三徳山;扇山;熊管理;扇山;ブナ;大山;らっきょ;邪馬台国;鐘乳穴;curling

三徳山、行者道の保全 
                 2011/10/13、No.2221
 地方紙と鳥取県のウェブサイトで、9日「三徳山の保全と活用-行者道の荒廃をくいとめられるか-」というシンポジウムが開催されることを、さらにパネリストとして旧知の渡邊悌二氏(北大地球環境研教授)が参加することを知り、興味深いテーマであり、かつどういう結論に至るのか関心があり、文化とアウトドア・イベントが目白押しの10月の3連休の中日に、鳥取県中部の倉吉市へ出かけてきた。

 三徳山(みとくさん、標高900 m)は、「信仰の山と文化的景観」として、世界遺産登録を目指している。本シンポジウムは、その三徳山世界遺産登録運動推進協議会(会長:三朝町長、副会長:県中部総合事務所長)が主催し、3人の演者の基調講演の後、パネルディスカッションが行われた。

 渡邊氏は、『行者道の保全』の話の中で、「三徳山の行者道は、世界中で最も荒廃が進んだ登山道である」、「将来の展望を十分議論した上で、最もふさわしい補修を行うべきである」、「土嚢積みのような登山道補修は、応急処置に過ぎず、長期的、本格的な補修計画がなければ、荒廃が進むのは自明である」と語った。

 それは確かに正論である。しかし、三朝町の事務局の報告によると、行者道の修復事業費として、今年度から5カ年計画で総額1500万円が決まっている。その予算の出所を調べてみたら、年額300万円の1/2が国からの補助金、残り150万円の1/2が鳥取県、その残り75万円を三朝町と地元で1/2ずつ負担するそうである(2011.3.14, 三朝町議会予算審議議事録より)。この規模の予算でできることは、急峻で荒廃した登山道に少しずつ土嚢を積み、必要に応じ部分的に迂回路を作る程度のことである。

 パネルディスカッションで渡邊氏が、「土嚢を積んでもその上を登山者が歩けば、3、4年で壊れ、雨があれば土砂は洗掘されてしまう」、「(三朝町の計画の様に)土嚢に現地の土と植物種子を入れたとしても、そこで植生が回復するとは考えられない」などと、遠慮がちに批判的見解を述べた。しかし、コーディネーター(町)とパネリストの1人(県)は、この修復事業の推進者であり、この予算の範囲以上のことは念頭にない。つまり、如何に理想論を述べても、財政面は確定してしまっているので、議論が噛み合わないというか、生産的な方策が産まれてこない。

 一体、このシンポジウムは何のために開いたのだろうか。もっと前に、修復工事の検討をする前に、あるいは遅くとも予算の審議の前に行えば有意義だったと思われる。

 三徳山の行者道の荒廃が著しく、それの根本的な修復が予算的な制約からできないのであれば、登山道の閉鎖、すなわち観光登山者の入山禁止を含む何らかの規制を考えるべきではないだろうか。三徳山の文化と自然のスケールから見て世界遺産に登録されることは至難のことだと思うが、それを目指すのであれば、景観の保全、保護をまずは優先しなければならないだろう。

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       [写真:急峻で木の根が露出した行者道(2008.10.11)]


Re: 三徳山、行者道の保全       

      成瀬廉二、2011/10/17、No.2222

 三徳山シンポジウム後、国際シンポジウム出席と来年の会合の準備のためカトマンズに出かけ、先ほどバンコクまで戻ってきたという渡邊悌二氏から以下のようなメールをいただいた。

 「記事・感想たいへんありがとうございます。書いていただいた内容,とてもうれしく思います。実は,県が予算をとって,あのような計画を立てていることを知ったのは,発表の直前(30分ほど前)でした。計上した通りに予算を使わねばならないのでしょうから,あの状態では何を言っても仕方なく,どうして事前に声をかけてくれなかったのかと・・・・・・・思います」

 「でも,これをステップに次の段階では何とか新たなところに行ければ良いだろうと思います。一方で,住民を巻き込んで,将来どのようにしたいのか,きちんと話し合いもして欲しいと,切に思います」

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       [写真]くさり坂、後方は文殊堂(2008.10.11).
 このような岩場は、道の荒廃は起こらないが、登山初級者や慣れない高齢者には難所である。この坂を登ると、一方の斜面が急峻な尾根に出る。毎年の様に登山者の事故が起こっており、今年も7月末、60歳の男性が滑落死した。

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クマの学習放獣をやめ、捕殺へ(鳥取県)

              成瀬廉二、2011/09/10、No.2209

 鳥取県では昨(2010)年ツキノワグマの大量出没をうけ、県公園自然課は9月6日、従来行っていたクマの「学習放獣」をやめ、原則として捕獲後、直ちに殺処分する、という方針を固めたようである。県内のツキノワグマの生息数が、2010年は従来の200~450頭を超え、増加傾向にあるとの判断から、クマの捕殺を進め、適正規模の頭数に調整しよう、という考えらしい。

 ツキノワグマは、環境省のレッドデータブックでは東中国地域個体群として絶滅危惧個体群に指定されている(西信介、2011)。そこで、鳥取県は「ツキノワグマ保護管理計画」(2007~12年)に定める以下の基準により、クマへの対応、処理を行ってきた。

[第2段階]:日常生活活動において遭遇または被害の発生するおそれが高い場合(農作物への被害発生、集落周辺で目撃等)--->{対応策}防護、誘引物の除去、追い払い.
[第3段階]:日常生活活動において遭遇または被害の発生するおそれが非常に高い場合(防護対策等をしても再出没)--->{対応策}捕獲し、学習放獣を実施.
[第4段階]:学習放獣等によっても効果がみられず、集落周辺に執着し再出没する場合--->{対応策}捕獲し、殺処分.

 ここで、「追い払い」とは「集落近くに出没したクマを、爆竹、動物用駆逐煙火、威嚇弾等を用いて追い払う」ことであり、「学習放獣」は「捕獲したクマを放獣時に、唐辛子スプレー、爆竹等によって人への嫌悪感を与え、再出没および再被害を防ぐ」ことを意味する。なお、学習放獣するクマへは電波発信機を装着し、個体の行動を追跡、監視することにしていた。

 この度の鳥取県の方針は、この保護管理計画を見直すことであり、端的に言えば、[第3段階]を省略しよう、というものである。

 従来、鳥取県内におけるツキノワグマの年間捕殺頭数は次の通りである(1990-06年は鳥取県 (2007), 2007-10年は環境省 (2011) による)。
1990-1995年:19, 28, 41, 0, 14, 7.
1996-2001年:14, 5, 11, 11, 15, 10.
2002-2006年:13, 5, 58, 6, 30.
2007-2010年:1, 1, 0, 40.

 このように、殺処分頭数は年により大きな変動がある。学習放獣を開始したのが2002年からである。したがって、上記のデータには人為的な影響も含まれているが、「自然現象」も反映していることが認められる。すなわち、大山と蒜山のブナ林における1990-95年間の結実の豊作年は1990, 1993, 1995年である(佐野淳之, 2011)。これらの年は、捕殺頭数が相対的に少ない。最近では、鳥取県のみではなく多くの地域で、ブナ、ミズナラの堅果が、2006年は凶作(30頭)、2009年は豊作(0頭)だった。ツキノワグマは、冬眠前に落葉広葉樹の実をたらふく食べるので、凶作の年は食べ物を求めて人里に下りてくることになる。

 山間部の農作物の被害や人への危険など、里山に近い集落の住民から行政に対して抗議に近い苦情、駆除への強い要望があると聞く。それは当然かもしれない。しかし、最近4年間の捕殺頭数は1, 1, 0, 40頭である。昨年の突出したクマ出没数、および殺処分頭数をみて、いきなりクマの学習効果がない、と結論づけるのは早計ではないだろうか。

 事実、「2002-06年、連続追跡した16頭の内13頭で人や車を忌避する行動が確認された。しかし、2頭は人の生活圏近くに位置することが多かった」(「鳥取県における学習放獣の効果」より)。効果はかなりあるのである。

 「人は怖い、嫌いだ」と学習しても、食べることの欲望を抑えるためには相当の理性と忍耐を要するだろう。したがって、ブナの実、ドングリ等が凶作の時は、人里近いところで、柵、電気、音、煙、臭いなど、なんとか「追い払い」対策を充実させて対処することを望んでやまない。

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[写真] 扇ノ山・河合谷高原(標高900m)内の林道に現れたツキノワグマの子(2008年5月9日、野田修氏撮影).冬籠り中の1、2月頃に誕生したとすると、生後3、4か月の幼児で、穴から出てきたばかりであろう.


クマ保護管理計画見直し(続)  

                成瀬廉二、2011/09/14、No.2211

 前記事(No.2209)は、新聞各紙(9.7付)の報道で鳥取県がツキノワグマ保護管理計画を見直すことを知り、ウェブサイトのニュースや記事、解説、資料などを調べ、私の感想を加えてまとめた論評であった。そして記事のタイトルは、新聞の見出しの如く、やや刺激的、目立つ文言とした。しかしながら、この記事では当事者(県の担当課)の計画見直しの真意とねらいが明らかではなく、片手落ちであった。そこで、鳥取県生活環境部公園自然課(自然環境保全担当)西信介副主幹に取材を行うことにした。以下のうち、「****」は同氏の談である。

-保護管理計画の見直しとは、県の方針転換ですか?
「有害捕穫許可を受けて捕獲したものを殺処分することは方針転換ではありますが、内容的には”対応方針”の変更だと思っています。具体的には、従来は第1、2,3,4段階ですが、今後は第1、2段階の2つとなります。新しい第2段階は、従来の第2~4段階を圧縮して実施します。 当然、誘引物除去、追い払いも継続して実施します」

-学習放獣の効果は?
「学習放獣について効果がないという判断はしていません。効果がないから止めるのではありません。個体数が増加傾向なので、有害捕穫したものについてまで、放獣するのはやめる。増加傾向の中で、有害個体を放獣することに理解を求めるのは、科学的にも説明が難しいと思います」

-鳥取県内のツキノワグマの生息数は、新聞では、250~400頭とか、200~450頭を超え、とか幅をもって報道されています。最も信頼できる頭数は?
「野生動物の生息頭数推定はかなり困難です。その中で数字だけが先走ると、数字を基に誤った方向に行くことが多々あります。県としては、目標の生息頭数は誰も(知事も)言っていません。 数ではなく、地域でどこまで許容できるのか、出来ないのか、許容できるのなら数は多い方が良いと思っています」

-クマの食べ物は年により大きな変動があります。
「餌の季節的な変動は当然ですが、凶作の年にクマが出没することで、住民との軋轢は急激に増加します。凶作だからと言っても、そう簡単に出没してもらっても地域住民としては受け入れがたい。 実際に、昨年度でも集落へ出てこない個体はいる。安易に集落等へ出てくる有害性の高い個体から、許可を得て殺処分していく。その結果、個体群が絶滅へ向かえば問題ですが、現状の個体数ではそれは考え難い状況です」

-鳥取県の森林環境は?
「森林環境では、ナラ枯れでミズナラの減少はクマに影響は大きいと思います。ただ、それ以上に薪炭林の放棄で、ナラ林が増加しております。豊作時には、相当の動物を許容できることになります。森林環境が大型野生動物の生息に好適化される中で、住民が納得できないような必要以上の個体数増加は問題があるかと思います」

「話題性が低いので、報道されませんが、実は大きな方針転換が今回あります。平成18年の計画策定の作業時は、”共存なんてできない!”ということで、”棲み分け”と言う言葉が入りました。 今回、その”棲み分け”が削除されました。棲み分け以外の多様な方向でも、”共存”が受け入れられた形です。有害捕穫個体を殺処分するからかも知れませんが、共存が受け入れられた形です」

「全体的な県の方針転換ではないという認識です。理解されにくいですが、個体数を調整して軋轢を減少させ、共存を試行する。今後5年半試行、模索して、途中おかしければ見直すことになります。基本的に特定計画は、試行と見直しの繰り返しになります。ひとまず、進んでみますので、今後も注視していただければと思います」

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[写真:豊作年の秋、低木や草本の上に落下したブナの実.河合谷高原(2009.10.21、土井倫子氏撮影)]

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河合谷高原のブナ林探策会 

          成瀬廉二、2011/09/18、No.2212

 今日(18日)、鳥取県東部の扇ノ山中腹の河合谷高原(標高900m-1100m)において、『ブナ林を探索しよう! ブナを育てよう!』というイベントが催され、一般市民、講師、スタッフの計34名が薄曇りの穏やかな天気の中、晩夏のブナ林を散策し、森林の生態や昆虫、鳥などの観察を行った。これは、昨年の春(6月)と秋(10月)のイベントの続きであり、主催は「河合谷高原の森林復元を考える会」というボランティア団体であり、NPO氷河も後方にて協力している。

 河合谷高原は、かつてはブナを主体とする豊かな落葉広葉樹の水源涵養保安林であったが、1970年代から鳥取県が主体となって農地開発事業計画を進め、大規模な森林伐採を行い、牧場241 haと農地66 haを造営した。現在、牧場は(財)鳥取県畜産振興協会が管理・運営し、春から秋の期間、酪農家からの預託を受け牛を放牧している。一方農地は、主として高冷地(夏)ダイコンの栽培を目指し、現在は(財)鳥取市ふるさと農業公社が管理、運営を行っている。しかし最近は、利用農家も年間3、4戸に減少し、栽培面積も10 ha以下にとどまっている。

 「森林復元を考える会」は、開発された牧場や農場が時代の推移と社会情勢の変化により非利用地や耕作放棄地となった場合は、ブナを主とする落葉広葉樹林に復元すべきと考えてきた。ところで牧場は、頭数が減ったとは言え放牧と採草のため全域が利用されている。一方農場は、未利用で放置された開墾地は広くあるが、これらの土地は雨滝集落の所有であり、地権者からは、農地の一部に限ってでも森林復元することに賛意は得られていない。すなわち、河合谷高原においては森林復元の運動は目下頓挫している。

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 昨春のイベントにて、ブナの育苗および植樹の実習として、標高1000 m付近のダイコン畑の一区画を借地し、参加者全員でブナの苗約100本を移植した。さらに、林道沿いに生育したブナ稚樹を採取し、牧場内の空地に植樹した。それらのブナがどのように成長したか、あるいは動物による食害や乾燥により枯死したか、を調べることも今回の探策会の目的の一つであった。ブナ苗は半分程度はしっかりと根付いていることを確認し(写真)、移植したブナ稚樹も大半はほぼ順調に育っていることが分かった。


扇ノ山のブナ林探策     

       成瀬廉二、2011/10/12、No.2220

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 10月8日、鳥取ユネスコ協会主催で扇ノ山の森林探策会が開かれ、会員と一般参加の中高年者たちが紅葉初期のブナ林散策を楽しんだ(写真)。小型バスの定員26名を探策会の定員としたが、広報がうまく運んだため申し込みが予想を超え、10名がキャンセル待ちという、この種のイベントとしては珍しいこととなった。樹木の専門家を解説員とし、私は引率責任者の立場でガイドを務めた。

 鳥取県の山では標高およそ800 m以上にてブナ林が見られることが多いが、扇ノ山の標高1,100-1250 m付近の尾根上はブナの二次林(原生林が伐採や災害によって破壊された後、自然に、または人為的に再生した森林)が続く。他の樹種がほとんど混じらないブナのみの林、その林の中を登山道が通る、という状況は鳥取県ではここ扇ノ山が一番であろう。

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紅葉真っ盛りの大山 

成瀬廉二、2011/10/30、No.2230

 昨(29)日、鳥取県西部の日野町公民館におけるイベントの後、大山の紅葉を見ようと大山環状道路をドライブした。写真は、大山の南、江府町の鍵掛峠(912 m)から大山(1,729 m)の南壁を見たものである(左が弥山、中央が剣ケ峰)。この地点は、四季の大山を眺める観賞スポットとして多くの観光客が訪れ、ブナ林の紅葉の雄大さが他に類を見ないと評価が高い。

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 しかし、昨日は昼間から薄い靄(もや)がかかり、鍵掛峠に到着したとき(16:30)は曇りで日照はなく、全般にぼんやりした光景であった。そのため、「紅葉真っ盛り」のはずだったのだが、残念ながら色彩豊富な迫力ある写真を撮ることができなかった。

 なお、鳥取県を南北に通り抜けた台風12号により、大山町大山(875 m)では9月2-3日の2日間で865 mmの豪雨となり、大山環状道路沿いの御机・第2烏(カラス)橋(全長約5 m)が崩壊し、通行止めとなっていた。道路を管理する鳥取県では、紅葉シーズンまでには復旧させたいと、応急対策として仮橋を設け、10月20日に全線が開通した。

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扇ノ山の紅葉 

                成瀬廉二、2011/11/04、No.2231

 前記事(No.2230)の写真は、曇天の夕暮れ直前のため、秀峰大山の紅葉とは言ってもまことに冴えないものだった。そのため、好天の昨日(3日)、扇ノ山へ紅葉を見に行った。

 扇ノ山(1310 m)へのアプローチは、北東側の兵庫県新温泉町から、北西側の鳥取県国府町から河合谷高原経由、および南西側の八頭町からのコースがある。写真は、八頭町コースの登山口(標高900 m)付近から扇ノ山の南東斜面を見たものである。

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 扇ノ山の中-上部は、ブナ、ミズナラ、スギ等の森林となっている。雄大な景観ではあるが、紅葉の花形であるカエデ、ウルシ、ナナカマド等の紅色が少ないので、色彩の多様さではいわゆる「紅葉の名所」に一歩譲る。

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らっきょう花、咲き誇る 

                  成瀬廉二、2011/11/09、No.2232

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 鳥取市福部町の砂丘に広がるらっきょう花畑にて、いま紫の花が咲き始めから満開までさまざまに咲き誇っている(写真:11月6日)。らっきょうは、7月から8月にかけて植え付けが行われ、10月下旬~11月初旬に花が咲き、冬を越して、5月下旬から6月下旬にかけて収穫される。

 らっきょうの生産量(収穫量)の全国ベスト3は、宮崎県:3,963トン、鳥取県:3,958トン、鹿児島県3,817トンである(平成20年度野菜生産状況調査、農水省生産局資料2010年)。鳥取県はわずか5トンの差で第2位となっているが、栽培面積は228 haなので、あと30アール(50m x 60m)ほど増やせば日本一になれる。

 らっきょうはユリ科の植物で、タマネギやニンニクと同様、鱗茎を食す。砂地で栽培される鳥取の「砂丘らっきょう」は、色の白さとシャキシャキとした歯ごたえが特徴で、主に酢づけで食べる。

 らっきょうを軟白栽培して若採りしたものは、味噌などをつけて生食できる。これを、日本ではエシャレットの商品名で出荷されている。その命名者は築地の青果卸業者だそうである。一方、フランス料理によく使われる香味野菜のエシャロット(仏語Echalote;英語shallotシャロット)とは、“親類”ではあるが形も味もかなり違う。鳥取県でも生食用のらっきょう栽培を行っているが(収穫量、国内第5位)、これをエシャレットではなくエシャロットと呼んでいる(鳥取県広報HP)。大変紛らわしいことである。

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邪馬台国山陰説 

                 成瀬廉二、2011/11/15、No.2233

 古代史関連の書物を多く読んだことがあるわけでもないし、ことさら卑弥呼ファンというわけではないが、日本の古代は文字による記録を残さなかったので、およそ5世紀以前の歴史ははなはだ不確実で、推理の世界のようである。とくに、女王卑弥呼が治めた邪馬台国(3世紀)の所在について大和(畿内)と九州と大きく離れた2つの地域の説が拮抗し、現在に至るまで勝負の決着がついていない。

 昨年頃、「新説 邪馬台国山陰説」なるものがあることを知り、近畿と九州の中間、しかも海に面しているため外国(中国、朝鮮)との交流にも好都合なので、可能性があるのかも知れず、と興味がそそられた。先月(10月1日)、「古代史(邪馬台国)サミット in 伯耆」というフォーラムが米子市で開催されたので、それを聴講に行ってきた。

 パネルディスカッションでは、九州説を主張している安本美典氏(元産能大学)、畿内説をとる北條芳隆氏(東海大学)、それに山陰説の提唱者である田中文也氏(古代史研究家)がそれぞれ自説を論じ、議論が行われたので、一度に3つの説を聞くことができた点はそこそこ面白かった。しかし、素人の聴衆にとっては、もっと全貌から、あるいは主要な点から、三地域のどこが最も可能性が高いか、という論争をしてもらいたかったのだが、たぶんそれは古くから議論され尽くしてきたものと思われ、ここではかなり枝葉末節(に見える)のことがらについての討論になってしまった。

 山陰説の論拠は、田中氏の資料冊子によると、以下のようなものである。
*古事記・日本書紀の神代の記録は、場所が特定できる限りにおいて、因幡・伯耆・出雲の3つの旧国の記録が85%を占めている。神話の中にも、史実が含まれている可能性がある。
*弥生時代の膨大な遺跡群が山陰地方に集中している。
*多量の青銅器および鉄器が発掘されている。
 したがって、山陰地方には、弥生時代にすでに古墳時代が存在した、と考えている。

 田中氏等の研究グループは、さらに、「約6000年~7000年前、最終氷期後の間氷期に温暖化が起こり、海水面が上昇した”縄文海進”が、記・紀や風土記に記録されているのではないか」という視点で、伝承記録の収集、現地の地形調査、およびコンピュータシミュレーションを行った。シミュレーションと言っても、海水面が2m、5m、10m、20m、30m上昇した場合の海岸線の移動や半島が島に変化する様子を図示したに過ぎない。

 それにしても縄文海進の海面上昇が10-30mは大きすぎる。仮に、グリーンランド氷床が全て消滅したとしても、海水面への寄与は6m程度である。日本第四紀学会によると、約7000年前の縄文海進時の海面は現在より2-3m高かった(だいよんき Q&A)。

 以上、「邪馬台国山陰説」を主張する方々の情熱は認めるが、中国の史書や墳墓、埋葬品等々の証拠の数と質からみると、山陰説は九州説と大和説に割ってはいる第3の候補とか、ダークホースとは言える状況には残念ながら感じられない。

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[写真]岡山県北部の蒜山(ひるぜん)高原。神話に記されている、世界がはじめて造られたときの天上世界”高天原”は、「大山から蒜山に至る地域と推察される」と田中氏は述べている。しかし、特にそれを示唆する証拠はない。蒜山高原(標高500-600m)から大山山麓の地域は標高が高く、神話の記述に似つかわしい、という程度である。蒜山三山の向こう(北)側は鳥取県倉吉市関金町。

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備中 鐘乳穴 

                成瀬廉二、2011/06/06、 No.2174

 備中真庭市北房町にある岡山県指定天然記念物「備中 鐘乳穴」は、鍾乳(しょうにゅう)ではなく鐘乳と書き、洞ならず穴であり、「かなちあな」と読む。しかし、単なる横穴、縦穴ではなく、奥行き800 mまでは確認されており、入り口から300 mまで一般観光者も見物できる。総延長距離から言うと、日本国内の鍾乳洞ランキング90位までに入らないが、石灰岩が水の侵食(溶食)により形成された大きな洞窟であり、れっきとした鍾乳洞である。

 平安時代、朝廷のためのカルシューム薬源として採取されたことが古文献(901年)に記述されており、そのことから日本最古の歴史を持つ鍾乳洞とみなされている(北房鐘乳洞観光K.K.)。

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 私が今まで日本各地で訪れた鍾乳洞に比べ、ここの洞の特徴は、内部の空間が非常に広いこと、および天井からぶら下がる逆さの石筍(いわゆる、つらら)が太くて長いことである(写真:5月31日)。

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カーリングの石はなぜ曲がるのか?

                 成瀬廉二、2011/06/19、No.2178

 カーリング(curling)という氷上スポーツを実際に観戦したことはなく、テレビで何回か見ただけの私であるが、1、2投目のストーン(写真)の布石の奥深さ、箒やモップで氷面を掃く(磨く)滑稽さ、そして真っ直ぐのラインでは予想できない敵の石の裏側にカールして隠れる見事な技に惹きつけられる。この「カーリングのストーンがなぜ曲がるのか」について最近、雪氷学会の研究発表会と学会誌上にて論争があったので、その概要を紹介したい。

 まずその前に。カーリングのストーン(花崗岩、約20 kg)は放球時に僅かに回転が与えられるが、滑走速度も回転速度も非常に小さいので、野球やサッカーボールのような空気の粘性抵抗(マグナス効果)によるカーブは考えられない。また、レーン上を滑りながら回転により曲がるボーリングとも違う。さらに、カーリングの滑走路は、道路のように中央線付近が高いということはなく、完全に水平、平坦である。したがって、放球後のストーンの運動を支配する力は、石と氷との摩擦力のみである。

 ストーンの下面は中央部分が凹状の形をしており、氷とはリング状の底部が接触する。また、滑走路は滑らかに仕上げられた氷面に細かな水滴を吹き付け、ペブルと呼ばれる数多くの氷のつぶつぶが作られるそうである。したがって、この花崗岩のリングが氷のペブルに荷重を与え、そこで何かが起こるのである。

 2009年の雪氷学会にて、前野紀一(北大名誉教授)が『カーリング・ストーンがカールするメカニズム』と題して発表し、さらにそれをベースに、雪氷学会誌(2010年)に『カーリングと氷物性』の解説を行った。その論点は、「ストーンの運動は初速度と氷との摩擦で完全に決まる単純な力学となるはずであるが、.......実際はなかなかの難問で、氷の複雑な物性がいろいろな形で関係する」とし、新たに『蒸発磨耗モデル』を提唱した。それは、a)ストーンは反時計回りの回転のとき左へ曲がる、b)曲がる度合いはストーンの回転数の多少にはよらない、という2つの経験的事実を満たすものである。そのモデルはかなり複雑で容易には理解しがたいが、要点は、ストーンとペブルの摩擦、水膜生成、蒸発、温度低下のプロセスにより、ストーンの後部の方が前部より摩擦が大きくなり、結果として進行方向に垂直な正味の摩擦力が発生する、というものである。

 次いで対馬勝年(富山大客員教授)が、カーリング競技のテレビ中継画面から、ストーンの位置と時間を計測し、ストーンと氷の摩擦係数を算出し、2010年の雪氷学会にて発表した。それによると、このような低速度領域では、速度の低下とともに摩擦係数が増大するという従来の実験結果と整合するものであった。その結果をもとに対馬は「自転するストーンの左右では氷との相対速度が異なるので、左右で摩擦力に差が生じ、ストーンは摩擦の大きい方へカールする、という従来の諸学説の一つを支持する」と述べた。

 この講演を私は「なるほど」と思いつつ聞いていた。すると質疑応答の時間に前野氏が「摩擦力に左右の差はあるが、この力はストーンの進行方向にしか働かないので、カールさせることはできない」旨のコメントを発言した。たしかに、直線運動している物体が曲がるためには横向きの力が与えられなければならない。走っている人がコーナーで左に曲がるときは、地面を右の方に蹴り、地面から左向きの力を得る必要がある。

 さらに対馬は『カーリング・ストーンの曲がりの説明について』という、小論文を雪氷学会誌(2011年)に発表した。その中で、従来の諸外国の研究をていねいにレビューしつつ、「左右摩擦差」説を最も評価する立場を示した。しかしながら、論の流れの中で「注意深い観察者は自動車のスリップ、ボート、リヤカー、橇などを通して左右に摩擦の違いがあれば摩擦の大きい方が急減速し、あたかも摩擦の大きい側を軸に回転するように曲がることを学んでいるであろう」の一文は、もしこれがストーンの曲がりを分かり易く説明するためだったとしたら、適切な喩えとは言えない。なぜなら、上に例をあげた乗り物はすべて横方向には動き(滑り)難い構造をしており、円盤状のストーンとは異なるからである。

 インターネットではいろいろなウェブサイトやブログにて、「カーリングの曲がり」についての説明や解説が見られる。しかしながら多くの場合、誰が執筆しているのか、誰の説を引用しているのか不明のことが多く、どこまで信頼できるのか判断しがたい。そのため前野氏に、学会誌への論説発表と同時に、一般向きの平易な解説をネットに掲載することを勧めたのだが、実現していない。たぶん、平易に簡潔に述べることはできない、ということであろう。前野モデルも、まだ実験等により実証されていないので仮説の域を出ていない。たかが石が氷の上を滑るだけのことだが、それが曲がるメカニズムが解明されるには多くの緻密な難しい実験が必要であろう。

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[写真:元鹿児島県・熊本県カーリング同好会より]


Re: カーリングの石はなぜ曲がるのか?

              成瀬廉二、2011/06/23、 No.2180

 左右の摩擦力の違いは、ストーンをスピン(回転)させるが、重心の運動方向は変らず、つまりストーンは曲がることができないと主張し、「前後摩擦差」説を支持し、「蒸発磨耗モデル」を提唱している前野紀一氏からコメントをいただいた。 その中で、「(株)前川製作所技術研究所のウェブに『カーリング・ストーンはなぜ曲がる?』というサイエンスコラムを載せている」とお知らせいただいた。  http://rdc.mayekawa.co.jp/column/no3.html たしかに同コラムでは、氏の考えが平易に、簡潔に述べられている。

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