山への来場者数は、生野は近年減少傾向で年間約7万人(2009年)に対し、石見は世界遺産登録(2007年)後は40万人を超え(渡邊公章による)、圧倒的な差である。

 私の評価はと言うと、博物館あるいは産業技術館的に見た場合は生野が優れ、坑道(間歩、まぶ)へ至るアプローチおよび周辺の自然や史跡の散策にも重点をおくと石見となる。

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星山、山歩き
投稿日:2016/09/19、No.285

 岡山県北部の真庭市勝山に、同市勝山振興局が「中国山地の秀峰」と触れ込む星山(ほしがせん、1030 m)がある。その中腹には、「勝山美しい森」と称する、森づくりを実践する園があるそうだ。

 なぜ、”秀“とか”美“なのかを探ってみたく、また誰でも気軽に登れる山ということで、その星山へ山歩きに行ってきた(9月15日)。

 標高600-650 m付近に、「勝山美しい森」のビジターセンター、バンガロー、キャンプ場、野外音楽堂などの施設があった。9月の平日のためか、来園者、登山者は誰もいない。

 ビジターセンター前が登山口、そこから数分歩くと、傾斜の緩い斜面が広がり、そのあたりで団体やボランティアや個人により植樹が行われてきた。「○○誕生記念」「卒業記念」「還暦記念」などと記した杭もあった。植栽樹種は、標識によると、コナラ、ミズナラ、アベマキ、ヤマザクラ、ナナカマド、ナラガシワ、ブナである。
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 この斜面で数匹のサルの一団がいた(写真)。人を警戒する素振りはないが、餌付けされている様子でもない。しかし、鳥取県および近傍の山で野生のサルを見たことはない。

 ふと、2、3年前、同じ勝山の神庭(かんば)の滝へ行ったとき、案内板にサルのことが書かれていたようなおぼろげな記憶が浮かんできた。神庭の滝の紹介サイトを探したら、以下の記述があった。

「(神庭の滝)園内には昭和32年に大阪大学の手で餌付けされた野生の猿が約180匹生息しています。...公園内で猿を飼育しているわけではありません。野生のため、野いちごや木の実が多い時期は山で過ごす...」(勝山振興局)。神庭の滝と星山は直線距離で2、3 kmであり、同一の集団または係累に違いない。

 なお、星山の登山ルートは、ひたすら上りだけではなく、前山の山腹トラバース、視界の開けた尾根上のトレールなどあり、“秀峰”とは感じなかったが、低山としては変化に富む山と言える。上り70分、下り60分だった。

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田んぼアート
投稿日:2016/09/23、No.286

 岡山県美作市勝田、久賀ダムの下流側谷あいに作られた「田んぼアート」を見に行ってきた(9月16日:写真)。地元有志の団体(勝田SP会)の制作で、今年は6月12日に田植え、10月2日に稲刈り・収穫祭を行うそうである。

 この田んぼアートは、今年は7年目で、美作(みまさか)市観光PRキャラクター「みまちゃん」と、宮本武蔵誕生地があることから「むさっち」が描かれている(美作市観光振興課)。
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 ダム堰堤から俯瞰した限りでは(写真)、色(稲の種類)は二色、また絵柄の外側はすでに刈りとられているか、元々稲を植えていなかったようである。

 田んぼアートの元祖である青森県南津軽郡田舎館村は、ウェブサイトにて次のように紹介している。
「田んぼをキャンパスに見立て、色の異なる稲を絵の具代わりに巨大な絵を描く“田んぼアート”、田舎館村では平成5年(1993年)に3色の稲でスタートし、年々技術が向上し今では7色の稲を使いこなし繊細で緻密なアートを作り上げています」

 田舎館村では、村役場4階の展望デッキと6階の天守閣があり、また道の駅にも展望所があり、いずれも展望料金300円だそうである。年々観覧者数は増え続け、2015年度は34万人で、展望料収入は6200万円だった(日本経済新聞web版による)。

 その「アート」の写真は、各種ブログで見ることができるが、絵の精緻さと生き生き感に驚き、感心する。田んぼアートの製作に当たっては、観察地点からの遠近法を取り入れた設計図作成、地上の測量、および田植えの3段階が重要である。

 田舎館村の担当者は「稲で表現できる限界まできている」と話しているそうだが(日経新聞)、確かにこれ以上のことを求めれば、そのアートは「自然」ではなくなるだろう、と思う。

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帝釈峡の雄橋 
投稿日:2016/09/28、No.287

 広島県北東部の東城町と神石町にわたる石灰岩台地にて、帝釈(たいしゃく)川の浸食により形成された峡谷が帝釈峡である。1963年に比婆道後帝釈国定公園に編入され、この地方の行楽や散策の名勝地となっている。

 過日(9月16日)、この峡谷に沿う遊歩道を往復5 kmほど散策した。渓谷にはモミジが多いので紅葉の名所だそうだが、9月のこの時期は特段見ものというものはなく、およそ2時間のハイキング中、行き交った人は数組くらいであった。

 このコースの中で最もお薦めらしいサイトは、幅19 m、高さ4 mの「日本一の天然橋」と言われている雄橋(おんばし)である。確かに、木造アーチの錦帯橋(岩国)や石造りアーチの日本橋の様に、帝釈川の上に架かる天然のアーチ石橋に見える(写真)。
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 しかし、この「橋」の上には道路があるわけではないので、正しくは橋ではなく、洞とか門と呼ぶべきものであろう。

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帝釈峡の神龍橋 
投稿日:2016/10/15、No.293

 倉敷市で瀬戸内海に注ぐ一級河川高梁(たかはし)川の支流(成羽川)の西の源流が帝釈峡(本欄No. 287)である。

 その渓谷に、コンクリートダムとしては日本最古の部類のダムが1924年に建設された。その結果、ダムの上流側に全長8 kmにおよぶ細長い人造湖(神龍湖)が形成され、現在はその湖内の遊覧船と周囲の散策が帝釈峡観光の中心となっている。
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 写真は、神龍湖の一部を周回する探勝遊歩道に続く橋(神龍橋)である。「人が歩いて通るだけの橋にしてはずいぶん頑丈そうで、立派な橋だな」と思いつつ、橋を渡り終えてから看板を見たら、次のようなことが解説されていた。

 この橋は、1930年主要地方道に架設され、紅葉橋として長年にわたって利用されてきたが、幅員も狭く,交通環境の変化に十分対応できなくなったため、より大きな橋を建設することが決まった。その際、旧紅葉橋を遊歩道として再利用することとなり、1985年、フロート型台船に乗せて湖上を上流に600 m輸送し、神龍橋となった。この橋は、道路用のトラス橋としては歴史的建造物としての価値が高く、後に「土木学会選奨土木遺産」に認定(2002年)、国の「登録有形文化財」に指定された(2009年)。

 トラス橋(きょう)とは、細長い部材(木材や鉄など)を三角形に組み合わせた構造で重量を支える橋であり、今日でも、アーチ橋と並んで広く採用される一般的な構造形式である(日本橋梁建設協会)。

 一例として、東京港臨海道路は、羽田空港に近いため橋の高さを低く、また大型船舶の運航のため桁下の高さを確保するため、トラス構造が採用されたそうである。

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帝釈川 
投稿日:2016/10/18、No.294

[訂正] 前記事にて、「倉敷市で日本海に注ぐ一級河川高梁川」の「日本海」は「瀬戸内海」の誤りでした(既に訂正済み)。

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 帝釈峡関連で「訂正」記事があり、面目ない。
 今回のケースは、事実誤認とか勘違いの類ではなく、単純な「言い間違え」である。

 岡山県の倉敷市なので、「瀬戸内海に注が」なければならない。一方、文章を読む限りにおいては、倉敷が誤りで、正しくは島根県や鳥取県のどこかなのだろう、とも推察できる。

 しかしながら、高梁川の西方の源流・帝釈川が中国山地の山陽側(広島県北東部)に位置することを認めれば、脊梁山脈を越えて山陰側へ流れることはない。

 と、こんなことを考えていたとき、ちょっと理屈は違うが、一つのことを思い出した。

 南北アメリカ大陸のつなぎ目にあるパナマ運河を「西から東へ航行すると太平洋からカリブ海へ渡る」と思っていたのだが、現地で地図をしっかりと見たら、「西から東へ航行するとカリブ海から太平洋へ渡る」ということを知ったのである。

 これは、メキシコより南の地峡は南東方向に伸びているが、パナマに入るとU字形に曲がって北上し、すぐにまた逆U字形になって南アメリカ大陸につながり、パナマ運河はその北上部分にあるからである。したがって、運河の西(正確には北西)側がカリブ海、東(南東)側が太平洋である。
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[写真]帝釈峡の雄橋から神龍湖へ向かう途中の帝釈川(9月16日).

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白雲洞 

投稿日:2016/11/25、No.304

 帝釈峡の雄橋付近に白雲洞という鍾乳洞があり、去る9月16日、洞内を見物した。とくに鍾乳洞が好きとか関心が高い、というわけではないが、自然が造った景観の一つなので、機会があったら立ち寄ることが多い。

 鍾乳洞は、かつて海底でサンゴなどが堆積することによってできた石灰岩が地殻変動によって地上に隆起し、雨水や地下水によって通常の岩石より激しく浸食を受け、地下に多くの空洞を生じたものである(日本観光鍾乳洞協会の解説より抜粋)。

 そういう地形(カルスト地形)が中国地方では岡山県に多く、「洞窟どっとこむ」によると同県では12個の鍾乳洞が一般人も入洞可能で、私はその内4個に行ったことがある。なお、鳥取県には鍾乳洞が存在しないかどうかは知らないが、少なくとも観光用に公開されている洞は一つもない。

 広島県では公開鍾乳洞は多くはないが、その中で最も著名なものがこの白雲洞である。しかし、観光客が入れる奥行きは約200 mで、秋芳洞(山口県)や井倉洞(岡山県)の全長約1 kmに比べ小規模である。
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 白雲洞内の各所には、天ぐ岩、雲啓門、地獄谷、みずほの滝、等の表札がかかっている(写真は、洞穴内の表札のない部分)。どこの鍾乳洞も同様だが、奇岩や造形物に無理に名前をつけて、いちいち観光客に教えてくれなくても良い。

 どこかの鍾乳洞には、「この石筍が成長するまで#千年かかったと考えられます」というような解説板があった。そういうのが望ましい。
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[写真] 右上の表札に”The Bowing Rock”、その下に「おじぎ岩」とある。
中央左寄りは「七福岩」と読める。

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雪氷研究大会(2016・名古屋) 
投稿日:2016/10/04、No.291

 9月28日から10月2日にかけて、名古屋にて毎年恒例の雪氷研究発表大会が開かれた。2008年以来、(公・社)日本雪氷学会と日本雪工学会との共同開催である。

 会場は名古屋大学のシンボル的建築(1962年建設)の豊田講堂と、学術シンポジウムや国際会議の開催が可能な野依記念学術交流館(2004年建設)であった。ゆったりとした落ち着いた雰囲気と、映像、音響効果などが優れた講堂や大会議室は、雪氷研究の発表会場としては申し分ないものであった。

 昨年までは口頭(一般セッション)とポスターによる研究発表以外に、各種分科会などの主催による企画セッションやオーガナイズドセッションが開かれていた。今年の大会実行委員会は、その「企画」と「オーガナイズド」をやめ、それに代り誰でも参加しやすいスペシャルセッション(SP)とすることにした。

 そして、SPを公募した結果、19種のSPが生まれることになった。従来の一般セッションは、「氷河」とか「雪氷物理」とか「雪崩」とか、研究の対象または専門分野で分けられていた。

 一方SPは、例えば「SP01:2015ゴルカ地震に伴うランタン谷における雪氷災害」のようにテーマを明確にしぼり、専門の異なる種々の視点からの研究発表は意義があったと思う。

 今年の研究大会における発表件数は、口頭「一般セッション」:92件、口頭SP:102件、ポスター発表:128件であった。2010〜2015の過去6年間の平均は、口頭「一般」136件、ポスター134件であった(筆者の集計による)。

 つまり、ポスター数は従来とあまり変わらず、一般とSPを合わせた口頭発表が従来の口頭の1.4倍に増えたことが特徴的である。SPが19種、その発表が100件を超えるのであれば、これはスペシャルとは言えない。

 一人が参加(聴講・議論)できる最大可能数は全発表の1/3である。だから、今年の方式が効果的だったか否かは、簡単には評価できない。多くの人の意見を集約する内に、徐々に結論が見えてくるだろう。
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 [写真]ポスター発表(豊田講堂ホワイエ・アトリウム)

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氷河の研究対象地域 
投稿日:2016/10/09、No.292

 日本の雪氷研究大会において、氷河や氷床に関わる研究発表は近年着実に増えてきている。それらの研究地域は、地球上のどことどこに及んでいるのか、またどこが最も多いのか、雪氷学会の講演要旨集から調べてみた。

 まず、口頭とポスターを合わせた全発表(今年は322件)から、氷河または氷床の研究を拾い、その研究対象地域を調べる。現地で採集された試料の分析や、人工衛星データの解析、数値実験も含む。一つの発表で複数地域もあり得る。

 単年だけの集計では、ある地域がたまたま多いとか、ゼロとかもあり得るので、最近の3か年の合計件数で比較することにした。なお、極地や氷河地域であっても、海洋、海氷、季節積雪、地中氷は除外した。このあたりが、分析者の主観が入るところである。

[2014、2015、2016年の合計]
(1) グリーンランド:55、(2)南極:38、(3)ヒマラヤ:17、
(3) 内陸アジア・シベリア:17、(5)パタゴニア:14、
(6) アラスカ・カナダ:8、(7)アンデス:3、
(7)立山:3、(9)アフリカ:2.

 グリーンランドが格段に多いことが目につく(写真:2016.9.30、名大)。
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 筆者が南極に関する講演を行ったとき「日本はなぜ北極の研究をやらないのか? 日本にとっては南極以上に重要ではないか?」との質問を受けたことが何回もある。

 昔は兎も角として、少なくとも近年は、雪氷系が関係するプロジェクト(GRIP, SIGMA, GRENE, ArCSなど)は多数あり、毎年調査へ出かける人数は、南極よりグリーンランドの方が圧倒的に多い。ただし、人数x日数や、輸送コストも含めた総予算はどうなるのかは、本格的に調べてみないと分からない。

 なお参考のため、30年前(1984-86年)の研究対象地域を同様の基準で調べたところ、次のような結果となった。

[1984、1985、1986年の合計]
(1)南極:24、(2)パタゴニア:14、(3)ヒマラヤ:11、
(4)内陸アジア:3、(4)鳥海山・月山:3、(6)グリーンランド:2.

 ヒマラヤの氷河研究は1970年頃から名大を中心に盛んに行われるようになったので、毎年ある程度の数の研究発表が行われてきた。一方、パタゴニアの氷河研究は1983年から京大・北大・等により開始されたので、時期によっては発表が多かった。

 グリーンランドの1件は米人の氷コアに関する招待講演である。確かに当時は、雪氷研究のために北極に行く人は非常に限られていた。



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