南極紀行(1~5)、56-57次南極報告会

南極紀行1 投稿者:竹内由香里[森林総合研究所十日町試験地] 投稿日:2016,7.19~7.31
 第57次日本南極地域観測隊(夏隊員)として初めて南極へ行ってきました。
 南極観測船「しらせ」で2015年12月6日にオーストラリアのフリーマントルを出港,12月23日に氷海上の「しらせ」から大型ヘリコプターで昭和基地に到着した。

 57次隊では「南極域から探る地球温暖化」の研究に重点をおき,地球全体を一つのシステムと捉えて地球環境問題を解明する観測が行われた。私は微気圧計を用いて,南極周辺の波浪や氷山,氷床の動きにより発生するインフラサウンド(人には聞こえない20 Hz以下の低周波の空気振動で,減衰しづらく遠くまで伝わる)を長期にわたって観測し,気候変動との関連を明らかにする研究を担当した。

 太陽が沈まない白夜の南極で,職種も性格も多様な隊員らと一緒に生活し,忙しく動き回っているうちに,短い夏はあっという間に過ぎていった。

 南極での体験の一部を露岩地域,昭和基地,氷床上,しらせ船内に分けて,紹介させていただきます。写真は,ケーシー基地沖にて「しらせ」から撮影した海氷上のコウテイペンギンとアデリーペンギン(2016年3月12日)。
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南極紀行2

 南極大陸は、大部分が氷床に覆われているが、沿岸部にはわずかながら岩盤が現れた露岩地域がある。私はインフラサウンド(低周波の空気振動)のデータ回収や観測機器の保守のために、昭和基地からヘリコプターでリュツォ・ホルム湾沿岸の露岩地域4箇所(ラングホブデ,スカルブスネス,スカーレン,ルンドボークスヘッタ)へ出かけた。

 野外では4~5人のメンバーでテントや小屋に泊まってキャンプ生活しながら,協力してそれぞれが担当する調査や観測を行なう。露岩地域では南極氷床の末端を見ることができ,岩盤が風化して蜂の巣状に穴のあいた岩石や,宝石として知られるザクロ石(ガーネット)などを見ることができた。また,アデリーペンギンの営巣地で,子育て中のペンギンを間近で見ることもできた。
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 写真は,スカーレンのアイスフォール(2016年1月10日)。近くの観測点では,氷が崩落する際に発生するインフラサウンドも観測している。


南極紀行 3

 夏の昭和基地は砂埃の舞う工事現場のようだと聞いてはいたが,ヘリコプターで初めて昭和基地に降り立って目にした光景は本当にそのとおりだった。しかし,顔も服も(顔は日焼けして服は汚れて)真っ黒になった56次越冬隊の隊員が並んで1人1人握手して満面の笑顔で出迎えて下さった光景は,殺風景な昭和基地を打ち消して余りあるほど深く印象に残った。

私は「しらせ」へ戻るまでの48日間のうち約半分を昭和基地で過ごした。南極大陸沿岸へ数日出かけては,昭和基地に戻り,また出かけるという生活だったので,昭和基地では観測機材や食料,装備など野外へ出かける準備と,ゴミ処理など野外から帰った後始末とを繰り返していた。

 昭和基地内においても3箇所でインフラサウンドの観測を行なっているので,その点検や保守の仕事もあった。

 57次隊では夏期の主要な設営作業の1つとして昭和基地に風力発電2号機を建設する仕事があった。私も風力発電機のブレーキの取り付けや,高い足場の最上部に上がって,クレーンでつるしたブレード(風を受ける羽根)をボルトで固定する作業を手伝い,得難い体験と達成感を共有させてもらった。
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 写真は,建設中の風力発電2号機と57次隊が運び込んだ35 tラフタークレーン(1月24日)。


南極紀行4

 57次夏隊では気水圏チームが,氷床上のH128という地点(昭和基地から約100 km)に滞在してアイスコアの中層掘削を行なっていた。昭和基地において56次隊から57次隊への越冬交代が済んだ2月初め,私は「しらせ」へ戻る前に,掘削地点の撤収支援のため,野外支援担当の隊員らに同行してヘリコプターでH128へ向かった。

 12月下旬に「しらせ」を離れて以来,1ヶ月以上にわたって氷床上でアイスコアの掘削とエアロゾルの観測を行なってきたメンバー7名と久々に再会し,3台の雪上車で昭和基地に近いS16地点へ戻るまで行動を共にすることができた。

 360°見渡す限りどこまでも続く雪原を見つめて過ごした南極での最後の6日間は忘れられない日々になった。写真は掘削したアイスコアを「しらせ」へ空輸したS30地点(2016年2月5日)。
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南極紀行5

 57次夏隊と56次越冬隊を乗せた「しらせ」は2月14日に北上を開始し帰路についた。海洋観測のためにケープダンレーを目指していたところ,オーストラリアの南極観測船「オーロラ・オーストラリス」が悪天のためにモーソン基地で座礁したとの情報が入った。

 やがてオーストラリアからの正式な救援要請があり,モーソン基地に避難している観測隊員らが帰国できるよう,同じくオーストラリアのケーシー基地まで「しらせ」で輸送することになった。

 日本の観測隊員60名のところへ突然66名のオーストラリア隊を受け入れることになったのだから,寝る場所を確保するだけでも大変である。2段ベッドを3段ベッドに改造し,倉庫から寝具を運んで準備した。

 思いがけず船内で1週間の同居生活をして友好を深めたオーストラリア隊をケーシー基地沖で見送った後,「しらせ」は北上を続けて予定通り3月24日にシドニーに入港した。私たち観測隊員はシドニーから空路で帰国した。
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 写真は海氷原の日没と「しらせ」の航跡(2016年2月11日)
                             
                                  [おわり]

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『第56次南極越冬隊報告会』
              投稿日:2016/04/20、No.252

 第56次南極越冬隊(2014-16年)および第57次夏隊(2015-16年)の帰国報告・歓迎会が、4月15日夕、赤坂の明治記念館において開催され、南極観測を推進・支援する関係者等100名位が出席した。

 昭和基地の備蓄予備燃料が完全ではなかったため、第56次越冬隊は、前年に続いて人員の規模が小さく、観測10名(内、気象庁5名)、設営15名(内、機械担当5名)、および隊長の計26名(内、女性、庶務・情報発信担当1名)だった。
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 したがって、観測は気象を中心とした、定常およびモニタリング観測が主であった。

 特筆すべきことは、2015年10月に観測された南極上空のオゾンホールが過去最大面積であったこと、および昭和基地の積雪深が機器観測開始(1999年)以来、最高の185 cmを記録したことである。

 オゾンホールは原因となるフロンの放出が世界的に規制されているので、状況が改善はしなくても悪化はない、と思っていたが、観測史上最大とは衝撃的である。

 昭和基地の積雪深は、過去10年増加傾向にある。もちろん、その原因は分からない。


 『第57次南極夏隊報告』
              投稿日:2016/04/26、No.253

 第56次越冬隊の経過報告(三浦英樹隊長)に続いて、第57次夏隊の夏期オペレーションの概要が報告された(門倉昭隊長)。

 同夏隊は、「しらせ」乗船の夏隊員22名(内、女性2名)、海鷹丸乗船の観測隊員5名、地学調査別働隊員5名、および両船乗船同行者(大学院生、学校教員、航空技術者、報道等)18名、総計50名におよぶ大部隊であった。

 「しらせ」は3年連続して昭和基地沖へ接岸することができ、燃料や機械、物資等、全1037トンの輸送を実施した。これで、昭和基地の備蓄燃料は計画通りの量に達した。
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 昨年のリュツォ・ホルム湾の海氷状況を写真に示す(隊長「報告」のスライドから)。左が2015年4月、右が同年10月のSAR画像である。左図、右図の赤い線は、56次しらせ砕氷航行時(2014年12月~15年2月)の多年性氷境界を示す。

 すなわち、56次夏隊の航海時には、赤い線の右下(東南)側は結氷後2年以上経過した厚い氷で被われていた。しかし、昨年4月には、多年性氷(白っぽい部分)が南東方向へ後退し、さらに同年10月には弁天島が多年氷から開放され、海水面または流氷域(黒っぽい部分)に変った。

 このように、強固な厚い海氷であっても、風や海流、潮流で流されたり、氷が割れて流れ去ったりして、2、3か月の間に状況が激変することがある。3年続けて(2014~16年)ラミング(船が勢いをつけて氷板に衝突すること)を繰り返しつつ昭和基地沖に達することができたが、その前の2年間(2012~13年)は接岸断念、その前の17年間は接岸が可能だった(1994年、接岸不能)。

 このような海氷状況に周期性があるのかないのか不明だし、複数の要因が影響していると思われるので、来年はどうなるか全く予想ができない。

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