奈良まちウォーキング(2021.3.3-3.5)

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     猿沢池から興福寺

(1) 佐保路
        投稿日:2021/03/11.No.727

 奈良には、過去20年の間に4回来たことがある。いずれも何らかのイベントや会合が主目的で、そのついでに奈良市または近隣にて著名な史跡や社寺のいくつかを見学、観光した。

 今回は、寺や文化財を観賞するのではなく、歩くことを第一の目的とした。さらにそれが、山や渓谷や森林内のトレッキングではなく、山村、集落、畑、果樹園、墳墓、社寺、古い町並み等をたどる歩きなので、タイトルを「まちウォーキング」とした。

 まず初めは、奈良市の西部、佐保路・佐紀路である。近鉄新大宮駅を出発点とし(3月3日)、市街を20分程歩くと不退寺に着き、そこからは郊外の生活道路または散策路となる。
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 道のところどころに、写真のような「歴史の道」の標識がある。左は、コナベ(小奈辺)古墳の方向で、陵墓を囲う堀の外周は遊歩道・サイクリングロードとなっている。

(2) 平城宮跡 
投稿日:2021/03/15、No.728

 ウワナベ古墳、コナベ古墳、水上池をぐるりと回り、住宅街を通り越すと、広大な空き地に着いた。ここが平城宮跡である(写真)。
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 奈良時代(710–794年)の中心市街「平城京」は現在の奈良市から大和郡山市に広がっていたが、その北端の「平城宮」には天皇の住居と政治の中枢施設があった。

 平城宮は東西1.3km、南北1kmにおよび、面積120ha(奈良市HP)は、皇居外苑から北の丸を含む皇居の総面積約115ha(環境省HP)と同規模である。

 当時の建物はもちろん存在しないが、地下の基礎は多く発掘され、諸建築物の配置や大きさが明らかになっている。

 それらの一部は復元され、一部は建設中である。写真は、平城宮跡の中心付近から北方向を見たものであり、中央遠方に見える2階建ての建物は2010年に復元された平城宮最大の宮殿、第一次大極殿である。

 平城宮跡を通り抜け、近鉄西大寺駅をゴールとした。佐保路・佐紀路の一部6km、小休止を含んで約2時間のウォーキングだった。

(3) 山の辺の道 
投稿日:2021/03/19、No.730

 =山の辺の道は大和の古代道路のひとつ。奈良盆地の東に連なる山裾に沿って、三輪山から奈良へと通じる道だ。古くは「古事記」にも記述があり、日本最古の道といわれている。=(「奈良 大和路」、TAC出版)

 JR三輪駅をスタート地として北の天理方向へ向かうことにした(3月4日)。なお、三輪は三輪素麺の発祥地である。

 このルートは、確かに古道ではあるが、地元自治体が誘客に力を入れたため、道は舗装、石畳、土などで程よく整備され、道標も多く歩きやすい(写真)。ウィークデーだが天候が良かったので、所々でハイカーのグループと行き逢った。
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 出発してから2km位までの間に、大神神社、狭井神社、玄賓庵、桧原神社など神社が多くある。立ち止まることなく、すべて通過。

 山裾なので常に緩やかなアップダウンがあるが、急な坂道はないので、快適なコースである。

(4) 実在最古(?)天皇の墳墓 
投稿日:2021/03/24、No.731

 「山の辺の道」沿いの、スタートから4.5kmと6km付近に、2つの大きな天皇陵があった。景行天皇陵と崇神(すじん)天皇陵である。
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 後者は正式には行燈山古墳と名づけられており、全長約242mの大規模な前方後円墳である(写真)。築造時期は、埴輪の特徴等から、古墳時代前期後半(4世紀中葉)と想定されている(天理市教育委員会の解説文より)。

 また埋葬者は10代の崇神天皇とされているが、同天皇は日本書紀および古事記に詳細な記載があり、実在の可能性がある最古の天皇と考えられているそうである。

 すなわち、初代神武天皇から9代開化天皇までは、物語としての人物ということらしい。なお、景行天皇は12代である。

 また、堺市にある日本最大の前方後円墳「仁徳天皇(16代)陵」は全長約486mである。崇神天皇陵は長さでちょうど半分である。

 7km地点の萱生環濠集落を越えたところで山の辺の道から外れ、JR長柄駅に向かい、その日のウォーキングを終えた。全長8km、所要(休憩、見物時間を含み)3時間半だった。

(5) 大和郡山城下町 
投稿日:2021/03/28、No.732

 奈良市の南西に隣接する大和郡山市は、奈良時代(8世紀)の平城京に始まり、その後時代の推移にともない発展してきた。

 1580年に郡山城が築城され、その5年後に豊臣秀吉の弟秀長が入城し、城の大拡張工事を行うとともに、商工業の業種別に区域を分ける独特の「箱本十三町」を造った。

 郡山城下町には現在もそれらの町名が残っており、当時の面影が感じられる。その一つ、藍染めの職人町が紺屋町で、その中にある箱本館「紺屋」には、展示室、藍染め体験工房、セルフカフェなどがあり、誰でも入館は自由である。

 また、大正13年建築の木造3階建て旧川本邸は、昭和33年まで遊郭として繁栄していたが、廃業後は下宿屋として有効に利用されたため、解体、改築を免れ、現在は大和郡山市が管理し、一般に公開している。このような建築物の内部の隅々まで自由に見学できるところは他にはないのではないかと思う。
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 写真は、石垣、櫓などが復元された郡山城の天守台(高さ8.5m、標高81m)から北の方向を眺めたものである(3月5日)。遠方は霞んでいるためはっきりとは識別できないが、写真右枠外に三輪山、中央左に東大寺、左隅に平城宮跡が見えているはずである。

(6) 奈良公園の鹿 
投稿日:2021/03/31、No.733

 奈良市内の春日大社から東大寺、興福寺に至る奈良公園では、四季を問わず多くの鹿を見かける。

 「奈良の鹿愛護会」の調査によると、平地の公園と周辺の林野を含む奈良公園域の鹿生息数は毎年1300頭前後である。オスとメスの比はおよそ1対2だが、その原因はメスのほうが長生きするから、という単純なことだそうである。

 これらの鹿は、人に管理されているとか、定常的に餌付けされているわけではないので、一応「野生」である。しかし、危険防止のため、オスの角は毎年切られている。

 草食動物である鹿は、柔らかい新芽や葉っぱ、芝生、笹の葉、シダなど多くの種類の植物を食べて暮らしている(Deer Infoによる)。

 奈良公園の鹿は、これらに加えて観光客が与える「鹿せんべい」がある。これの原料は、小麦粉と米ぬかのみで、砂糖などは使用していないが、鹿にとってはありがたいおやつである。

 ところがこの一年、コロナ禍のため外国人観光客がゼロに近くなり、その結果「鹿せんべい」を蒔く人が激減し、せんべいを求めて鹿たちが「鹿せんべい」を販売している駄菓子・雑貨店に集まって来ていた(写真)。
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 冬は食べられるものが少なくなるので、せんべいは貴重な主食になりかかっているのかもしれない。


      『奈良まちウォーキング』 おわり



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