東日本大震災、淡路断層、地震学、論(西田)、津波堆積、論(平川)、防潮扉、チリ地震

東日本大震災           2011/03/13、No.2136
 一昨日(3月11日)夕、東北関東地方沖の巨大地震の報を聞いてから、ほぼ終日テレビに釘付けになりました。地震による間接的災害(石油タンクの火災、原発炉心溶融危機、他)も然ることながら、津波の被害は空前、壮絶、甚大で言葉がありません。

 地震は予測できないけれど耐震構造物などのハード対策がかなりのレベルまで可能です。一方津波は、強固な防潮提を張りめぐらすことはほとんど不可能ですが、必ず地震の後に来襲するので避難する時間的な余裕があります。そう思っていたのですが、今回は想像を絶する犠牲者、行方不明者の数です。

 気象庁は津波に関し、注意報と警報を発令します。これは行政や住民に対する注意の喚起です。災害対策基本法では、「災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において」、市町村長は「必要と認める地域の居住者、滞在者その他の者に対し、避難のための立ち退きを勧告し、および急を要すると認めるときは、これらの者に対し、避難のための立ち退きを指示することができる」(第60条)と規定されています。つまり、避難勧告より避難指示の方がより拘束力が強いのですが、命令とか強制というものではありません。

 昨(2010)年2月27日、南米チリ中部沿岸で同じくマグニチュード8.8の巨大地震が起きました。この地震後に、気象庁は東北地方の太平洋沿岸に大津波警報や津波警報を発令し、それを受け各自治体は、避難指示または避難勧告を発令しました。しかし、避難した人の割合は、避難指示地域で6.5%、避難勧告地域で2.6%だったそうです(rescuenow.netによる)。

 実際は、津波が観測されましたが、大きな被害は発生せず、この警報は「空振り」に終わりました。しかし、50年前のチリ大地震(1960.5.22)では、約23時間後に三陸海岸に高さ6mの津波が押し寄せ、142名が犠牲になりました。これらの事例をみると、警報-避難指示・伝達-避難行動のあり方に検討すべき課題が多くあることを痛感します。

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 *写真はイメージで、本文とは関係ありません。パタゴニア(アルゼンチン)・ペリートモレノ氷河にて(1990.12)。「氷河末端の氷壁から氷塊が崩落する危険があるため、300 mより近づいてはいけない」という表示。日本だと、「危険、立ち入り禁止」の看板があるだけのことが多い。

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Re: 東日本大震災  

                      成瀬廉二、2011/03/15、No.2138

 国際雪氷学会からお見舞いのメッセージが届きましたので、以下に訳文を付けて転載します。

  (14 March 2011)

Dear colleague

On behalf of the International Glaciological Society and the IGS Council and membership we would like to express our sincere and heartfelt sympathy to the Japanese people at this time of national crisis.

Eric Brun
President

Magnus Mar Magnusson
Secretary General

International Glaciological Society
Cambridge, United Kingdom

(2011年3月14日)

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親愛なる友へ

 貴国の難局にあたり、国際雪氷学会、同評議会および全会員を代表して、日本の皆様へ謹んで心からのお見舞いを申し上げます。

 会長 エリック ブルン
 事務局長 マグヌス マール マグヌッスン

 国際雪氷学会
(英国、ケンブリッジ)



大震災の呼称 

                      成瀬廉二、2011/03/28、No.2142

 3月11日14:46頃、三陸沖にて発生したマグニチュード9.0の巨大地震を、気象庁は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名した。政府では、「同地震 緊急災害対策本部」など、公的な場合はこの地震名を使用している。

 しかし、今回の災害は、地震のみではなく、津波と原子力発電所事故が重なっているので、「・・・・・・・地震」が必ずしも適当な名称とは言えない。そこで、本震災に対し報道各社は次のように呼んでいる。

 「東日本大震災」:朝日、毎日、共同通信、および地元紙の岩手日報、河北新報、福島民報、ほか多数.
 「東日本巨大地震」:読売.
 「東北関東大震災」:NHK、日本赤十字.
 現在までのところ、政府は震災の統一呼称を提唱していない。(1995.1.17、阪神地方のM7.2地震のときは、気象庁命名は「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」、震災に対する政府の呼称は「阪神・淡路大震災」であった)

 なお、諸外国のニュース等では、
"March 11, 2011 Japan Earthquake and Tsunami"
"Japan's 2011 Tohoku Earthquake"
"2011 Sendai Earthquake and Tsunami Japan"
などまちまちである。

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 図左は、本震、余震、前震の震央の平面分布、図右は、震央の緯度と時間に対する分布.●がマグニチュードの大きさを示す.図右のMw9.0 が本震、Mw7.3が前震、 Mw7.7と7.9が本震に続いて起こった大きな余震.[Educational Slides. Created & Compiled by Gavin Hayes. U.S. Geological Survey(USGSアメリカ地質調査所)より]


Re: 大震災の呼称 

                 成瀬廉二、2011/04/03、No.2145

 政府は4月1日、この震災を「東日本大震災」と呼ぶことに正式に決めた。これにともない、公的、民間に関わらず、今後さまざまな復旧、復興の事業、組織、財政策などにこの名前が付くことになるだろう。

 一部の報道機関が使っていた「東北関東大震災」は、1923.9.1の関東大震災と紛らわしかったり、「関東の東北部の・・・」と読めないこともなかった。一方、「東日本」は、糸魚川静岡構造線を境に日本を東と西に分けるという視点からは、あまりにも広すぎる。しかし、北海道(+周辺)を北日本と呼んだり、中部地方という区分けもあり得るので、「東日本大震災」はまあ妥当な命名かと思う。

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 写真は、宮城県気仙沼の大島の漁港にて、収穫した養殖カキを洗浄水槽に入れている漁師(2004.11.29)。気仙沼にて見学・見物した魚市場、水産工場、料理屋および一泊した旅館などは、すべてほぼ一瞬の内に津波でかき裂かれ、濁流に押し流されたに違いない、と思うと胸が痛む。

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淡路島、野島断層 (前)

               成瀬廉二、2012/05/01、No.2311

一昨日、淡路島を車で移動中、田舎道で「野島断層 ** km」と記された看板を何度か見た。断層を観察できる露頭があるのか、あるいは地下に断層が隠れている地形が認められるのか、と興味をそそられたけど、そのときは目的地が別にあったので、素通りした。

 きのう(30日)予定を一部変更して、淡路島北部瀬戸内海側にある、その「現場」へ行った。野島断層は、北淡震災記念公園内の野島断層保存館という立派な施設の中にあった。この断層は、17年前の1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(その災害は、阪神・淡路大震災と命名)の際、大きく動いた断層の一つである。

 旧北淡町小倉地区にて地表に現れた大きな断層をそのままの状態で保存、展示するため、断層の上に建築物が1998年に建設され、同時に国の天然記念物に指定された。

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 写真の手前は左右に走るアスファルト道路、その向こう側は細い側溝を隔てて畑となっていた。畑の左側は1 m程度隆起し、逆断層を示している。同時に、隆起した部分が奥の方へ約1 m~2 m横にずれた断層でもある(側溝の破壊、変形から良く分かる)。

 活断層が見られることは、地震の震源付近では珍しいことではないが、地震の研究者や災害復旧関係者ではない、一般人が眼の辺りにすることはめったにないことであり、私は初めてであった。


淡路島、野島断層 (後) 

               成瀬廉二、2012/05/03、No.2312

 阪神・淡路大震災を引き起こした地震(マグニチュード7.3、最大震度7)は、死者数の点では関東大震災(1923.9.1)、東日本大震災(2011.3.11)についで観測史上第3位である。しかし、上位2位までの震災の犠牲者の多くは都市型大火災と空前の大津波によるものなので、純粋に地震による死者は(判定は困難だが)、阪神・淡路大震災は多い(計6,434人、内、淡路島62人)。

 長さ140 mにおよぶ断層をかまぼこ型のシェルターで覆った断層保存・展示施設の隣に、民家敷地内に断層が走り、塀や花壇がずれて壊れたが、傾いただけで全壊を免れた鉄筋コンクリート性の住宅が、メモリアルハウスとして保存され、屋内も公開されていた。

 その庭と塀の様子を写真に示す。庭の草地内の赤い標識に沿って断層が走り(写真右)、その左側が奥の方向に1.2 mずれた(写真左)。その横ずれにより、塀も大きく曲がったことが分かる。遠景のガラス張り建物が断層保存・展示施設である。
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 震度7と判定された淡路島北淡町では木造家屋全壊率は44%であったが(JHBによる)、断層から1~2 mしか離れていないこの住宅は、柱に吊るされていた下げ振りの目測によると、傾きは1~2 度程度と思われた。家主は、敷地内に断層の存在を知ってか知らずか、地震に強い住宅を建てたことを実証したことになる。


討論集会『地震学への提言』(前)

                成瀬廉二、2012/05/25、No.2319

 幕張メッセで開催されている地球惑星科学連合2012年度大会のユニオン・セッション『地震学への提言』へ参加し、22日朝~夕、講演と討論を聴講した。

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 この連合大会は、5月20日から25日まで、宇宙惑星科学、大気海洋・環境科学、地球人間圏科学、固体地球科学、地球生命科学から、教育・アウトリーチ、ユニオン、パブリック、領域外等におよぶ9つの分野、計179種のセッションからなる、超大規模な研究発表大会である(写真:会場受付)。参加者数は、今年は不明だが、昨(2011)年5月の大会には、約5800名が参加し、4044件の研究発表が行われそうである。

 セッション『地震学への提言』は、「2011年東北地方太平洋沖地震の発生により、大地震の予測可能性、地震防災のあり方、原発を含む国の施策と研究者の関わり方、研究者の社会的責任など、様々な課題が明らかとなった」(鷺谷威)ことを踏まえて企画された。

 さらにその背景には、「私たちは、甚大な災害をもたらした今回の地震・津波が発生する可能性について十分な認識に至っていなかったことを真摯に反省し、今何ができるかを模索しました」(-地球惑星科学関連学協会共同声明-2011年6月30日)や、「今回のM9 の地震の発生可能性を予見できなかったことは,地震予知研究を推進してきた者の一人として大きな責任を感じている.今回の地震を事前に想定することができなかったのは何故か,また,正しく想定するためには何が足りなかったのか,どこで間違えたのか」(東北大学、松澤暢)など、「反省」や「責任の認識」があったものと思われる。

 連合大会では、私の専門に関係する氷河、極地、雪氷のセッションもある。しかし今は大震災の1年後、関係者がどのように総括し、それを部外者がどう批判し、将来を展望するのか、それを聴くとしたら今年しかない、との思いが強かった。


討論集会『地震学への提言』(後)

                成瀬廉二、2012/05/28、No.2321

 『地震学への提言』では、地震学会の各種委員による6件の発表のほか、気象、地球物理、地質、津波、心理学、科学哲学、ジャーナリズム等、他分野からの招待講演などが9件あり、その後一般参加者を含めて総合討論が行われた。

 講演や議論の概要を簡潔にまとめることはとてもできないが、多くの演者が問題にしたことは、「地震学界(コミュニティー)は国の施策(政治)にどう関わるべきか」であった。「ムラ」への批判もあり、大勢としては、地震研究者たちは国や行政と程よい距離にて緊張関係を保つことが重要である、との指摘が強かった。

 複数の地震専門家から、「地震学は未熟な学問である」、「地震予測は過去の経験則に基づくだけである」との発言があり、少し驚いた。「地震予知」の御旗のもと、長い年間、地球科学の中では飛び抜けて多くの研究予算を受けていたからである。しかし、地震は見えないところ、手が届かないところで起こっているので、発生のメカニズムにせまる観測やデータ取得は困難なのであろう。したがって、「未熟」とは違うが、「確立していない」と言うのならば、そうなのだろう。

 内閣府の「南海トラフの巨大地震モデル検討会」(座長・阿部勝征)が、マグニチュード(M)を最大で東日本大震災なみの9.1に設定し、津波と震度の新たな想定を公表したことに対しては、「M9.1に科学的な根拠があるのか?」、「とりあえず、2倍にしただけではないのか?」、「今度は想定を越えないように、想定を高くしただけではないのか?」など、地震学界内外から強い批判の声が上がった。しかし、残念ながら、その責任者はその場には出席していなかった。

 政府の地震調査委員会による「今後30年以内にM8.0の東海地震が発生する確率は87%」という「予測」は、どういう意味があるのか、との批判も発せられた。確かに、週間天気予報では、我々は外れるかも知れないと思いつつも各曜日の降水確率を参考にして計画を立てることも多い。それに比べ、この「予測」は、不確かな情報が多すぎて、対処の仕様がない。これが、地震予知、予測の現状である。

 地震予知研究は国家計画として数十年にわたり行われてきたが、いまだに短期予知に成功したことはない(上田誠也)。しかしながら、上田誠也、児玉哲哉ほかによると、電磁気現象、地球化学、地下水異常などに、地震直前の先行現象が認められることがある、とのことである(写真:児玉「衛星観測による地震予知計画」の講演)。この先行現象が単なる偶然なのか、因果関係があるのか、今後の研究経過に注目したい。
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『地震学への提言』へコメント 

               西田良平、2012/05/29、No.2322

 今回の東日本大震災で「地震学への提言」について、私の考えと地域貢献について、以下に述べます。

 今回の地震について、反省は2つの面があります。

 1つは地震学研究です。
 自然現象を解明することは出来たと思っても、次の課題が出てきます。理学の研究はそのように追求して行くものと認識しています。
 地震が破壊現象であることから、その破壊の瞬間を事前に知ることは、次々と出てくる課題を追求して、どこまで近づけるか分かりませんが、それを追求して行くのが地震学研究の1つの役割と思っています。

 他の分野の研究者にとって「地震予知研究計画」による予算の確保は「阪神淡路大震災」今回の「東日本大震災」で、批判されています。

 しかし、全国地震観測網が出来、種々の地震波形データが観測され、蓄積されていることで地震研究が進んでいます。プレートテクトニクス説に基づいた地震発生のメカニズム・破壊過程の物理モデルの提唱など、私は成果が出て来ていると思います。

 地震学研究の本来の目的である「地震現象の解明」をどの様に進めるのか。これについての反省と検証が必要です。

 2つ目は「社会学としての地震研究」です。
 地震学者は地震予知や予測に踏み込むことが出来るのか。
「地域防災計画」では地震想定をします。この地域で起きる最大規模の地震を想定して、被害想定をします。(鳥取県ではその様にしています。)

 地震学者が出来るのはそこまでで、被害想定など社会的なインフラの話などは、地震工学・防災学の分野の研究の社会的活用です。
(鳥取県の場合は防災の専門家が少なく、私もこの予測に関係しています。)

 地震学と社会との関係では地震学者ができることは限定されます。
「減災への貢献、社会に対する地震研究での役割は直接的には難しい」
 言い訳が許されるのであれば、「地震学の研究対象は地球です」。

 地域社会での私の役割は、このように考えています。
 現在、鳥取県での私の役割は地震学者の領域を超えています。私は常にそれを意識して講演しています。

 聴きに来られる人は、「鳥取に地震は起きるか」、
「地震が起きた時、自分の家が安全かを知りたい」と思っておられます。

 地域に住んでいる地震・防災関係の学者はこの要求に答えることが必要です。
「地震がいつ起きるか分かりません。起きるとすればこの様な地震です。そして、地震対策は必ず必要です」との立場で話をしています。

 2011年4月から、私は20回以上の講演をしています。
 これが私の地域社会へ果たす役割の1つだと思っています。

  (放送大学鳥取学習センター所長、鳥取大学名誉教授)

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[写真:地球惑星科学連合2012年度大会ポスター発表(5月22日、成瀬撮影)]

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津波の堆積物調査 

           成瀬廉二・平川一臣、2012/01/19、No.2261

 年末のある夜、ETVで津波の特集番組を見た。予期していなかったが、旧知の北海道大学地球環境科学研究院、平川一臣特任教授が登場した。シャベル1丁と買い物袋のようなものを手に、海岸の草地を歩き、崖に到着するとシャベルで土砂を掘り、ヘラで堆積物の断面を整形し、観察していた。

-平川さんは、宮城県気仙沼市で、海岸付近の高さ1~5 mほどの切り立った崖に津波で運ばれた6層の砂石の地層を発見。岩手県宮古市では、今回の津波が32 mまで達した地点の近くでも複数の地層を見つけた。  三陸海岸の崖の上で何層も見つかったのは初めて。切り立った崖の上に痕跡が残っていたことから巨大津波と考えられる。-(asahi.com、2011.8.22)

 過去の津波の到達域、浸水高の研究には、現地の被災実態調査や津波シミュレーションの手法があるが、歴史時代では日記や古文書等により、さらに古い時代は津波堆積物の調査が有効である。この堆積物の研究は、古くから行われていたのだが、地味な、古典的な手法故か、地震学的アプローチの影に隠れ、あまり脚光を浴びることが無かったようである。しかし、このような泥臭い、地道な調査研究も絶対に必要である。

 以下は、私(成瀬)からの求めに応じお寄せいただいた平川一臣氏のコメントである。

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 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は超巨大津波を引き起した。このような超巨大地震とそれに伴う超巨大津波は、過去数千年の履歴の中で考えるなら、どのように理解されるだろうか。1611年慶長三陸津波、869年貞観津波、さらには千島海溝で発生した17世紀初頭の500年間隔の地震津波などはどのように評価すべきだろうか。

 これらを初めとして、東北地方-北海道太平洋沖の日本海溝、千島海溝沿いで発生してきたに違いない超巨大津波の識別と、それらの波源域、履歴は、地層となって保存されている津波堆積物から読み解くことができる。

 自然(津波)には、想定外はあり得ない。自然(津波)は津波堆積物として、発生年代も規模もすべてを記録している。それらを読み解くのは私たちの責務である。スコップ一本で続けてきた調査の要点を科学(岩波書店)2月号(1月26日発売)に寄稿した。お読みいただければ幸いです。

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 添付の写真は、2011年4月中旬の気仙沼大谷海岸。過去3500年間に5回の超巨大津波がもたらした地層が露出している。
          (北海道大学大学院・地球環境科学研究院・平川一臣)


津波の堆積物調査(続) 

           平川一臣(成瀬廉二)、2012/01/23、No.2262

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  写真:北海道根室半島の太平洋岸、長節の津波堆積物(2002.5.13、平川撮影).縞模様の白っぽい層が、過去約6000年間に津波が運んだ地層.

 平川氏にメールによるインタビューを行った(聞き手:成瀬)。

 -津波による堆積物は、それ以外の層とどのようにして識別しますか?
「津波堆積物は,基本的にその周辺の海浜の状況で決まります。礫母なら礫が,砂浜なら砂が優勢になります。ですから,3.11津波では,”自動車”という「津波堆積物」が累々と積み重なりました。 高さ数m以上,あるいは内陸へ数百m-1 kmもの浸水なら、高潮などの可能性はありません。段丘の上にできた,浅くて,奥ゆきも数十~数百mくらいの極小の谷なら,河川からの可能性もあり得ません」

「さらに,6000年間で同じ顔つきの海浜砂層が十数層ということは,単純平均で300~500年に1回くらいの現象になります。総合すると,津波以外には考えられなくなります。河口の広い低地では,こういう解釈は困難です。小生はこのように、津波以外の原因が考え難い地形を選んで調査しています。さらに,高くて急な崖を選べば津波の規模の推定にも役に立つはず,という考えです」

 -写真の現場は海抜何メートルくらいですか?過去の津波の高さはこれよりは大きかった、ということが言えるわけですね?各津波の規模の大小は推測できますか?
「その通りです。崖の高さは4 m+(標高6 m)= 10 mくらいです。崖は波の作用で浸食されて後退を続けていますから,時間を遡るほど,当時の海岸からの距離もおおきくなります。さらに十勝-根室-釧路と範囲を拡げ,地形を選べば規模の判断もできます」

 -過去の津波の年代はどのように決めるのですか?
「年代がわかっている火山灰層,含まれることがしばしばある土器片,放射性炭素14C年代に基づいています」

 -前報の気仙沼の写真の説明文に、”過去3500年間に5回の超巨大津波の地層”とありましたが、こういう知見は県、町、村、地区、地元住民等にどの程度知られ、認識され、多少でもソフト、ハード両面の防災対策に組み込まれていたのでしょうか?
「869年貞観津波のことは,我々にはよくわかっていて,少なくとも国レベルでは理解していたはずです。それに東北電力などもわかっていたはず,とされています。市町村レベルでは,ほとんど意識になかったと思います。ただし,たとえば釜石市では学校教育現場(ほぼ全教科で実践)が日常的に対処していました。3500年前というような過去になると,やはり想像の域を超えてしまうのでしょうね」

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(津波・高潮)防潮門扉 

               成瀬廉二、2012/02/05、No.2270

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 先週(1月29日)、兵庫県南西部の播磨地域を訪れる機会があった。帰途、たつの市室津港で名産の養殖カキの水揚げと直売所を見てから、近世-近代に廻船問屋として栄えた豪商の町家を見学した。写真左の建物が江戸時代後期に建てられた町家で、海の宿駅として活躍したので、現在は(たつの市指定文化財)室津海駅館と称し、一般に開放されている。

 さてそのとき、家々の海側の道路に沿って頑丈そうなコンクリート製の塀が続いていることに気がついた(写真)。そして、家の玄関前、あるいは道路がT字の交差点では、大きな金属製の門扉があった。写真の扉は、片側の開き戸だが、他の場所では引き戸もあった。

 これが、津波・高潮の防災用の防潮門扉である。扉のラベルには、有効高 0.97 m、竣工:平成23年9月、発注者:西播磨県民局と記されていた。この塀と扉は、昨年の3.11大震災後、兵庫県の瀬戸内海岸の各地に、津波対策として設置されたものである。

 兵庫県では昨(2011)年10月、 津波防災対策をとりまとめ、次の2つのレベルを想定した。レベル1は、安政南海地震(1854年、マグニチュード8.4)の規模を想定した100年に一度程度の津波、レベル2は、東日本大震災(2011年、M9.0)の津波(1,000年に一度程度)を想定する。レベル1は防潮堤、塀、門扉等のハード対策を中心とし、レベル2は、住民の避難に重点を置いた、ハード・ソフトを組み合わせた総合的な対策を行う、としている。

 同県の公式HPには、「レベル1の津波に対しては、防潮堤等の門扉が完全に閉鎖できれば、淡路島南部の一部地域を除き、浸水を防ぐことができる」と記されている。室津の防潮塀や門扉は路面からの高さは1 m、路面の海抜高は定かではないが満潮時の海面から1 m程度は高いだろうと思われた。そうであれば、最大2 mまでの津波に原理的には対処できる。

 一方、レベル2の津波の想定として、津波高を暫定的に従来の予測値の2倍と仮定し、兵庫県内の「津波浸水想定区域図」(暫定版)が昨年12月末に兵庫県から発表された。これによると、例えば赤穂市では、高さ約3.9 mの津波が到達した場合、防潮門扉が全て閉まっていたとしても、約2.6 km2、建物約1,000棟が浸水する(赤穂民報2011.12.28、より)。

 兵庫県に限らず各県でも、独自の津波シミュレーションを行ったり、浸水予測図の公開やハザードマップ作成の検討を進めている。これらは大変重要で結構なことではあるが、ただ計算結果や危険予測図を公表すればそれで良いというわけではなく、それらを踏まえ、いかに地元の自治体、地区の自治会、住民個々が理解し、身につけ、具体的な避難行動に役立たせるかが肝要である。


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チリ地震の震度 

                       2010/03/11、No.2009


 2月27日(土)未明(03:34;日本時間、同日15:34)、南米チリ中部にてマグニチュード(M)8.8の巨大地震が発生した。関東大震災(1923.9.1)がM7.9、阪神・淡路大震災(1995.1.17)がM7.3であったので、これらに比べ地震の規模が如何に大きかったということが分かる(ただし、観測史上世界最大と言われている地震は、1960.5.22のチリ地震M9.5である)。

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 図は、米地質調査所(USGS)による各地の震度データにもとづく震度分布図である(BBC NEWSより転載)。震央はコンセプシオン(Concepcion)の北北東110km、オレンジ色で囲まれた範囲が“激しい(severe)”、黄色が“強い(strong)”、緑色が“中程度の(moderate)”、その外側は“軽い(light)”または“弱い(weak)”震度となっている。

 私は過去8回チリを訪れたことがあり、新聞やテレビで報道される被災地のいくつかは知っており、研究仲間や知人も多い。その内、ヴァルディヴィア(Valdivia)で氷河の研究をしているNPO法人氷河・雪氷圏環境研究舎の会員ジノ・カサッサ君へ先日メールをしたが返信がないので、パソコンかネット環境が被災したのかな、と想像していた。ところが、この震度分布図では、ヴァルディヴィアは緑色の枠外にあり、震央から400km南で、“軽い”ということが分かった。

 もう一人、当NPO法人の理事の松元高峰君が、昨秋からパタゴニアの入り口のコヤイケ(Coyhaique)の研究所に就職している。そこまでは被害が及ぶとは思っていなかったが、「現地の事情はどうか」と問い合わせたところ、「まったく気づかず寝ていた。翌日午後、TVのニュースで知った」という返答だった。地図で調べてみたら、コヤイケは震央の南1,000km、東京から北海道旭川までの距離に相当する。いくら大きな地震でも、これだけ離れていれば、揺れを感じるか感じないかの程度であろう。遠くの国から見ていると、震源地から近いところ、とつい思ってしまうが、チリは広い(長い)のである。

 
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