氷河集写真;パタ探検;氷河館;パタ氷河洪水;南極棚氷破壊;パ氷河洞窟;グ氷床減少

氷河上の集合写真  成瀬廉二、2011/06/13(Mon)、No.2177
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 [国際氷河学会に関心がある方へ:写真を拡大して見てください](前列左寄り)O. Orheim, S. Ommaney, (中央)P. Jansson, (その右へ)J. Glen, G. Ostrem, J. Nye, W. Harrison. (2列目中央)J.O. Hagen,(右端)R. 成瀬.(後方の列、左寄りから右へとびとびに)A. Rivera, P. Skvarca, A. Glazovskiy, R. Bindschadler, Y. 吉田, G. Young, K. 河島, K. 瀬古, A. Iken, G. Kaser, K. Steffen, V. Kotlyakov, H. 庄子, C. Bentley, T. 門田, M. 安仁屋, C. Warren(などの顔が見える)
 古い写真で恐縮である。これは、1996年6月ノルウェー・ゾグネフィヨルドにて開催された国際氷河学シンポジウム期間中の氷河巡検の際、スッフェルブリーン氷河(Supphellebreen)における集合写真である。

 私がデジカメを使うようになったのは2003年からである。したがって2002年までの写真は、カラースライドまたはカラープリント、白黒プリントにて記録されており、それらのうち科学的に重要、きれい、稀少、面白い、あるいはドキュメント的写真は、順次スキャナーでデジタル化し、パソコンに取り込んできた。さらにそれらのうち、記録として(公開)保存しておく価値があると思われる写真は、機を見て適宜、当NPOのウェブサイトあるいは資料保存庫の(位置づけの)ブログに掲載した。

 それらの中で、記録写真として秀逸だと思うのが添付のこれである。その理由は、一つに、氷河末端部の氷の自然の傾斜を利用し、約145人の参加者が、前後5,6列にそれとなく並び、ほぼ全員の顔が隠れることなく写っていることである。

 もう一つの理由は、背景の氷河(スッフェルブリーン)が、近年の氷河縮小のため、上部(涵養域)と下部(消耗域)とが完全に分離してしまっている、大変珍しい氷河だからである。現在は、上部の氷河はフラットブリーン(Flatbreen)、下部がスッフェルブリーンと呼ばれ(sognefjordによる)、下部の氷河は全域が消耗域であり、上部の氷河からの氷雪崩や氷崩落のみによって生存し続けている("kept alive" Worldisroundによる)。

   
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『パタゴニア氷河研究の萌芽』 

                     成瀬廉二、2011/04/08、No.2151

 『パタゴニア氷河研究の萌芽―1960年代の学術探検―』(成瀬廉二・岩田修二・安成哲三・藤井理行著)のウェブ版が完成し、公開した。これは、日本雪氷学会誌「雪氷」(2011年1月号、15-27)に掲載された同名の「報告」をもとに、写真20点を追加および若干の加筆を行ったものである。

 本「報告」を執筆しようと思い立った理由は以下の2点である。一つは、下記の[要旨]にも述べられているように、1960年代の学術探検が後の日本および世界のパタゴニア氷河研究の萌芽となったので、そのいきさつをきちっと纏めておきたかったこと、である。

 もう一つは、現代ではほとんど見られない、大学生主体の学術探検と称する海外遠征が、いかなる状況の下で発案され実行されたか、またその過程で、どのように危機と困難に対処し、「探検」を遂行したかについて、資料が散逸し記憶が喪失するまえに、記録にとどめておきたかったことである。そういう意味では回顧録の色彩はあるが、過去を顧みて記述したのではなく、過去に書いた資料・随想・感想をとりまとめて整理、編纂した歴史書と言った方が適当であろう。

 1960年代という時代は、東京オリンピック(1964年)前後の経済成長著しい時期(1970年のGDP年増加率9%)にあり、電車初乗り20円、大卒初任給25,000円(1965年)であった。1964年に海外観光旅行が解禁になったが、1米ドル360円の固定相場、かつ外貨持ち出し制限が1人300米ドル程度(1966年頃)だったと思うので、実質的には一般庶民が観光で海外へ行けるような状況ではなかった。

 さて、著者の4人は、この探検後、専門はそれぞれ異なるが、氷河を主軸とした研究をライフワークとした(私を除く3人は団塊の世代で、定年間近だが現在も大学等で指導的立場で活躍している)。

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[要 旨]
 1960年代後半、わが国の3つの大学と高校OBの遠征隊が、パタゴニア北氷原のソレール氷河ほか、および南氷原のHPS10氷河、ウプサラ氷河と周辺地域、ならびにフエゴ島にて学術探検を行った。本報告は、現在一般には入手困難な遠征隊報告書および諸資料から抜粋、復刻し、探検の行動記録と調査結果、および筆者等の当時の"想い"をまとめたものである。これらの学術探検は、氷河調査としては予察的、初歩的に過ぎなかったが、得られた経験と知見は約15年後にパタゴニア氷河研究の開始への駆動力となった。

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《写真》ウプサラ氷河を下る六甲学院隊(1969年3月)。パタゴニア南氷原上にて、10日間に深さ5 mの大雪に見舞われ、テントはつぶれ、雪洞で凌ぎ、装備の大半を放棄し、日帰り登山程度のサブザックのみで下山した(Photo:岩田修二)。

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パタゴニア氷河博物館オープン 

                 成瀬廉二、2011/05/20、No.2169

 1980年頃からの知人、かつ1990年以来私たちのパタゴニア氷河研究のアルゼンチン側共同研究者であるペドロ・スクワルチャ(Pedro Skvarca)から、5年ほど前、「パタゴニア氷河の博物館をつくるので、***の観測データ、###の写真、$$$の解説文を送って欲しい」と次々に注文があった。今年中とか、次の氷河観光シーズンが始まる前までにオープンする、とか言いながらなかなかそのニュースが入ってこなかったので、財政難のため計画が頓挫したのだろうかと思っていた。

 ところが最近、ペドロから氷河博物館紹介のメッセージが送られてきた。以下に、その抄訳と原文を掲載する。

 = アルゼンチン南西部の観光拠点エル・カラファテ郊外に、本年1月17日、“グラシアリウム”と名づけた氷河博物館がオープンした。2500 m2の近代建築は、世界の氷河、特に南パタゴニア氷原の歴史と最新知見を表現し、普及させる目的でデザインされた。館の中は、現代芸術に空間と光の効果を取り混ぜ、さらに多様なメディアを用いて展示と情報発信している。民営のグラシアリウムは、氷と氷河の教育センターとしてのみではなく、科学的活動の場をも目指している。そのため将来は、パタゴニア地域のさまざまな分野の科学的知識を拡げるため、研究プロジェクトを推進したり支援したいと考えている。=
(グラシアリウム科学所長:専門=氷河、P. スクワルチャ)

On January 17, 2011, was opened outside the tourist city El Calafate a glacier museum named “Glaciarium”. This unique center in South America is located in southwestern Argentina, in the vicinity of the worldwide known Patagonian glaciers. The building of 2500 m2 modern architecture was designed to present and disseminate the current knowledge of the glaciers in the world, with particular emphasis given to the history and state of the art of the nearby Southern Patagonia Icefield glaciers. The contents are expressed in modern artistic ways, with interactions and exhibits which include scenic and light effects, multimedia programs and video presentations. Glaciarium, a totally private enterprise, is not only intended as an educational center for ice and glaciers, but also a space devoted to related scientific activities. In addition, in the future it aims to promote and finance research projects in different disciplines to expand the scientific knowledge of the region.
    (Scientific Director of Glaciarium, glaciologist P. Skvarca)

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[写真・左]グラシアリウムの公的開所式典(2月15日)後、南パタゴニア氷原のレリーフを見るアルゼンチン大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(Cristina Fernandez de Kirchner:中央、黒いカーディガン姿)とアルゼンチン観光大臣(左端).
[写真・右]氷河の諸特性を表現する模型氷河の前にて、フェルナンデス大統領(左端).
Photo: Courtesy Glaciarium, February 15, 2011.

(5.18、18:00投稿;5.19、15:00訂正;5.20、10:30写真修正)

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パタゴニアの氷河洪水(上)      

        Fernando Escobar、2011/08/15、No.2196

 パタゴニア北氷原南東部のベーカー川(Rio Baker)流域にて、2008年以降現在までに7回の大規模な氷河洪水が発生した。コロニア氷河(Glaciar Colonia)が左岸の支流を堰き止めて形成されたカチェ2湖(Lago Cachet 2)が、図の点線O付近から突然排水し、コロニア氷河底面の水路を約7.5 km流下し(矢印)、氷河末端(黒O)からコロニア湖(Lago Coloria)へ流出したものである。

 この現象は氷河湖決壊洪水(GLOF: Glacier Lake Outburst Flood)と呼ばれるものである。この氷河のGLOFは、2007年以前には発生が知られておらず、2008年4月が初めて、最新は2011年3月で、7回とも早春から晩夏にかけて起こった。

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 (図:パタゴニア北氷原南東部の衛星写真.Casassa et al., 2008 "Sudden drainage of glacial lake Cachet 2, Patagonia" より)

 [投稿者:フェルナンド・エスコバル(Fernando Escobar)、チリ公共事業省・水局(Direccion General de Aguas: DGA)・氷河&雪部門.1985年以来、日本・チリ・アルゼンチンによるパタゴニア氷河研究の共同研究者]

 {本稿は、当NPO法人のウェブサイトまたは出版物への投稿を想定して英文(図・写真9枚付)にて送付されたが、編集、改良、補強の後、然るべきジャーナルに投稿することとし、その概要のみ本サイトに掲載する.(編集・抄訳)成瀬廉二}


パタゴニアの氷河洪水(中) 

              Fernando Escobar、2011/08/17、No.2198

 カチェ2湖(写真)の水位が上昇し、コロニア氷河底面における氷の荷重と水の浮力が等しくなると、氷河底面の水路が急速に拡大し、多量の水が氷河方向へ流れ込み、湖はほぼ空になる。写真のコロニア氷河の側壁に、以前の排水孔(トンネル)の入り口が見える。

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 カチェ2湖の面積は3.7 km2、コロニア湖はその5倍の18.7 km2であり、多量の水の排水が起こっても下流側の湖の水位変動は穏やかとなる。しかし、両湖の高度差は約275 mあるので、水の排水にともない多量のエネルギーが放出される(注)。

 現在、気候変動の影響と考えられるが、コロニア氷河の氷舌部分は年間4 mの割合で薄くなりつつあり(Rignot et al ., 2003)、末端も著しく後退を続けている。

 2009年5月、コロニア氷河に接するカチェ2湖の岸に水文気象観測装置を設置し(Photo: Yerin Carvajal, DGA、5月30日撮影)、湖の水位と気象要素を無人観測している。

{編集者注:この位置エネルギーが熱に変わり、流路の周りの氷を融かし、毛細管のような水脈が2、3日後には下水道程度の流水管(トンネル)に成長し得る。}

(編集・抄訳)成瀬廉二


パタゴニアの氷河洪水(下)      

       Fernando Escobar、2011/08/19、No.2204

 ベーカー川の流量観測点(コロニア氷河末端から約40 km下流)のデータから、過去7回のGLOFの流量(基底流量を差し引いたもの)を以下に示す。
 2008年 4月:222 Mm3(メガ立法メートル)
 2008年10月:184 Mm3
 2008年12月:134 Mm3
 2009年 3月:200 Mm3
 2009年 9月:187 Mm3
 2010年 1月:146 Mm3
 2011年 3月:202 Mm3

 初回が最も規模が大きく、これだけは早春~晩夏ではなく初秋に発生した。2008年4月7日に排水が始まり、流量は平常時1000 m3/s程度が、7、8日には3000 m3/sを超えた。同時に、水温は10度Cから2.3度Cに低下した。これは、数多くの氷片が流れてきたことによる。

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 写真は、2008年4月の洪水後のベーカー川流域の状況である (Fernando Guzman, DGA, 4月12日撮影)。カチェ2湖の水文気象観測装置のデータは衛星通信によりサンチアゴに転送され、DGAによる洪水警報システムに組み込まれている。

{編集者追記:ベーカー川は、パタゴニア北氷原の東側の氷河からの融水を集め、氷原の東側を南へ向かって流れ、コロニア湖から東へ流れるコロニア川と合流した後、川の向きを西へ転じ、北氷原の南側を通り太平洋に流出する。流量の点では、チリ最大の河川である。

 2008年4月のGLOFは、コロニア川およびベーカー川の流域の牧場施設や開拓民に大きな被害を与え、牧場の家畜も多数死亡した。
 現在、チリでは、両川の合流点のすぐ下流に、大規模な水力発電のダム建設計画がある。GLOFによる短期的な増水のみではなく、GLOFにともなう多量の土砂の流出と堆積の影響など、リスクの再評価が必要と指摘されている。(Dussaillant・他, 2009、より )}

(編集・抄訳)成瀬廉二}


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東日本の津波が南極棚氷を破壊

             成瀬廉二、2011/08/24、No.2205

 「(日本)本州の地震・津波(2011年3月)による南極棚氷の破壊・分離」(”Antarctic ice-shelf calving triggered by the Honshu (Japan) earthquake and tsunami, March 2011” by K.M. Brunt, E. A. Okal, D.R. MacAyeal)という論文が国際氷河学雑誌の最新号(Journal of Glaciology, Vol. 57, No. 205)に掲載されることになり、出版に先立ち国際氷河学会のウェブサイトに全文が公開された。

 東北地方太平洋沖地震は3月11日05:46 UTC(協定世界時)に発生した。地震表面波(レイリー波)は南極ロス海付近に1時間後の06:45 UTCに到着したと推測され、津波はモデル計算とロス海の検潮儀により18時間弱後の12日00:00 UTCに第1波が到着した。

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 NASAのMODIS画像によると、13日00:00 UTC頃、南極スルツバーガー棚氷(Sulzberger Ice Shelf)から、長さ10 km、幅6 kmの氷山が分離したことが認められた。添付地図の青丸印の南側の縁が同棚氷の位置を示す。同じく、ヨーロッパ宇宙機関(European Space Agency)のエンビサット(Envisat)の観測によっても、同時期にスルツバーガー棚氷から合計125 km2 の氷山が分離したことが確認された。

 ロス海西部の検潮儀(Cape Roberts)の記録によると、津波の振幅は最大20 cmであった。この大きさは、低気圧による波浪や、潮汐に比べて決して大きくはない。しかし、過去46年以上の間、ほとんど変化のなかったスルツバーガー棚氷が、繰り返し襲来した津波の期間中に棚氷が破壊して、巨大氷山が誕生したので、津波が引き金になった、と著者らは論じている。


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『青の中へ -ラ・ヴェンタと行くパタゴニア氷河洞窟遠征記-』 


パタゴニア氷河洞窟の探検 (上) 

            松澤 亮、2011/10/21、No.2225

 ナショナルジオグラフィック1996年2月号で氷河洞窟の青い世界に出会って以来、氷河洞窟に関心を持ち続けてきた。2002年にはアイスランド遠征(ケイビングジャーナル20号参照) に参加し、2005年はロシアカフカスの山岳氷河(同24号)、2006年にはアメリカ合衆国ワシントン州(同31号)を訪れた。そして今回(2010年)、イタリアのラ・ヴェンタ(La Venta) 協会が主催する南米パタゴニアでの氷河洞窟遠征に参加した。14年前に写真で見たその場所で、そのメンバー達と共に活動する事になったわけだ。

 2月14日、沿岸警備隊(Naval Prefectura)のマイクロバスとピックアップトラックで2時間かけてアルヘンティーノ湖のモレノ港へ行き、普段は観光客を乗せているHiero & Aventura 社の船で対岸へ渡してもらう。ここは氷河トレッキングの基地で、観光客も多い。ここからベースキャンプを設置するブスカイーニ(Buscaini)野営地まで約8kmの距離をペリートモレノ(Perito Moreno) 氷河沿いのトレッキングルートを歩いて荷揚げした。

 2月15日、まだ荷揚げは続行しているが、ジョバンニとシルヴィア、松澤の3人で氷河上の偵察に出かけた。氷河上の地形を見てGPSをチェックしつつ、クレバス地帯を通過できるルートを探しながらプラトー(plateau 比較的平坦でクレバスも少ない場所)まで行く。谷とべディエール(bediere 氷河上の水流)を見つけたら渡渉地点を探し、水流沿いに下流へ向かって歩いて行く。するとムーラン(moulin 氷河上の竪穴流入口)やかつてムーランだった竪穴洞口が見つかる。これを上から覗き込んで翌日以降の探検の対象にするかどうか決めるのである。ムーラン以外にも、氷河側面に小規模な横穴と、流入型氷河底横穴を幾つか発見し、入洞した。

 2、3 日かけて氷河上を手分けして歩き、過去に大きな洞窟が発見された場所(今年は大きな洞窟は形成されていなかった)や、1995年の遠征でヘリコプターが着陸した氷河本流脇の氷原(今年は氷が無くてガレ場が露出していた)など氷河上の地形の変化を確認。さらにベディエール地帯など今年の氷河上の地形を把握し、洞口の位置が幾つかプロットされてくると、いよいよ氷河洞窟の探検が始まる。

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  (写真:ペリートモレノ氷河上のムーランへ下降.滝の水が多いのでドライスーツを着ている)

[本稿は、ケイビングジャーナル第42号(2011年8月、日本洞窟学会発行)に掲載された記事の抜粋である(ケイビングジャーナル編集委員会の厚意による).筆者:東京スペレオクラブ、埼玉県在住.投稿代行:成瀬]


パタゴニア氷河洞窟の探検 (中)       

      松澤 亮、2011/10/24、No.2226

 2月17日からは発見したムーランへ順次入っていった。特製の60cmアイススクリューをメインアンカーに使い、他は通常のアイススクリューとスタティックロープ2本で2ルート並行にセットした。同時に入洞するのは2人までで、氷体の中で氷水を浴びながら停滞すれば低体温症になる危険があるので、これもそのための対応である。

 18日には松澤も撮影班と共にムーランへ降りていったが、流入する滝のしぶきがひどく、10数m下降したところで折り返した。通常の雪山用アウター程度の防水装備ではこの程度が限界で、これ以上はドライスーツを着ないと無理である。

 17日の夜から、落雷の様な轟音がしばしば鳴り響いた。翌朝氷河を見てみると、BC付近の流入型氷河底横穴で氷塊の崩落が起こっていた。結局この洞口は、3日後の20日朝までには完全に崩壊した。

 この日(19日)、撮影班の一部が分遣隊としてムーラン近くの氷河上へキャンプを移した。氷河上では夜間気温は氷点下に下がり、水面に薄氷が張る。昼間は1m/s程度のカタバ風(氷河上を吹き降ろす冷たい風)が吹いて、気温約5℃、湿度75%となる。

 翌2月20日、分遣隊の氷上キャンプ脇のムーランでムービー撮影を行なう。ここは水量が多い事が予想されたのでドライスーツを着た2人が下降していった(写真)。

 松澤はジョバンニと2人でさらに下流側の氷河上を探索しに行った。氷河の末端部付近は氷河トレッキングのコースになっており、中には日本人観光客もいた。ちなみに氷河トレッキングにはミニトレッキングとビッグアイスの2 コースがあり、ミニだとちょっと氷河上に上がるだけだがビッグの方は氷河上を半日歩き回り、ベディエールやムーランを見ることもできるし、運が良ければ簡単な横穴に入れる場合もある。どちらにしてもカラファテから日帰りで1 日つぶれるのは同じなので、せっかく行くならビッグアイスの方が良いだろう。

 この夜、BC にレンジャーの3人組が来て1 泊していった。トレッキングルートのパトロールの一環なのだろう。それとも我々を監視しに来たのだろうか。21日、キャンプを撤収し、船着場まで1.5 往復の荷降ろしをする。

 22日は船とマイクロバスを乗り継いでカラファテの町へ戻り、久しぶりのシャワー、ランドリー、インターネット。夕食には分厚いステーキとビールで祝杯をあげた。

 翌2月23日はカラファテで後半の計画を練り、準備とパッキング。2月24日からはアメヒーノ(Ameghino)氷河へ行く組と、チャルテン(El Chalten)からヴィエドマ(Viedma)氷河へ行く組とに分かれることになる。

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     (写真:ペリートモレノ氷河上のムーラン型シャフトでムービー撮影)

[ケイビングジャーナル第42号(2011年8月)から抜粋.投稿代行:成瀬]


パタゴニア氷河洞窟の探検 (下)      

         松澤 亮、2011/10/26、No.2229

 2月24日朝、6名のアメヒーノ分遣隊は朝焼けの中、カラファテを後にした。軍用トラックの荷台に乗ってアルヘンティーノ湖の港、プンタ・バンデーラへと向かう。30分程で港に到着した。しばらくしてタンクローリーと沿岸警備隊の乗組員がやって来て船に給油を始めた。1 時間程で給油が終わり、ようやく出発となった。

 約1時間のクルーズで湖岸の砂浜に降ろされ、ここからボッカが始まった。樹林帯を抜け、虫の襲撃を受けながら平坦な荒地を歩く。途中には崩れた小屋の跡もあり、馬が1頭だけ放牧されている。衛星写真で見ると、ここは元々アルヘンティーノ湖の入江だった部分だが、湿地帯ではなく広い河原の様な風景だ。奥の方には現在も水がありアメヒーノ湖となっている。ようやくアメヒーノ湖のダムになっているモレーンに到着すると、小さな氷山が多数座礁している。ここから先は踏み跡も無く、湖岸のガレ場や岩場をたどって進み、夕刻、湖畔の砂地にキャンプを設営した。

 キャンプ地からアメヒーノ氷河までは約2時間。この道のりを毎日かよって3日間、ヌナタク(氷河上に母岩が露出しているところ) やセンターモレーンも含めて探索し、氷河洞窟に入洞、撮影した。アメヒーノ氷河の奥に見えるセロ・ファンタズマ峰の南面は切り立った壁で、未登だという。ここでは氷河雪崩が岩壁を落下するのが時折見られ、轟音が響いた。

 アメヒーノ氷河ではエピグレイシャルケイブ(氷河表層直下にある円形断面を持つ横穴:写真) を見つけて観察したが、やはり不思議なものだ。また氷河上に生息するカワゲラ類を発見、観察した後、脱け殻を採集し、帰国後研究者に送った。

 最終日は15m/sの強風が吹いたのでテントが飛ばされない様に石で押さえた。強風と雨、パタゴニアらしい天候である。翌28日には撤収し、迎えに来た警備艇に乗ってカラファテへ帰還した。この日のカラファテは良く晴れて暑いほどで、気温20℃、湿度25%だった。

 氷河洞窟は青い。今まで潜ったどの海とも、見上げたどの空とも違う深い青である。その青い世界の中へ降りて行く感覚は、他では味わうことが出来ない。しかも現場で見ると写真や映像で見るよりさらに青い。アイスランドやカフカスの氷河も美しかったが、パタゴニアの氷の青さと明るさは格別で、他では見たこともないほどの青である。

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   (写真:アメヒーノ氷河上の横穴.氷河を横断するクレバスに由来する構造が良く分かる.)

 [ケイビングジャーナル第42号(2011年8月)から抜粋.投稿代行:成瀬]


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北極グリーンランド氷床15%減少の誤報騒動 

            成瀬廉二、2011/10/06、No.2218

 Cryolistという、世界中の氷河研究者や氷河に関心をもつ一般人の多くが加入しているメール網にて、標記の話題について、9月16日から26日までの間に約64件のメールが飛び交った。口火を切ったのは、ヒマラヤなどアジアの氷河変動を研究しているJeffrey Kargel(アリゾナ大学)である。メールに添付されたり、リンク先の主な記事を含めると、ざっと15万語(words)におよび、A5版にすると約300ページの本になる勘定である。とても全てを読めないし、理解のおよばぬ論説もあるが、この問題に強い興味を抱いたので、とりあえず、さーっと一通り目を通した。

 問題の経緯は次のようなものである。世界的に権威のある「タイムズ世界包括地図帳」(The Times Comprehensive Atlas of the World )の第13版が刊行されるにあたって、9月15日、出版社(Harper Collins)の代表が記者発表を行い、「グリーンランドが緑に変わりつつある」、「第10版(1999年)からの12年間に、グリーンランドの氷の面積が15%減少し、イギリスとアイルランドを合わせた面積30万平方キロメートルが陸になった」、「30年以内に、グリーンランドが激変する転換点(tipping point)に達するかもしれない」と述べたのである。これが、メディアやネットを通じて世界中に報道された。

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 左の図がこのたび出版された第13版地図、右がMODIS衛星イメージのモザイク画像(2011年8月14,15日)である(スコット極地研究所SPRIの声明文に添付された図より)。タイムズ地図(2011年)では、グリーンランド中央部東側では氷が大きく後退し、陸地が広く描かれている。

 メール網では多くの人がさまざまな内容の意見を述べたが、氷床や雪氷に関わるコメントの主なものを挙げてみよう。「図化者が、あたかも500 mコンターを氷床縁辺と誤描写したみたいだ。陸地とされた地域に、数多くの氷河や永久氷が存在している」(Poul Christoffersen、SPRI)。

 「衛星画像では、時として、氷床縁辺の濡れた氷やダストに被われた氷は、内陸の積雪と見え方が異なることがあり、図化者が雪域と氷域の境界を氷床縁辺と見誤った可能性もある」(J. Kargel)」、「図化者が、7月初めのMODIS画像に基づいていたとすると、融解期初期のため、氷と陸との境界が不明瞭のこともある。8-9月の融解期後期の画像を併用しなくてはならない」(Hester Jiskoot、レスブリッジ大学)。

 また、グリーンランド氷床が現在縮小し、氷厚を減じていることは、みな異論はない。グリーンランド氷床の氷は現在290万立方kmであり、年間の減少率は200立方kmと見積もられるので、体積減少率は12年間で0.1%程度である(SPRI)。上述のグリーンランド氷床の面積減少率が12年間で15%とは、桁が大きく異なる。

 今回のグリーンランド地図は、主にNSIDC(National Snow and Ice Data Center)の氷厚分布図に基づいていたそうだが、図化者の解釈の誤りが原因だったらしい。Harper Collins社も誤りを認め、今後は氷河学者等の意見を十分とり入れると表明した。地図も、グリーンランドのみ訂正版を作る方針になったようである。

 この”誤報”が発表されたとき、多くの氷河研究者は「ヒマラヤ2035問題」(Himalayagateとも言われる)が頭をかすめたらしい。しかし今回の騒動(Atlasgateと言うそうである)は前回のものとは異質である。前者は、IPCC第4次報告書(2007、WG2)が「2035年またはそれ以前までにヒマラヤの氷河は消えてなくなる可能性が非常に高い」と述べたことであり、これは一流雑誌とは言えない(WWF, 2005)を引用したもので、WWFも口頭による聞き取りをもとに出版したものであった。つまり、Himalayagateは、IPCCのこの章の執筆者および査読者たちが、出典の信頼性を十分に精査しなかったことに起因する。一方今回のAtlasgateは、世界中に投じた波紋は小さくはないが、単に図化者の誤読や誤解釈に基づくものであった。

    
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