ポルトガル・スペインの旅 (1)-(8)

ポルトガル・スペインの旅 (1) 
                                 成瀬廉二、2011/11/28、No.2238
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 [写真]ポルトガル・シントラ(Sintra)の丘、ムーア城址(Castelo dos Mouros).右下に見える街はシントラ、円錐形の塔(煙突)がある建物がシントラ王宮である。遠景はリスボン北西の海岸、逆方向にはリスボン付近の海岸線が見え、周囲の見渡しが非常に良いので格好の要塞だった。

 11月17日から27日まで、往路アムステルダムに1泊した後、ポルトガルとスペインを訪れた。紀行とか見聞録とか言うほどのものではないが、旅の雑感の一端を4、5回にわたり掲載する。

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    [写真]オランダ・アムステルダム

 ポルトガルの首都リスボン(葡:Lisboa)は西経9度にある。すなわち、英ロンドンより西は当然として、アイルランドの首都ダブリン(西経6度)よりも西に位置する。したがって、リスボンはヨーロッパの中で最西端の都市と言える(ただし、アイスランドの首都レイキャビックは22度Wだが、EC未加盟なのでヨーロッパには含めないとする)。

 リスボンは”7つの丘の街”と呼ばれるように、アップダウンの多い港湾地に、旧市街、新市街が発展している(写真)。
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 日本の歴史の上で、アジア系以外と深い関わりを持った最初の国がポルトガルである。バスコ・ダ・ガマがヨーロッパからアフリカ南端を周航するインド航路を開拓した(1498年)後、1543年にポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が日本に初めて伝来した。次いで16世紀後半、オランダなどに先駆けて、ポルトガルから宣教師らが訪れ、交易するとともに西洋の文明やキリスト教が日本にもたらされた。


ポルトガル・スペインの旅 (2) 

           成瀬廉二、2011/12/01、No.2239

 この時期(11月)は、アムステルダム、パリなどのヨーロッパ中央はすでに初冬で、観光旅行としてはオフシーズンである。南欧のイベリア半島でもベストシーズンはとっくに終わっているが、いろいろな事情を勘案して11月中-下旬に決めた。

 外国へ旅行に行くとき私は必ず出発前に、行く先々の場所(および標高)と月の平均気温を調べる。携行する衣服を過不足なく準備するためである。レインウェアは、どこへ行く場合も必携なので、降水量の平年値にはあまり気にかけない。

 18日リスボンに着いたら、夕方から夜にかけて猛烈な土砂降りに見舞われた。翌、翌々日も、まとまった雨にはならなかったが、前回記事(1)の写真に見られるような雲の動きが激しく、いつでも降り出しそうな雨模様であった。

 帰国後、降水量のデータを調べてみたら、サイトや資料によって数値が10%近く異なるのだが、リスボンは10月から5月までが雨季、最も降水量が多い時期は11月-1月、そして11月の平均降水量は100 mm-114 mmであった(The Weather Channel; Euro WEATHERなど)。一方、乾季のさなかの7,8月は平均4-5mmである。降水量の季節差が甚大である。この様に、温帯地域で、冬にある程度の(著しく多くはない)降雨があり、夏は日差しが強く乾燥する気候は、いわゆる「地中海性気候」である。

 この気候は、名前の由来の通り、ギリシャ、イタリー、南フランス、北アフリカの地中海沿岸に特徴的だが、それ以外に北アメリカ西海岸のカリフォルニア地方、南アメリカ・チリ中部(サンチャゴ周辺)、およびイベリア半島西岸(すなわち、リスボン周辺)が該当する。

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 写真は、リスボン市内の海岸付近から高台の教会や街並みを見たものである(20日)。道路際の樹木は南国風で、他の広場でも良く見られるが、郊外の植生の主流がこういう樹種と言うわけではないので、敢えて人工的に植栽したものと思われる。リスボンの年平均気温は17.0度C、大阪の16.9度とほぼ同じである。


ポルトガル・スペインの旅 (3) 

          成瀬廉二、2011/12/04、No.2240

 ポルトガルには現在13箇所の世界遺産があり、その内12個は文化遺産である。世界遺産の数が多いとか少ないとかを言及することはあまり意味のないことだが、あえて調べてみたら、登録数の多い上位3傑はイタリー(41)、スペイン(40)、中国(35)であった。ポルトガルは16位であるが、国の面積は世界第111位なので、面積の割には世界遺産登録数が多いとも言える。

 世界文化遺産の一つが、リスボンの西28 km、ポルトガルの最西端シントラ(Sintra)の古建築物群である。シントラの町にはかつての王宮や教会があり、シントラの丘(標高529 m)の一方のピークにはムーア城址、他方のピークにはペーナ宮殿がある。


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 前者(Castelo dos Mouros)は、9世紀頃アラブ民族(ムーア人)に征服されていたときの城跡である。写真は、その最上部から見下ろした城壁である。

 後者は、1842-54年に建設されたポルトガル王および王妃の宮殿(写真)であり、1910年の王政崩壊まで避暑地、別荘等として使われれた。この建築群が、シントラ世界遺産の最も主要部分と見なされている。また、シントラの丘には、各種史跡の他に、多様の植生の変遷が見られ(セコイア、コニファー、ユリノキ、イチョウ、ヒバ、イチイ、等:Parques de Sintraより)、”自然”としても価値が高い。
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ポルトガル・スペインの旅 (4) 

         成瀬廉二、2011/12/07、No.2242

 スペインは、私が過去11回氷河調査等のため訪れたチリ、アルゼンチンの母国である。 ポルトガル人のマゼラン(MagallanesまたはMagellan)は、スペイン王の命を受けスペイン船により南アメリカ大陸の各地を探検しつつ、大陸南端を周回し太平洋に達した(1520年)。以後、1700年頃まで、強大なスペイン帝国は新大陸の各地を征服し、銀その他の富を獲得した。そのため、メキシコ以南の中米、南米諸国は、ブラジルを除いてほぼ全てスペイン語国となった。

 30、40年前、チリの街中で「アブラ カステジャーノ?(カステジャーノを話せますか?)」とよく尋ねられた。スペイン語でスペイン語はエスパニョールのはずである。初めて聞いたときは、その質問の意味が全く分からなかったが、カステジャーノはCastellanoで、スペイン中央部および西部のカスティーリャ地方の言葉ということを知った(カステリャーノのリャが南米ではジャと訛る)。

 つまり、スペイン語といっても地方の方言はいろいろあるので、カステジャーノと言うときは、正統(または標準)スペイン語という意味と、自分の郷里はカスティーリャであるという誇りをも込めているのだろうと思う。

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 スペイン中央のカスティーヤ・ラ・マンチャ州に、首都マドリッドがある。イベリア半島の中央高原上にあり、マドリッドの平均標高は654 mである。写真は、マドリッド市街中央部のマヨール広場付近の裏通りである。


ポルトガル・スペインの旅 (5) 

          成瀬廉二、2011/12/10、No.2245

 マドリッドは、1561年に時の王がこの地に宮殿を移し、スペイン帝国の中心となった。したがって、マドリッド市街には16-18世紀の豪華な建造物等は多くあるが、歴史的に非常に古いというわけではない。

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 それ以前のスペインの首都は、マドリッドの南70 kmのトレド(Toledo)である。世界遺産に登録されている古都トレドは、U字に湾曲するタホ(Tajo)川に囲まれた高台に古い街並みが保存されている(写真)。東西約2 km、南北2 km弱のトレドの旧市街の中には、教会、聖堂、庁舎、美術館、ホテル、飲食店、ショップ等が密集し、人々が生活しつつ、観光客でも賑わっている。

 マドリッド-トレドおよび周辺の内陸高地は、気温の夏冬、昼夜の変化が大きい大陸性気候であり、年間の雨量もあまり多くない(マドリッド:年降水量437 mm)。スペインは、北部、中央高地、東部・南部では気候が異なり、さまざまな農作物が栽培され、ヨーロッパの主要農業国の1つである。

 生産量が世界の上位に入る農畜産品が数多くあり、主な品目ではオリーブ(1位)、いちご(3位)、桃(4位)、豚肉(4位)、ぶどう(5位)、洋梨(6位)、キュウリ(7位)、オレンジ(7位)、トマト(8位)、等となっている(2009年)。また、EU最大の漁業国でもあり、地中海沿岸ではクロマグロの畜養が盛んで、その多くが日本へ輸出されている(以上、農林水産省資料による)。


ポルトガル・スペインの旅 (6) 

          成瀬廉二、2011/12/13、No.2246

 マドリッドから高速国鉄(AVE)を利用し、東北東へ550 km(所要3時間弱)、スペインの北東端バルセロナへ向かった。日本の新幹線はトンネルがものすごく多く、車窓を眺めていても非常にしばしば強制的に中断させられる。その点、スペインに限らず内陸高原の列車の旅は、景観が雄大で変化に乏しいが、トンネルがほとんどないので、なんとなく気分が落ち着く。

 バルセロナから近郊の電車に乗り換え、北西53 kmのモンセラット(Montserrat)村に着いた。モンセラット山(1235 m)は、周囲に高い山がないためひときわ目立つ。この山の中腹に、現在でも数十名の修道士が務める修道院、教会、大聖堂がある。麓の電車の駅からロープウェーまたは登山電車、あるいは山道を徒歩または小型自動車にて、大聖堂等がある聖地モンセラット(標高683 m)へ上がることができる。

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 写真は、ロープウェーから見た聖地の観光レストラン、その左に教会等のいろいろな歴史的建築物がある。写真中央の岩壁に左へ上がる歩道が見える。

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 ロープウェー上部駅からさらに急峻な岩山の斜面をケーブルカーで登ると、山の鞍部に達し、そこから整備された歩道(しかし、片側はすとんと落ちた崖)がモンセラット山頂へ続く(写真)。その途中にいくつかの礼拝堂がある。まさに、日本で言えば修行道である。


ポルトガル・スペインの旅 (7) 

          成瀬廉二、2011/12/16、No.2250

 地中海に面したカタルーニャ州バルセロナは、マドリッドに次ぐスペイン第2の都市である。しかし街中を歩いたり、地下鉄に乗って移動してみると、どこへ行っても人と車が多く、マドリッドより大きい都会に思えた。調べてみたら、バルセロナ市の人口はマドリッド市の半分、しかし面積は1/6なので、人口密度はバルセロナ市の方が3倍高いことが分かり納得した。

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 バルセロナには13-15世紀に建てられた大聖堂など、歴史を語る建築物もある一方、20世紀前半のガウディ設計の独特な建築(写真)や、現代的な新市街も発展している。1992年のバルセロナ夏季オリンピックでは、女子マラソンで有森裕子が銀メダルを獲得したこともあり、モンジュイックの丘という名称は耳に残っている。バルセロナ港の沖合いには、イタリーの豪華客船MSC(排水量9万トン、客室総数1275室)他、3,4隻が停泊していた(写真)。世界周航の寄港なのだろう。
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 スペインの主要産業は、自動車、食料品、化学品、観光産業である(日本外務省資料)。自動車生産量は、ヨーロッパ第3位、世界第7位である(spainbusiness.jpによる)。そのせいもあってか、都心の全ての道路は幹線も副線もいつも非常に交通量が多く、古都の狭い道にもひっきりなしに車が通り過ぎる。

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 写真は市街中心部の唯一の歩行者道ランブラス通りである。両側に花屋や装飾品、小物、土産物の出店が並び、平日の夕方だが、多くの地元人、観光客で賑わっていた。

 国債の格付け会社のランキングによると、ユーロ圏ではポルトガルはギリシャの次に悪く、スペインはイタリーの次に悪い。金融や財政が厳しいポルトガル、スペイン両国だが、一介の旅行者が見る限りにおいては人々は平穏、楽しく暮らしているようである。


ポルトガル・スペインの旅 (8) 

          成瀬廉二、2011/12/19、No.2251

 スペインにも氷河はある。それは、フランスとの国境のピレネー(Pyrenee)山脈にある。外国に行ったとき、もしその国に氷河があり、公共の交通機関で近くまで行けるのであれば、何とか日程をやり繰りして、氷河を見上げるか見下ろすところまで行きたいと思う。しかし今回は、南ヨーロッパでも晩秋から初冬、山間地はすでに冬なので、氷河を見ることは諦めていた。

 11月26日、バルセロナを発ってパリへ向かうとき、昼間のフライトなので景色を眺めようと窓際の席を選択した。幸いフランス南部までは快晴、さらにラッキーなことに座席は左側(つまりA)だったので、ピレネー山脈のスペイン側からフランス側までずーっと続けて見ることができた。

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 ピレネー山脈は新雪で覆われていた。写真の左から中央部分がスペイン、右側がフランスである。ピレネー山脈の最高峰アネト(Aneto)山は標高3,404 m、3,000 m級の山が10峰連なる。写真を見ながらの推測だが、標高2,700-2,800 m以上が冠雪していたようだ。氷河はこの雪の下に隠れて見えていないが、間違いなく視野の中に数個はあるだろう。

 世界中の氷河の基本データと変動情報を集録している資料集(Glacier Fluctuations 2000-2005: ICSU-IUGG-UNEP-UNESCO-WMO, 2008, Web版)によると、スペインには26の氷河がピレネー山脈に存在し、その内1ha(0.01平方km)以上の氷河は17個である。スペインの全氷河の面積を合計しても2.9平方kmで、スイスのアレッチ(Aletsch)氷河127平方kmの40分の一程度しかない。なお、スペインの氷河は全般的に、近年20年間は縮小傾向にある。

 27日関西空港に帰着し、予定通り順調に11日間の旅を終えた。 <完>

 


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