北・東カナダの旅 (1-9)

 
画像
  (Photo: Miles Canyon, the Yukon River)
(1) 序        投稿日:2017/07/13、No.370
 カナダには、15年~40年前、氷河関係のシンポジウムや会合、あるいは氷河の予備調査のために3回行ったことがある。

画像

 それらは全て、バンクーバー・カルガリー・トロント・オタワというカナダ南部の中枢部であった(写真:ロッキー山脈アサバスカ氷河、2001年6月3日)。

 今回の旅行(7月4日~12日)は、○○へ行って##をする(見る、調べる)という明確な目的はなく、広大な国カナダの中で行ったことのない地域を訪れ、多様な自然や風土を体験し、観賞しようというものである。

 そのため北極圏に近いカナダ北部と、フランスの色が濃い東部の古都を巡る計画を練ってきた。したがって、表記の旅行タイトルは「北東カナダの旅」ではなく、「カナダ北部と東部の旅」の意味である。

 2017年7月4日夕、エア・カナダにて関西空港を発った。

(2) 氷河と残雪の山々 
                 投稿日:2017/07/16、No.371

 カナダ南部西海岸のバンクーバーへ向かっていた搭乗機の窓から、幸運なことに着陸の約1時間前から雲が少なくなり、残雪に被われた山々が見えるようになってきた。

 そして、期待していなかったのだが、いくつかの大きな氷河がはっきりと見えてきた(写真:4日、現地時間10:30)。

 機内では飛行ルートの詳しい地図表示がなかったので、正確な航路は不明だが、日本からカムチャツカ半島沖へ北上し、ベーリング海からアラスカ南海岸に沿って南下したと思われる。

 そうすると、この氷河と残雪の山々は、アラスカ州が北緯60度から55度付近まで南東に細長く伸びているアラスカ南東地域と考えられる。しかし残念ながら、山や氷河を特定することはできなかった。

画像

 写真の中央で2本の谷が合流し、右下に流下する谷を埋めた氷雪が氷河である。氷河上には、氷が露出している部分と岩屑に被われた部分が、流動方向に平行な縦縞を示している。

 さらに写真を良く見ると、下側の氷河の下流域には、凸状の縞模様(オーギブ)が認められる。これは氷河流動の季節変化を反映したパターンである。

 このように、氷雪域の場所、形態、色などから、氷河を判定できる。それ以外の氷雪域は残雪である。まだ7月上旬、真夏の前なので、残雪が非常に多い。

 その残雪には、単に季節的積雪か、その下に氷河が隠された積雪か、との2種類がある。この区別は、形態から推測できることもあるが、確かではない。

 バンクーバーに到着後、乗り継ぎのローカル便まで4時間ほど市内を観光し、4日夜、カナダ北西部の小都市ホワイトホースに着いた。4日は、31時間という長い1日だった。

(3) ユーコン準州 
                         投稿日:2017/07/19、No.372

 カナダの国土はロシアについで世界第二位、人口3,515万人(2016年:日本外務省)で、「国民一人あたりの面積が世界一広い国」を誇る。全人口の75%は比較的温暖な南部地域に居住している。

 10の州と3つの準州で構成されているカナダ連邦の最西端、ユーコン準州の州都ホワイトホース(人口27,700人:2012年)は、かつてはユーコン川の船運、現在はカナダ~アラスカのハイウェイの中継地として重要な位置を占めている。

 カナダの先住民族は、全人口の約4%で、大きく分けるとファースト・ネーションズ(以前はインディアンと呼ばれていた)とイヌイット(以前は、エスキモー)である。

 北米大陸の北部や北極圏では、相対的に先住民族が多い。ホワイトホースで街行く地元民や店で働く人を見ると、先住民族またはヨーロッパ系との混血と思われる人の割合がかなり高いと感ずる。

 “Canada 150”という標識や看板をあちこちで見かけた。初めはあまり気に留めなかったのだが、後に、これは「カナダ建国150周年」ということが分かった。

 イギリス植民地だったカナダに自治が認められたのが1867年で、毎年7月1日を建国記念日カナダ・デーとしている。今年7月1日前後には、各地でさまざまな150周年イベントが催された。

 ユーコン準州ではその一環として、舟つくりの伝統工芸家4名をホワイトホースに招待し、何日もかけて公開で4艘の舟を製作した。

 それらの4つは、丸太を削り彫ったカヌー、木の骨組みにカバノキの樹皮を張ったカヌー、ムース(ヘラジカ)の皮のボート、アザラシの皮のカヤックである(Yukon News)。

画像

 写真は、文化センターで公開していたムース製ボートと、イヌイットと思われる製作者である(7月5日)。

(4) 峡谷ハイキング 
                  投稿日:2017/07/22、No.373

 ユーコン準州には、夏期はカヌー、カヤック、モーターボート、釣り、ハイキング、および国立公園探訪などを目的として観光客が集まる。

 個人旅行者を対象とした、ホワイトホース発着の日帰りツアーがいろいろ企画されており、現地のツアー会社や日本の代理店を通してインターネットで予約ができる。

 しかしながら、それらのツアーの大半は「グループ最少人数4」や「4名未満の場合は催行されないことあり」との注意書きがついている。人によっては、現地についてからホテルや観光案内所にて翌日のツアーを申し込むこともあるだろう。

 したがって、かなり事前に予約したとしても、それは仮予約に過ぎず、ツアーが催行されるか否かは前日夜または当日朝にならないと決まらないのかもしれない。それはあまりにも気分的に落ち着かないので、ツアー参加は考えないことにした。

 7月5日朝、観光案内所にて情報と地図を入手して、そこからユーコン(Yukon)川を上流に向かうハイキングに出発した。市街の南端から、自動車用の橋を渡り、右岸側のトレールを進む。

 やがて、水力発電用のダムがあり、その側岸にサケ遡上のための魚道があり、見学できるが先を急ぐので通過。ダムの上流側はシュワトゥカ湖で、遊覧用や個人用の水上飛行機が多数係留されている。また、カヌーなどの舟着場もある。これらの施設やスポットには、自動車道路がつながっている。

 湖岸のトレールは、冬期には歩くスキーのコースにもなり、小さな丘を越えたり、高捲きをすると、やがて湖の幅が狭くなり、峡谷となる。ここが目的地のマイルズキャニオン(Miles Canyon)である(写真)。

画像

 吊り橋をハイキングの折り返し点とした。復路は左岸側の森林内のトレールを辿る。

 往復距離18 km、小休止込みで5時間30分だった。暑くも寒くもない好天のもと、久しぶりに長距離ハイキングを満喫した。

(5) イエローナイフ 
                          投稿日:2017/07/25、No.374

 次に向かった地は、ユーコン準州の東隣、ノースウエスト準州の州都イエローナイフである。

 カナダは航空網が良く発達しているが、主要航空会社のフライトはいずれも、ホワイトホースから一度南下してバンクーバーに戻り、そこから乗り換えてイエローナイフへ北上する、という三角形の2辺を辿らなければならない。

 しかし、ありがたいことにローカル航空のエアーノースが直行便を運航していた。6日午後、ホワイトホースを発った。

 ホワイトホースは北緯61度、イエローナイフは62度で、いずれも北極圏(北緯66度33分以北)には達していない。しかし、飛行機から見る景色は、永久凍土が融けて生じたと思われる窪地に水が貯まった、多数の湖沼が点在する広漠たる原野が続く。

画像

 飛行1時間半でイエローナイフの上空に差し掛かった(写真)。同市は、人口19,000人(2016年)、19~20世紀には金とダイヤモンドの採掘で栄え、大自然の中にポツンと発展した近代的小都市である。

 イエローナイフの名前の由来は、18世紀にヨーロッパの探検家が来た頃、この地の先住民が黄銅製の刃物を使っていたため、イエローナイフ族と呼ばれるようになり、その名が後に市の名称になったというものである(Aurora Village・他より)。

 秋から春にかけては、ここはオーロラ観賞の地として、多くの旅行客が集まる。オーロラがよく出現する地域「オーロラ帯」にカナダ北部が含まれる。

 さらに、多彩かつ鮮やかオーロラが見られるためには、地球磁場の状態、暗い夜、雲がないことの3条件が満たされなくてはならない。

 なお、オーロラ目的の観光客は、日本人が圧倒的に多いそうである。現地のツアー会社は、ホテルから観測サイトへの送迎、待機小屋提供、防寒装備貸し出しのほか、昼間のオプションとしてスノーモービル、犬ぞり体験など、様々なサービスを提供している。

(6) 二言語公用の国 
              投稿日:2017/07/28、No.375

 ローカル便の都合で、イエローナイフ(YK)へは夕方遅く着き、翌早朝出発という1泊だけの滞在とならざるを得なかった。したがって、YKの街の雰囲気をほんの少し嗅いだ程度に過ぎない。

 なお、この時期のYKは白夜に近く、採用しているサマータイムのもとでは、7月6日の日没は23:27、日出は03:56であり(NRC Canada)、深夜でも暗くはなかった。

 7日、YKから1時間45分でエドモントン着。そこから3時間15分でトロント着、さらに1時間30分でケベックへ到着した。乗り継ぎ時間と時差を含めると、早朝から夕方までの丸一日の空の旅だった。

 カナダは、国民の約60%が英語を、20%がフランス(仏)語を母語としている(在カ日本大使館)。この国では英語と仏語を公用語とし、両語併記を原則としている。確かに、今まで訪れた都市における公共的な案内標識やアナウンスでは、例外なく、英語が上(先)、仏語が下(後)となっていた。

画像

 ところが、ケベック州は、圧倒的に仏系の人が多く、ケベック市街の店の看板や交通標識も仏語のみが目立つ(写真)。まさに、ここは仏国の様ではあるが、人々は小学校のときから公用語の二言語を等しく学び、英語も仏語も不自由なく読み、喋るのだろうと思っていた。

 しかし、ケベック市街で若者に英語で道を尋ねたら、あまり通じなかったのである。二言語公用とは、両方使いこなすのではなく、どちらか一つ、ということらしいと知った。これに関して、興味深い論説を見つけたので、主旨を損なわないように抜粋して以下に示す。

 「カナダというと、英語と仏語を使える人がたくさんいるイメージを持つかもしれない。しかし、両言語で会話ができる人の割合は、国全体で18%である。その内訳は、母語が仏語で英語もできる割合が44%、英語を母語として仏語もできる割合が8%と、圧倒的に前者の方が高い。

 カナダでは、”バイリンガル”は言語的にも社会的にも”少数派”である。表向きには二語どちらも公用語とされているとはいえ、カナダ全体では英語の力が圧倒的に強く、一方ケベックでは仏語のみが公用語として優勢となるため、逆に英語話者が”少数派”になっている。」(上智大学言語教育セ)

(7) ケベック旧市街 
             投稿日:2017/07/31、No.376

 ケベックシティは、カナダ東部ケベック州の州都であり、北米唯一の城塞都市として知られている。ケベックシティは、新市街と旧市街に大きく分けられる。新市街は言うまでもなく、現在の政治、経済の中心地である。

 旧市街は、17世紀初めにフランス人の入植者によって築かれ、フランスの植民地として栄えた。そのためフランス様式の建物が多く残っている。

 その旧市街はさらに、城壁に囲まれた高さ約100 mの丘の上にあるアッパータウンと、セントローレンス川沿いに広がるロウワータウンに分けられる。アッパーは軍事と政治の、ロウワーは商業(毛皮など)の中心地であった。

 これらのフランス風建物群を含む旧市街が丸ごと、「ケベック旧市街の歴史地区」として世界文化遺産に登録されている(1985年)。

 アッパータウンには、歴史的な広場、聖堂、博物館のほか、写真に示す繁華街の歩行者道路には、旧来の建物を保存、改装して、衣服、アクセサリー、工芸品、雑貨、土産物などの店に模様替えされたり、レストラン、カフェ、ファーストフードなどに利用されており、多くの旅行客が訪れている(写真)。

画像

 ロウワータウンは、車が入らない小路にもびっしり店が並んでいるので、一層賑やかに見える。アッパーもロウワーも、ヨーロッパやアジアの古都のような長い歴史があるわけではないが、町並みの保存が素晴らしく、そのため活気に満ちている。

 アッパータウンをゆっくり歩いて見て廻って2時間弱、ロウワータウンもそんな程度だろうか。特に歴史的に著名な建造物や施設を見学したわけではないが(8日)、不思議に飽きることはない、趣のある街だった。

(7) モンモランシー滝 
                   投稿日:2017/08/03、No.377

 9日午前は、何も予定を決めない日としていた。ケベック旧市街は前日にかなり散策したし、新市街は特に見たいという所はない。

 ケベック市郊外で、3時間程度で往復できる行楽地を案内パンフレットで探したところ、モンモランシー滝(Chute-Montmorency)を見つけた。そこへは路線バスもあるが、市内のどこのバス停から乗れるのか、また発車時刻も分からないので、往路はタクシーとした。

 市街からセントローレンス川沿いのハイウェイを北東へ12 kmほど走り、その後、丘を上り、住宅街を通り越すと、一帯がモンモランシー滝公園であった。そこから遊歩道を10分ほど歩くと、滝の上部、水の落ち口に着いた。

 そこには吊り橋が架かっている(写真の滝の上)。滝の落差は83 mあり、ナイアガラの滝より 30 mほど高い。しかし、幅と水量は比較にならないほど小さい(少ない)。日本最大クラスの直爆である那智の滝(和歌山県)133 mに比べると、落差は小さいが、幅ははるかに大きい。

画像

 吊り橋を左岸(写真の右)側に渡り、遊歩道を10分ほど進み、滝を斜め正面から展望するスポットに着いた(写真撮影点)。ここから、階段を487段で滝壺付近に到達できる。100段ほど下りてみたが、帰り(上り)のことを考えて、滝壺まで行くことは止めた。

 日曜日なので、人出は多かった。外国人旅行者と思われる人はほとんどいなく、家族連れの行楽、若いカップル、高齢者の散歩、および中年女性ジョガー達が多く見られた。

 同日夕、ケベックを発ってトロントに着いた。

(8) ナイアガラの滝へ 
                    投稿日:2017/08/06、No.379

 25年ほど前、トロント郊外にあるウィルフリッド・ローリエ大学に氷河研究の討議のために訪問したことがある。その折、同大学の氷河教授の講義の時間になり、「紹介したいから、何か話をしてくれないか」と教室に連れられ、学生達の前で多分30分くらい、パタゴニアの氷河についてミニ講演のようなことをした記憶が鮮明にある。

 さて、世界三大瀑布の一つとされているナイアガラの滝(Niagara Falls)への最寄りの都市は、カナダではトロントである。トロントから簡単に行けることは知っていたが、何かのついでにちょっと見に行く、というわけにはいかず、ほぼ一日の余裕が必要である。

 7月10日、丸一日をナイアガラ・フォールズの見物にあてることにした。

 ナイアガラの滝は、アメリカとカナダの国境をまたいで連なる5つの湖「五大湖」(Great Lakes)の西から4番目のエリー湖と5番目のオンタリオ湖を結ぶナイアガラ川の中間付近に位置し、エリー湖側から北に落ち込む崖に形成されている。

 五大湖の水系はつながっており、最西のスペリオル湖が最も標高が高く、エリー湖の標高は173 m、オンタリオ湖は74 m(Lakelubbersによる)で、その後はセントローレンス川となって大西洋に注いでいる。

 トロント市街から直行バスにて、オンタリオ湖西岸に沿って120 km南下、約1時間50分で、ナイアガラ・フォールズ町に着く。そこからローカルバスに乗り換えるか、数十分歩くと、ナイアガラの滝の全景が見えた(写真)。

画像

 写真の左右2つの滝の間の露岩はナイアガラ川の中にある島で、その島から左(東)側は米ニューヨーク州バッファロー市、島の西端から右(西)側がカナダである。

 そのため、ナイアガラの左の滝がアメリカ滝、右がカナダ”馬蹄形”滝(Canadian “Horseshoe”Falls)とも呼ばれている。

(9) カナダ滝とアメリカ滝 
                    投稿日:2017/08/09、No.380

 ナイアガラの滝は、最大落差は57 mでそれほど高くはないが、全体の幅は1km以上あり、やはり迫力は第1級である。

 カナダ滝は、幅792 m、高さ51 m、アメリカ滝は、幅323 m、高さ54 m(ただし、滝の下部に岩が露出しているので、直漠の高さは21 m)である(niagarafallsliveによる)。

 ナイアガラ滝見物の定番である、クルージングに参加した。船着き場に下るエレベータは長蛇の列だが、遊覧船は15分毎に出発しているので流れは良い。前報の写真にも、乗客で一杯の船2艘が見える。

画像

 乗船時に赤いポンチョ(雨具)が支給される。オープンデッキに乗った客は、全員身に着ける。船はカナダ滝の滝つぼに近づく(写真)。激しい大粒のスコールが5分くらい続く感じである。

 アメリカ滝にも多くの観光客が来ていることが見える。滝の両側岸の遊歩道を歩き、水しぶきを浴びる地点まで接近できることが特色のようである。

 アメリカ滝の麓からも、遊覧船が発着し、カナダ滝の前面まで航行する。ポンチョの色はアメリカは青だった。

 この他、滝を俯瞰する地上160 mのタワーや、カナダ滝の裏側を窓から覗くトンネルなどがあったが、入館までにかなりの待ち時間があり、そこの見物はやめた。

 ナイアガラ・フォールズ町には、どこの観光地でもふつうにあるホテル、レストラン、ショップ以外に、カジノ、娯楽施設、遊園地、高級リゾートホテル等が並んでいる。

 NIAGARA FALLS CANADAによると, ナイアガラの滝には年間1,200万人のビジターがある。まさに、ナイアガラ・フォールズはカナダで最も発展を極めた観光地と言えよう。

   * * *

 7月11日14時トロント空港発、直行便にて約13時間、12日15時羽田空港着、同18時鳥取へ帰着した。

   ~~~~~~~~~~~~~

民族博物館-カナダ先住民- 
                  投稿日:2017/09/25、No.392

 吹田の万博記念公園内にある国立民族学博物館で、9月10日、特別展「シーボルトの日本博物館」と企画展「カナダ先住民の文化の力」(写真)を見学した。

画像

 特に、去る7月北部カナダを旅行した際、先住民と思われる人々や、その工芸品などを見かける機会が多くあったので、先住民のことをもっと知りたいと、企画展には惹かれるものがあった。

 カナダ憲法(1982年発布)では、カナダの先住民を、インディアン、イヌイット、およびメティス(Metis)であると明記している。インディアンは約615の民族から構成され、極北を除くカナダ全土に暮らしている。イヌイットは極北地域の狩猟漁労民、メティスはヨーロッパから来た毛皮交易者と先住民女性との子の子孫である(企画展解説から)。

 インディアンという呼称は、必ずしも蔑称ではない。かつてヨーロッパの探検家らがインド人と誤解したことに由来し、適切な名ではないので、現在は敬意をこめてファースト・ネーションズ/ピープルと呼んでいる。

 カナダ政府の資料によると、同国で現在、インディアンとして登録されている人は約54万人、全国民のほぼ1.8%である。登録すると、一定の権利や特典、社会保障などを受けることのできるので、この54万人は最少数として信頼度が高い。

 米大陸のインディアンは、今から3万~1万年前、最終氷期の最盛期~終了後、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡ってやってきた。それらの人びとは、北米~中米~南米~南端パタゴニア地域に拡散した。どのようなル-トをとり、どの位の年月をかけて移動したのかには、多くの謎がある。

 その内、カナダにとどまった約615部族のインディアンには50~60種の言語があることを知り、驚いた。各部族が、それぞれ独立した社会をつくっていたとしても、交易や争いを含む様々な交流の過程で、言語は必然的にいくつかに収束するのではないかと思っていた。

 文化や言語に限らず、米大陸の先住民の開拓史には興味深いことが多い。

     ~~~~

      
$

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0