南ドイツとチェコの旅 (1-9)

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  (Photo: Neuschwanstein Castle)
(1) ミュンヘン へ  投稿日:2017/10/19、No.396
 2017年10月11日朝、鳥取を発って羽田で乗り継ぎ、同夕ミュンヘンへ着いた。南ドイツ・バイエルン地方の10月は初秋かと思っていたが、朝夕の寒暖が著しく、街行く人々にはTシャツ姿から冬のコートまで混在していた(写真)。

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 今回の旅にはコンセプトは特にないが、強いて言えば近世ヨーロッパの史跡を訪ねること、となる。

 ちょうど30年前の9月、ドイツ北部のブレーマーハーフェンにて開催された南極雪氷の国際シンポジウムの後、アルプスの氷河視察と研究打ち合わせのためオーストリーとスイスへ向けて列車で縦断したが、その際ミュンヘンに途中下車して一泊したことがある。そのときは、かつて「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」というサッポロビールのコマーシャルに惹かれ、まずはミュンヘン1といわれるビアホールに行った、というおぼろげな記憶がある。

 12日、ミュンヘン市街の観光定番の教会、宮殿、博物館などを丸1日かけて歩いて廻った。写真は、ミュンヘン中心のマリエン広場とネオゴシック様式(19世紀末~20世紀初建立)の市庁舎である。

(2) 大都会にサーフィンスポット 
                 投稿日:2017/10/23、No.397

 ミュンヘン市街に英国ガーデンという名の広大な公園がある。そこへ散歩に行く途中、サーフボードを持った若い男女を見かけた。ここは海から非常に遠いので、サーフィンへの往き・帰りとは考えられない。

 ふと観光マップを見たら、その公園の入口付近にアイスバッハ川サーフィング(river surfing)の文字があった。

 サーフィンとは波乗りのことで、公園内にきれいな小川が流れているが、波が起こるほど急流ではない。では、何のことか。さっそくそのスポットを見に行った。

 公園の周縁道路の橋の付近に数十人の人だかりがあった。その見物客の後から覗くと、十数人の若・中年男女が順番に一人ずつサーフィンをしていた(写真)。

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 確かに、見かけはサーフィンそのものである。しかしすぐに、浜辺で見るサーフィンとは原理や形態が大きく違うことに気がついた。

 海のサーフィンは、波の山から前面の谷に向けて滑り降りるとき、谷が山に変り、うまくタイミングを合わせると、波の進行とともに沖から海岸に向かって滑走し続けることができる。

 一方、ここでは、「波」の上流(左)側の面でサーフィンをしている。

 この小川は公園内を流れる人工川で、橋の下(写真左隅)から高い水圧で水が放出されているようである。そして、流れが盛り上がっている地点(中央右)の水底には何らかの目的で柵の様な物があるに違いない。勢いよく流れてきた水が柵を乗り越えるところで、一見波のような凸部が形成されるのだろう。

 サーファーは、その凸部から上流側に滑り、水の流れに押されて凸部に上り、それをうまくコントロールすると滑走し続けることができる。しかし、大変難しいようで、初級者と思える人は5秒以内、上級者でも10秒程度で転倒し、水に流されて行く。

 市の広報サイトによると、ルールを守る限り、ここでサーフィンをすることは認められている。ミュンヘン市内観光の一端で、思いかけず珍しく面白いスポーツを観戦できた。

(3) ホーエンシュヴァンガウ村 
                   投稿日:2017/10/27、No.398

 13日午前、ミュンヘンから急行列車で約2時間、オーストリー西部との国境に近いフュッセンに着いた。静かな田舎町のはずだが、大勢の旅行客で賑わっている。

 そこからバスで10分の所が、ホーエンシュヴァンガウ村である(写真:遠景はホーエンシュヴァンガウ城)。ここが城観光の拠点である。案内にしたがって、城のチケットセンターに行く。長蛇の列。

 なぜ城の入口ではなく、ここでチケットを買わないといけないのか理解できなかったが、数十分待った後チケットを入手して事情が分かった。人気の高いノイシュヴァンシュタイン城の見学者は30-40人ずつのグループに分けられ、各グループの入城時間が5分刻みで定められていたのである。

 ノイシュヴァンシュタイン城は、岩峰の中腹、標高1000 m付近に聳えている。ホーエンシュヴァンガウ村から城の近くまで、馬車(写真)またはシャトルバスが運行している。

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 ガイドブックには「健脚なら上り約40分」とあるので、健脚ではないが標準並みだし、欧米人は高齢者も含み大勢が歩いているので、徒歩で向かうことにした。

 紅葉盛りの林間の馬車道を、標高差200 mほど歩いて35分で城の直下に着いた。気持ちよい軽ハイキングだった。

(4) ノイシュヴァンシュタイン城 
                     投稿日:2017/10/30、No.399

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 写真は、ホーエンシュヴァンガウ村から見上げたノイシュヴァンシュタイン城である。尖塔をもつ、白亜の城はあちこちからよく見え、景観に調和しているように感ずる。

 ノイシュヴァンシュタイン城の直下の広場で指定時刻まで1時間半あまり待った後、486番というグループが一斉に入城した。手渡された音声ガイド機の説明にしたがって城内の各部屋を廻ると、35分で見学は終了した。

 この城は、バイエルンの王ルートヴィヒ2世によって1884年に建立された。高所にあるが、軍事的に意味のある山城というわけではない。若いルートヴィヒ2世の美的なこだわりで粋を尽くした建築物だと言われている。同王は1886年に不慮の死を遂げたので、実際にこの城で執務した期間はほんの僅かであった。

 ノイシュヴァンシュタイン城は、「世界の美しい城トップ10」(MostToday.com)にて第2位に、「ヨーロッパのベスト城」(travelchannel.com)には第1番目に記載されている。

 夏期は1日平均6000人、年間では140万人がこの「おとぎ話のような城」に来訪している(同城の関連サイト)。日本で入城者数1番の大阪城は年間256万人(2016年度、攻城団ブログ)なので、田舎の交通不便な山の中にあることを考慮すると、ノイシュヴァンシュタイン城の人気の格別な高さに驚く。

(5) アルプ湖 
                投稿日:2017/11/03、No.400

 ノイシュヴァンシュタイン城からの下りは楽に20分でホーエンシュヴァンガウ村へ戻った。

 村の中心から程近い丘の上に、12世紀建設、1837年頃再建で、ルートヴィヒ2世が幼少期を過ごした歴史的に由緒あるホーエンシュヴァンガウ城がある(写真:湖の対岸)。この城とノイシュバンシュタイン城とセットで観光することも多いようだが、同じ日に2つも城を見ることはやめて、アルプ湖へ向かった。

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 アルプ湖(Alpsee:写真)は標高814 mにあり、湖の周囲4.7 km、面積88 haの小さな湖である。湖の南500 m付近にはオーストリアとの国境が走る。その国境上、湖の南東25 km付近にドイツの最高峰で氷河を頂くバイエルンアルプスのツークスピッツェ山(2962 m)が聳えているはずだが、ここからは見えない。

 ガイドブックや観光マップによるとアルプ湖一周の遊歩道が整備されており、全長6 km、所用1.5~2時間となっていた。

 湖周回ハイキングをしたかったが、城見物のための想定外の待ち時間を要したため、アルプ湖畔に着いたのがすでに17時頃になってしまった。天気はすごく良かったので、日没と夕暮れの明るさを見計らって、安全に帰れるところまで行き、引き返すことにした。写真は1 kmほど歩いたときのアルプ湖であり(13日、17:30)、ちょうど日没直前である。

 結局、2 kmで折り返すことになり、往復4 kmのウォーキングだった。その日はホーエンシュヴァンガウ村泊。翌日朝、同じく列車でミュンヘンに向かった。

(6) チェコ 
               投稿日:2017/11/07、No.401

 14日午後、ミュンヘンからチェコの首都プラハに飛んだ。飛行時間わずか40分、さらにドイツからの乗客は入国審査もないので国内旅行のような感じである。

 チェコ共和国は、北はポーランド、西はドイツ、南はオーストリア、東は1993年に平和裡に分離・独立したスロヴァキアの4か国に囲まれた内陸の国である。緯度は樺太の中央付近、面積は78,900平方kmで北海道(78,400平方km)とほぼ同じ、人口1060万人は北海道の約2倍である。

 国土の大半は標高500 m以下の低地にあり、その3分の1以上が森林で、最高峰はポーランドとの国境にある標高1603 m(スニェシュカ山)である。主要産業は、(自動車等の)機械工業、化学工業、観光業などで、国の経済は現在かなり良い(外務省資料による)。

 ホップの生産量は世界第5位(2013年)で、日本も多く輸入している。チェコのビールは美味しくて安いこともあって、国民一人あたりのビール年間消費量149 Lは世界第1位である。ちなみに、第2位はオーストリア、3位はドイツ、日本は38位(44 L)である(Huffingtonpost)。

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 写真は、プラハ(Praha、英語ではPrague プラーグ)の旧市街中心の広場。観光客も地元民も昼間からビールを飲む人を多く見かけた。

 この日(15日)のプラハの最高気温は22℃で(AccuWeather)、この季節としては過去に例がない高温だったそうである。北海道の秋程度の冷涼を予想していたが、やや拍子抜けとなった。

(7) 石畳の通り(プラハ) 
                     投稿日:2017/11/10、No.402

 プラハの街は、数100年前からのさまざま時代の建築物が、改修や改装されても基本的には当時のデザインを残し、小路に沿って隣接しながら全体が調和した雰囲気をかもしている。

 それらの建物は、ロマネスク様式(10~13世紀)、ゴシック様式(12~15世紀)、ルネッサンス様式(15~16世紀)、バロック様式(17~18世紀)との説明を見ても、それらの違いは理解できないが、ただ漠然と眺めるだけでも飽きることはない。

 15日は丸1日、乗り物は一つも利用せず、プラハの古都を歩いて廻った。その総距離は、市街地図でなぞってみたら8~10 km程度だった。平地だし、大した距離ではないのに、翌朝、脚に弱い筋肉痛を感じた。何故か。

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 すぐに、それは石畳のせいである、と確信した。プラハの旧市街はほとんど全て、車道も歩道も広場(前報の写真)も石畳である。写真はヴルタヴァ川東岸Legii橋前の交差点であり、交通量が多いため石畳はややデコボコしている。

 ヨーロッパの古い都市で景観を重視している大通りや小路では石畳が多いし、歴史的な建造物の周辺はアスファルトやコンクリート路面より、石畳がふさわしいことは言うまでもない。

 しかし、つまずかぬよう、足首を捻らぬようにしながら、長く歩くと、普段使わない筋肉を働かせることになる。

 写真の遠景(尖塔とその左右の建物)はヴルタヴァ川西岸の丘の上にあるプラハ城である。

(8) プラハ城 
                投稿日:2017/11/14、No.403

 プラハ城は9世紀に建築が始まり、ボヘミア王国の最盛期であった14世紀にほぼ現在の偉容ができ上った。

 城壁に囲まれた広い敷地内には、旧王宮、宮殿、大聖堂、教会などの建築物があり、それらの一部は博物館、資料館、美術館などとして観光客は閲覧できる。写真は城の内庭から見た聖ヴィート大聖堂である。

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 インターネットでいろいろ見ていたら、「プラハ城は世界で最も大きい城の一つでもある」(Worldheritage)や、「世界でも最古と言われている。その規模もまた世界最大級」(Travel.jp)の記述があった。

 さらにウィキペディアでは「ギネスブックによると、(世界で)最も古くて大きい城である」とあり、Wikipediaはギネスと同文(下記)である。

 世界中にはもっと古い城はいくらでもあるはずである。また、城の広さも世界一とは思えない。例えば、江戸城の内郭総面積は180 ha(江戸博物館資料)と、非常に広い。

 いったいなぜ世界一なのだろうかと「Guinness World Records」を調べてみたら、以下の記載を見つけた。
「世界で最も大きい昔の(ancient)城は、9世紀に建立されたチェコのプラハ城である。その城は、平均直径128 mの横長の不規則多角形をしており、総面積は7.28 haである」

 まず、「最も古い」は引用の誤りである。問題は、ギネスが”ancient”をどのように定義したかにあるが、そこは良く分からない。”ancient”には古代の意味もあるが、ここでは9世紀の城を対象にしているので、古代ではない。

 推測だが、ギネスは中世前期(5~10世紀)とそれ以前を”ancient”としたのではないか。そうすると、ヨーロッパの著名な城のほとんどは除外されるし、大阪城、江戸城などは含まれない。

 つまり、(城址ではなく)現存している10世紀以前の城で世界最大面積、ということだろう。

(9) 世界遺産の街クトナー・ホラ 
                     投稿日:2017/11/18、No.404

 チェコ3日目の16日は、プラハを離れてどこか国立公園か山間地域で自然探勝をしたいと思っていた。小さい国なので、北部か南部に列車かバスで2、3時間も行けば、都会とは異なる趣の田舎の村とか森林があるはずで、そういうところの散策も魅力的であった。

 プラハ市内の散歩の途中、いろいろ情報を得ようと観光案内所を訪ねた。そこで紹介されたプランは丸1日か午後半日ツアーで、いずれもプラハ市内または近隣町村の歴史的地区を巡るものであった。確かに、チェコに来る外国人観光客の大半は、国内に12箇所ある世界文化遺産のいずれかを訪れることを目的としているのだろう。なお、チェコに世界自然遺産はない。

 そこで方針を変え、プラハの東65 km程にある田舎町クトナー・ホラへの半日バスツアーに参加した。

 英語組に申し込んだところ、実際は英語+スペイン語組だった。ガイド(男性)は、英語に続いてスペイン語で説明する。私にとっては、スペイン語も多少は分かるので、英語で聞き取れなかったことをスペイン語で補うこともあり、早口のネイティブ英語ガイドよりはかなり理解度が高くなったと言える。

 クトナー・ホラは銀で栄えた町である。13世紀末には銀の産出量がヨーロッパ全体の約1/3を占めた。銀鉱は14-15世紀には深さ500 mに達し、当時の世界最深となった。

 銀による豊かさの故、当時のクトナー・ホラは、プラハに次いでチェコ王国第2の都市であった。教会、礼拝堂、大聖堂、修道院、宮殿などゴシック期の建築物を含む旧市街が、丸ごと世界文化遺産に登録されている。

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 これらの建物のいくつかを見学し、ガイドの説明を聞きながら2時間半ほどクトナー・ホラ市街を歩いて廻った(写真)。

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 10月17日午後、プラハ空港発、フランクフルトにて乗り継ぎ、18日午後、羽田空港着、発、夕方鳥取へ帰着した。

   

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